「色即是空・空即是色」
仏教では、「諸法無我」「諸行無常」という教えがあるように、この世のものは、すべて時々刻々に変化をしており、まったく同じ状態であることは不可能だということです。 たとえば、私たちの肉体というものをとってみても、昨日の自分と、今日の自分とを比べてみるならば、全く同じ状態というのはありえないのです。しかし、日々変化する肉体細胞によって構成されているわけですが、その人の名前で呼ばれている実体があり、肉体細胞を統一している実在があるということです。すなわち、人間も動物も、植物にしても時間の流れのなかで流転する存在の背後には、永遠に変化しない何かがあるということです。たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞ではありません。もし偶然に集積した植物細胞が、今日という日の一本の花を形づくっているならば、日々流転し、変転するという法則のもとでは、その花は、やがて花以外の何か別のものに変わってゆくのが本当です。しかし、やはり花は、花にしかすぎません。昨日も花、今日も花、明日も花。花としてのあり方が変化するだけで、花が花以外のもの、たとえば、動物とか、人間とかにはなりえないのです。 また、菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもありません。チューリップは、あくまでチューリップの花としてその一生を終えていくのです。そこには、変化のなかにあって変化しない何か、流転のなかにあって流転しない何かがあるのです。そして、この何かこそが、あるときは『実在』といわれ、あるときは『理念』といわれ、また、あるときは『イデア』といわれるものなのです。 「色即是空 空即是色」という、仏教の有名な言葉があります。この言葉も、変化の背景にある不変なるものの実在、普遍的なる存在が投映されて、流転するこの世的存在となっていることを道破した真理の言葉なのです。 私たち人間は、時々刻々に変化する、たよりない肉体細胞の集合体をもって「人間」と称しているのではありません。人間の本質は、時間の流れのなかで変転してゆくはかない存在ではなくて、永遠に不変の実在なのです。この不変の実在こそ、生命であり、魂であり、霊であります。「霊」という言葉でもって、摩訶不思議な特異現象をさしているのではありません。それは、人間の本質であり、不変の実在であり、生命のイデアなのです。 肉体人間を支配している個性ある知性。肉体人間を存在せしめている個性ある意識体。これらが、人間の本質なのですから、霊という言葉に対して、世人がいかなる印象を、もとうがもつまいが、真実はひとつなのです。色即是空の例を挙げるとするならば、最近幸福の科学では癌がなおったリウマチが治ったというような奇跡体験がたくさん出てきていますがこれも色即是空・空即是色です。 癌は、もともとありませんでした。ところが、様々なストレスや色んな要因が集まって癌が発生します。この癌が幸福の科学の祈願や神秘体験をすることで、ガンが消滅するというようなことが起こります。 これも空即是色・色即是空です。 全ては、念いで出来ているのです。念いが無くなれば消えてゆくのです。また、もっと大きな流れとしては転生輪廻も空即是色・色即是空です。実在界とも呼ばれる天上界に霊的に存在していたものが、この世に生まれ肉体を持ち、やがて死んでまた霊的存在へと還っていきます。これを繰り返しているのが人間なのです。 このように、目に見えないあの世(天上界)と目に見えるこの世の三次元世界とのエネルギーの循環をも現わしているのです。これが、「空即是色・色即是空」です。
インド当時の釈尊が興した仏教は、現代最先端科学の内容をすでに熟知していたと言えるのです。