エネルギーの輪廻転生 色即是空・空即是色
物質とは、エネルギーがある状態で凝縮したものであることを、現代の物理学では明白に説明しています。そして、死後の世界、あの世、すなわち実在界はエネルギーの世界である。そして、霊とは永遠の生命を持つエネルギーであり波動である。この三次元を含み、高次元は低次元を包含します。すなわち、全世界の本質はエネルギーであり波動なのです。神の光とは、神が放射するエネルギーを意味する言葉であり、あるいは神そのものであると言えるかも知れません。そのエネルギーが神の意志により様々に変化しながら、発散と凝縮をくり返しつつ変転していく、それが大宇宙の真実の姿です。『色即是空(しきそくぜくう)』『空即是色(くうそくぜしき)』という釈迦の言葉があります。
色とは「目に見える物」という意味であり、空とは「目に見えないエネルギーが充満した空間」を指す言葉です。色とは表面的な現象、空とは目には見えない実態を表す言葉である、と理解しても同じ事です。宇宙の実態を表す言葉として理解しても良いし、この世とあの世を輪廻転生する霊魂の在り方として理解することもできます。物質はやがて消滅して目に見えないエネルギーへと転生し、また、そのエネルギーは再び物質へと転生していく。すなわち、エネルギーと物質とが転生輪廻している。それが大宇宙の存在の本質です。転生し、姿形を変えたり、消滅しても実態であるエネルギーは変わることなく存在し続けるのです。 色は、もともと三次元世界の物質を指すものでした。しかし実在界にもまた、霊が触れることができる物が存在する。この釈迦の言葉を高次元の世界まで適用することが可能だと思います。すなわち、ある次元の世界において、更に上の高次元世界は見えない世界ですから、やはり地上と四次元霊界との関係と全く同じだからです。全世界の本質がエネルギーであるならば、エネルギーに関する原理や法則について確かな認識を持つことが、霊界の様々な出来事を理解するのに役に立つはずです。
現実に霊というのは実在していて、それが肉体に宿ることで人間はこの世で生きている。
幸福の科学大川隆法総裁は、『太陽の法』で以下のように説かれました。
「この世のものは、すべて時々刻々に変化をしており、まったく同じ状態であることは不可能だということです。たとえば、私たちの肉体細胞をとってみても、昨日の自分と、今日の自分とを比較するならば、まったく同じ状態ではないのです。しかし、日々変化する肉体細胞によって構成されているわけですが、その人の姓名で称されている実体があるのです。その肉体細胞を統一している実在があるということです。すなわち、時間の流れのなかで流転する存在の背後には、永遠に変化しないなにかがあるのです。人間にして然り、動物にして然り、植物にして然りです。たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞ではありません。もし偶然に集積した植物細胞が、今日という日の一本の花を形づくっているならば、日々流転し、変転するという法則のもとでは、その花は、やがて花以外のなにか別のものにかわってゆくのがほんとうです。しかし、やはり花は、花にしかすぎません。昨日も花、今日も花、明日も花。花としてのあり方が変化するだけで、花が花以外のもの、たとえば、動物とか、人間とかにはなりえないのです。また、菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもありません。チューリップは、あくまでチューリップの花としてその一生をおえていくのです。そこには、変化のなかにあって変化しないなにか、流転のなかにあって流転しないなにかがあるのです。そして、このなにかこそが、あるときは実在といわれ、あるときは理念といわれ、また、あるときはイデアといわれるものなのです。「色即是空 空即是色」という、仏教の有名な言葉があります。この言葉も、私が述べてきた、変化の背景にある不変なるものの実在、普遍的なる存在が投映されて、流転するこの世的存在となっていることを道破した真理の言葉なのです。私たち人間は、時々刻々に変化する、たよりない肉体細胞の集合体をもって「人間」と称しているのではありません。人間の本質は、時間の流れのなかで変転してゆくはかない存在ではなくて、永遠に不変の実在なのです。この不変の実在こそ、生命であり、魂であり、霊であります。 私は、「霊」という言葉でもって、摩訶不思議な特異現象をさしているのではありません。それは、人間の本質であり、不変の実在であり、生命のイデアなのです。肉体人間を支配している個性ある知性。肉体人間を存在せしめている個性ある意識体。これらが、人間の本質なのですから、霊という言葉に対して、世人がいかなる印象を、もとうがもつまいが、真実はひとつなのです。」