布施の精神

 仏陀に帰依する在家信者にウグラという裕福な商人がいました。  ウグラはある日、林の中で家族たちと酒宴を催し、お酒を飲んで愉快な気持ちでいると、林の向こうから歩いてくる神々しい仏陀の姿に気がつきました。ウグラは、その尊い姿に酔いが覚め、仏陀の足元にひれ伏しました。そして、説法を聞き、三宝に帰依して熱心な信者となったのです。ある日のこと、ウグラにとって一大事が起きました。自分の貿易船の一つが、莫大な財とともに海に沈んでしまったのです。僧団の人たちはウグラを気の毒に思いましたが、ウグラは、「限りない布施こそ私の念願なのです。たとえ財産がなくなっても、布施をやめることはありません」と笑顔で答え、今まで同様、その後も布施をし続けました。

 

信仰が問われるとき  

苦難のとき与える側に立つか、与える側に立つか

 このウグラのようにどの様な環境にあっても、布施し続ける精神は、執着を去った心でなくてはできないものです。ウグラの信仰は本物だったのです。このような無執着の心でなされる布施こそ、三輪清浄の尊い布施なのです。その結果、多くの人たちがウグラの徳を讃え、お経にまで残っています。莫大な財を失ったウグラほどでなくとも、自分にとって不利な環境が訪れたとき、与える側に立つか、奪う側の立場に立つかを試されています。そのときこそ、執着を去って、布施を実践できれば、「無我とは何か」ということを本当に実体験し、私たちは光輝くことができるのです。

 

仏陀僧団への布施をさせていただくことで救世の主役となる  

 ウグラが、このような尊い布施ができたもう一つの理由は、「僧団に尽くすことこそ最も尊い生き方であり、自分の目的と使命だ」と自覚し、「商売はそれに尽くすための手段」と考えていたからなのです。実は、こうした尊い布施の一つによって、僧団は発展し、菩薩を目指す人々の誓い・四弘請願の一番目「衆生無辺請願度」の成就に向けて、数限りない人々の魂を救うこともできるのです。 僧団への布施は、大乗の船をつくり、21世紀の新時代を築く最も尊い行為なのです。  

 布施の精神は、教団を支え、仏法真理を全世界に拡めるための大いなる力となるのです。  

 与える愛の最大のものである「伝道」と「植福」の両輪でユートピアが建設されていくのです。

 私たち一人ひとりの布施の精神が、21世紀以降の新しい時代を創造する。

 この仏陀再誕という奇跡の時代は、あなたも救世の主役となれる時代なのです。

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