地獄へ行かなくてすむには

 地獄に行く人の特徴は、「貪瞋癡(とんじんち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)」の六大煩悩のどこかに必ず引っかかっているのです。しかし、地獄は罰を与えるためだけに存在するのではなく、それぞれの心の傾向性に合わせて赴く世界である。あの世は心のみの世界なのです。心が粗雑な波動を出している人が物理的に重くて沈んでいく。反省によって、心を変えれば、住む世界も変わってくるのです。

 では、どうすれば地獄へ行かなくてすむかいうことですが、正しい信仰を持って 六大煩悩の反対を実践すればよいのです。

貪 → 貪るのをやめて、足ることを知り、与える愛―布施の心に切り替えていくこと

瞋 → 怒りを押さえ、平静なる心を取り戻すこと

癡 → 愚かな心を仏法真理を学ぶことで知恵を獲得していくこと

慢 → 傲慢な心を反省し、謙虚な心に変えていくこと

疑 → 疑いの心でなく、信ずる力、信仰心を持つこと

悪見 → 間違った信仰や見解を捨て、正しい宗教を信ずること

 そして、地獄に堕ちる原因のほとんどは、「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」という「心の三毒」です。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『霊的世界のほんとうの話。』で以下のように説かれました。

「地獄に堕ちる原因のほとんどは、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」という「心の三毒」です。

貪――貪(むさぼ)りの心  

 「貪」とは、貪欲、貪りの心です。当会の言葉で言えば「奪う愛」に生きた人です。この奪う愛、貪りの心で生きた人は、ほとんど地獄に行くわけです。  この「貪」の特徴は、「自分では、よく分からない」ということです。しかし、他人が見れば、ものすごくよく分かるのです。「あの人は欲の深い人だね。強欲な人だね。人の気持ちが全然分からない人だね」「いつも、取っていくことばかりをする。いつも、奪っていくことばかりを考えている」というのは、本人は知らないことがけっこう多いのですが、他人が見れば、十人中、八、九人は「そのとおり」と言うのです。自分を正しく見ることは、それほど難しいことなのです。この「欲の深さ」をなくすためには、やはり、「足ることを知る心」が非常に大事です。それから、「布施の心」も大事です。宗教では布施ということをよく言います。布施というのは差し出すことですが、差し出すことによって執着が取れていくのです。  自分が取ることばかりをいつも考えている人は、「人にあげる」、あるいは「尊いもののために差し出す」というようなことを考えないのです。そういう布施の心を持っている人であれば、貪欲の罪で地獄などに行きはしないのです。

瞋――怒りの心  

 「瞋」とは怒りです。カーッと来る心というものがありますけれども、これなどは、たいていの場合、不平不満なのです。自分の思いどおりにならない不平不満からカーッと来るのです。亡くなったおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんのことを思い出してみて、「あの人は短気な人だったね。よくカーッと怒っては周りにあたり散らしていたね」というようなことがあれば、それが原因で地獄に行っていることが多いわけです。

癡――愚かな心  

 「癡」とは愚かさのことです。この愚かさは、必ずしも「頭が悪い」という意味ではありません。この世的には頭が良くても、この「癡」になる人は数多くいます。これは、要するに「仏法真理を知らない」ということなのです。仏法真理を知らない人は愚かに見えるのです。仏法真理を知っている人から見たら、まったく別方向のこと、無駄な努力をしていて、自分の首を締めるようなことを一生懸命やっているのですが、この世的には頭の良い人であることが、けっこう多いのです。地獄領域を拡大するような、まったく正反対の仕事をしている人がいるのです。そういう愚かさがあります。生きているうちに仏法真理を知っていれば、地獄になど堕ちないのです。ところが、それを知らないために堕ちるのです。」

 真理を学び、反省によって心をきれいにし、奪う愛から与える愛の人となる。 そして、世の中の発展、繁栄に貢献していく。こういう教えを幸福の科学では教えているのです。このような人が増えていくことで、この世は浄化され、地獄界も縮小していくのです。地獄へ行く人を無くし、地獄界を解消させ、地上に天国を造り出すために幸福の科学と幸福実現党が活動している分けなのです。一人でも多くの人が「与える愛」の側に回っていただきたいというのが幸福の科学のユートピア運動なのです。今、地上に仏陀が再誕され、真実の法を説かれています。この偉大なる仏法真理の下に日々を生きるならば、天国に還ることは、そう難しいことではないのです。

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