この世で偉ければあの世でも偉い?

 あの世では、この世での地位や財産、名誉など、何の役にも立たない。

 あの世で通用するのは、その人の心の状態、悟りの段階だけである。

 その心の状態で大事なのは、どれくらいその人が愛を持っているか。まず霊的存在としての自分を愛すること。そして、他人へも愛を与えていることです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『黄金の法』で以下のように説かれました。

「この世で、地位や財産、名誉を得ることにいくら汲々としたところで、そうしたものは、死んであの世へ持って還っても、何の役にも立ちません。この世で、総理大臣だったとしても、一流商社のワンマン社長であったとしても、死んで地獄へ堕ちて、地獄の鬼が、その人の肩書を見て、平伏すということはありえないのです。もし、運よく天国に還れたとしても、天国で名刺を使う機会など、ただの一度もないのです。天国で通用する名刺は、ただひとつ。すなわち、その人の心の状態なのです。その人の悟りの段階なのです。また、この世で、億万長者となって、ぜいたくの限りをつくしたとしても、それが天国へのパスポートになることはありません。自家用のヨットや飛行機、定期預金証書、大豪邸、そうしたものは、あの世へは持ってゆけないのです。いくら有名人になったからといって、地獄の鬼は、釜の湯の温度を、たとえ一度といえども下げてはくれません。名誉にしても、同じです。学士院や芸術院の会員になったところで、褒章をいただいたところで、何の役にも立たないのです。地獄には元大臣、元学長、元博士、元裁判官、元検事などが、「こんなはずではない。他人が地獄に堕ちるのはともかく、自分が堕ちるなど承服できない」と、わめいている姿があちこちで見られます。すなわち、自らの名誉ばかりを求めて、他人に愛を与えることのなかった人々の哀れな末路です。宗教家でも、また、同じことが言えます。外国の政府から、世界平和に貢献したとして、勲章までもらった宗教家が、今、どうしているか。無間地獄の底で、割れるような頭の痛みに耐えかね、転げ回って苦しんでいるその人の姿を、私は、はっきりと霊視しております。その教えが間違っていたがゆえに、後に残した弟子たちが、その先生を尊敬すればするほど、良心の痛みに耐えかねて、七転八倒しているのです。まず、霊的存在としての自分を愛することです。しかし、自分ひとりだけに止まっている愛ではいけません。自分自身を愛したならば、他人へも愛を与えてごらんなさい。愛は、仏からいただいたものです。だからこそ、自分で独り占めにしないで、他人にも分け与えてゆかなくてはならないのです。」

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