スマホに支配されない時間術

(幸福の科学大川隆法総裁 法話より)

 20世紀初頭のイギリスを代表する作家で、「1日90分の知的生活」を送ることを勧めたアーノルド・ベネットの実体験を参考に、極端を戒め、かつ効果の高い、「知的生活」の送り方を紹介します。

 

いきなり「大きな変化」を求めない

「完全に計画された毎日を送る」

 いきなりそんなことをしようとすれば、挫折するだろう、と誰もが思うことでしょう。

 実際に、ベネットが著書『自分の時間』で勧めたのは、「毎朝30分」と「週に3晩90分ずつ」という、週に合計7時間半を知的な活動のために使うことでした。1週間は168時間ですから、「4%ほど」の時間の使い方を変えるということになります。

 時間だけを見れば少ないようにも思えますが、ベネットは「習慣を変えることの難しさ」を痛感しつつ、こういいます。

 「ささやかなことから始めよ、と私が心から忠告するのは、私自身、これがいかに難しいことであるかを知っているからである。これをやろうとして失敗すると、いかに屈辱的な思いをしなければならないかを知っているからである。自尊心は大事に守らなければならない」

 1週間の4%は確実に、自分の時間を自分自身でコントロールしている」という成功の実感が、自尊心を高め、毎日の質を高めていくことになるのです。

 ベネットは、「1時間半の勉強をするためにはそれ以上の時間の余裕をみておくということである」として、2時間半ほどの時間の枠を確保しておくことを勧めています。これは予定外の事態も織り込み、焦ることなく心の余裕を保てるように、という配慮でもあります。

 知的生活の時間を確保しようとして、時間に追い立てられたり、周囲と不調和を起こしたり、自己嫌悪に陥ってしまえば、せっかくの知的生活も実りが少なくなります。知的生活の目的は、単に「本を読むこと」ではないからです。

 

短くても、時間の密度を高める

 ベネットが知的生活の中で重きを置いたのは、「考える力を養うこと」でした。それは、このような言葉に象徴されています。

「自分が読んだものについて、少なくとも45分くらいかけて、注意深く、しんどくなるくらいに反すうしてみないなら(最初のうちは恐ろしく退屈なものだが)、せっかくの夜の90分も無駄に費やされたのだと言っても過言ではあるまい」

 ベネットは、例えば朝の通勤時間のひとときを使って、「何かについて考える」ことを勧めています。初めは一つのことに集中できれば、それが何でも構わないといいますが、例えば読んでいた本の一節や一文について考えてみると良いといいます。

 例えば、前日の朝の通勤時、何を考えていたか思い出せる人は少ないのではないでしょうか。取りとめのないことを考えたり、過去を思い出してくよくよしたり、未来のことを考えて不安に思っていたかもしれません。その時間は、わずかでも知的生活の一部に組み込めるはずです。

 読書をして私たちが得るものは、本に書かれている情報だけではありません。その本を読み込むことで、仕事に使える「知識」が得られ、さらには書かれている内容について考えることで「智慧」が得られます。同じ読書時間も、考える時間を経ることで、さらに実りある質の高い時間へと変化します。

 本をきっかけとして「考える」ことが喜びになれば、手に取る本も「娯楽のための本」や「軽いハウツー本」だけでなく、「繰り返し読める本」「味わい深い本」「人生の真理を内包した本」へと変わっていくでしょう。歴史書や伝記、文学作品や詩編、宗教書が身の回りに増えていくはずです。

 人は皆、生まれた場所や環境、家族、学校、職業など、異なる人生経験を積んでいます。さらに、異なる思想・信条を持ち、それぞれの視点から世界を見ています。だからこそ、同じ本を読んでも、その人固有の気付きが得られるはずです。

 歴史書や偉人の伝記を読めば、過去にどのような事件が起きたのか、偉人や他の人たちは、どのように対処し、その結果、どうなったかを知ることができます。それを、今直面している問題と照らし合わせることで、新しい解決策を思いつくかもしれません。

 また、宗教書を読み、神仏の言葉を学ぶことで、人生の苦難や困難に直面しても揺れない「神仏の視点」を持つことができます。だからこそ、自分自身や他の人が悩みの中にある時にも、その嵐を潜り抜けていくことができるようになります。

 「読書をして考え、智慧を得る」という積極的な知的生活を送るうちに、最初は自分のために確保していた時間が、他の人々のために不可欠な時間へと変わります。一日のちょっとした時間も、積み重ねると大きくなります。使い方に意識を向けてみてはいかがでしょうか。

 

大学生の53%は読書時間が「ゼロ」

 1日の読書時間について、「ゼロ」と答えた大学生が53%にのぼり、調査を始めた2004年以来、初めて5割を超えました。全国大学生協連合会の調査で、対象は、全国の国公立・私立30大学の学生、約1万人です。

 ゼロと答えた学生が53.1%。救いなのは、ゼロと答えた以外の「読む学生」の平均読書時間は51.1分です。

 読書の大切さは、さまざまなところで言われています。たとえば、偉人伝やビジネス・経営関係の本には、先人の経験や失敗、そこから得られた教訓、仕事に臨む姿勢、商売のヒントなどが書かれています。

 「事前に、この本、この一節を読んでいたら、こんな失敗はしなかった」と後悔した経験のある経営者やビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。読書は人生の「転ばぬ先の杖」になるのです。

 また、読書は内省的な行為なので、「考える人」をつくります。ネットやスマホの情報は玉石混交ですし、そもそも発信者が誰なのか分からないものもあります。また、事実に基づかないものや感情的なもの、その瞬間を満足させる刹那的なものも多いでしょう。

 こうしたものに時間を費やしていると、他人の意見や情報に左右されやすくなり、極端に言えば、ヒトラーのように国民を間違わせる人物が登場し、人々を扇動しやすい社会ができあがります。

 幸福の科学大川隆法総裁は、繁栄のためのよき習慣の一つとして読書を挙げています。

「読書は人間の内なる空間を広げます。その意味で、読書は非常に大切なものです。読書は、未知なるものに対する考え方を教えてくれます。自分がまだ経験していないことに対する導きを与えてくれるのです」 (『繁栄の法』より)

 読書は、個人、社会、そして国が繁栄していくためにも、欠かせない営みと言えます。

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