霊界でのものの見え方

 幸福の科学大川隆法総裁は、『宗教の挑戦』で以下のように説かれました。

「不思議なのですが、霊界でのものの見方、感じ方というのは、どうやら一通りではないのです。まったく同じ光景であっても、見る人が違えば、どうやら違うように見えるらしいのです。同じ川の水を見ても、全然違うように見えるのです。たとえば、魚が見ればそれは住処(すみか)に見えます。普通の人であれば、それを普通の川として見ます。ところが、餓鬼地獄の亡者がその川の水を見ますと、それが火の海に見えたり、あるいは血の膿が流れているように見えたりするらしいのです。まったく同じものが、そのように違って見えるのです。なぜ、そのように火の海に見えたり、血の膿に見えたりするのでしょうか。結局、それを見ている人の心に色眼鏡が掛かっているから、あるいは心のレンズが曲がってしまっているから、そのように見えるのです。同じ川であっても、魚はそれを住処と見、普通の人間は普通の川と見、地獄の亡者には、血の膿が流れているように見えるのです。また、その同じ水を天国の人が見ると、とても透き通った水晶のような、きれいな輝きに見えるのです。同じ水が水晶のように輝いて見える、あるいはダイヤモンドの塊のようにも見える。そのように美しく見えることがあるのです。これは、仏教の唯識派の説く考えで、「一水四見(いっすいしけん)」と言います。一つの水に四つの見方があるということです。この一水四見のような見方が本当に現実化してくるのが、あの世の世界なのです。ですから、あの世に還ってどのようなものを見たとしても、心しなければいけないわけです。気をつけないと、自分の心のレンズに合わせた図、映像を見ていますから、本当にそうなのかどうかということを、もう一度、よく確かめてみる必要があると思います。これがあの世におけるものの見方の原理の一つです。」