魔境

 心を修行をしていれば、名誉心、異性への迷い、経済的な問題、あるいは嫉妬心など、各人に何らかの魔境がやってくる。

 そのときには、心をつねに原点に回帰させることを忘れないこと。

 自分が積み上げてきたものを、いつでも捨てられる気持ち、そしてもう一度初心に戻して、白紙に戻して、いつでも出発できる気持ちを持っていれば、やがて道は開けてくる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『幸福への道標』で以下のように説かれました。

「「法」を求め、そして学び続けることはそうむずかしいことではないでしょう。しかし、その途中、途中でさまざまな魔境というものが人間を待ち構えています。その人の魂特有の魔境というものがあるのです。その魔境の一つに、たとえば、名誉心というものがあります。人から尊敬されたいという思いです。あるいは、魔境の一つに異性への迷いというものもあります。また、魔境の一つとして、経済的な問題もありましょう。あるいは、嫉妬心という根源的な思いもあります。修行で生きている人間にとっても、かならず、なんらかの魔境はあります。魔境の一つや二つは、かならずあるのです。私は会員たちに、「努力して阿羅漢の境地に到達せよ」というふうに言っておりますが、阿羅漢から次の菩薩の世界に入っていくためには、かならず各人一つや二つの魔境は通り越してゆかねばならなくなっているのです。これは大きな試練です。この試練を通り越してゆかねば、菩薩の心境になっていくことは不可能なのです。このように、魂が試され、そして磨かれる時期があるのです。その魔境がいったい何であるかは、各人によって違っていますが、今自分が道を求め、修行をしてきて、そして何か大きな障害にぶつかったり、執着にぶつかったりしたときに、ここが今、魔境なんだなということを知っていただきたいと思います。このときにどう対処すればよいかというと、心をつねに原点に回帰させることを忘れないことです。自分が積み上げてきたものを、いつでも捨てられる気持ち、そしてもう一度初心に戻して、白紙に戻して、いつでも出発できる気持ち、こうした気持ちがだいじなのです。修行者のなかでも、とくに、「ねばならない」という心に縛られて、どうしても抜け難くなってくる人もいます。あるいは自分の立場に執着する人もいます。自分の修行量に執着する人もいます。自分の信仰心の多さに執着する人もいます。いろんな執着がありますが、おそらくは、各人ともなんらかの魔境というものが、かならずあるはずです。そのときに、今自分がこれだけ手に入れたと思うもの、つかんだと思うものを、これをゼロに戻して、白紙に戻して、いつでもサバサバと生きていけるかどうかを心に問うことです。どうせゼロから始めたなら、いつでももう一回ゼロからやってみる。こういう気持ちを持っていたならば、やがて道は開けてきます。急速には開けなくとも、やがて道は開けてくるのです。苦しい道を選んだかもしれないが、やがてその道は黄金の道へと通じていくのです。この不退転の境地に、多くの人が入ってくることを私は願っています。多くの試練のなかで戦いながら、やがてこの不退転の世界へ入ってこられることを。あのサケでさえ、滝を上り、川の瀬を上り、上流へ上流へと行くではないですか。みなさんも滝を上り、また瀬を上って上流の地へ、この不退転の境地へと来てください。私は、みなさんが一人でも多く、この境地に達されることを願い続けております。」

「仏法真理」へ戻る