死後の世界の証明

 死後の世界は、その仕組みとして、この世では完全には証明ができないように創られている。

 この世の人と霊とは、普通は一緒に生活できるものではなく、日常的に霊が話しかけてくるのをおかしくならずに生活するには、そうとう研ぎ澄まされた理性・知性が必要である。

 この世の人にとっては、霊が見えず、その声が聞こえないから都合がよい面があり、逆に、守護霊の指導もストレートに受けられないことになっている。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『復活の法』で以下のように説かれました。

「死後の世界は、そう簡単に信じてもらえるものではありませんし、仕組みとして、完全には証明ができないように創られていることも事実です。もし、あの世の世界が目に見えたならば、誰もが「あの世の存在を信じる」と言うでしょうが、「あの世の世界が、この世の世界と共存していて、生きている人間と同じように、この世を霊がたくさん歩いている」というようなかたちで、この世の人と霊とが一緒に生活できるかというと、なかなかできないだろうと思います。たとえば、「あの世の霊が話しかけてくる。何か疑問を持ったら、すぐ、あの世の霊から答えが返ってくる。あの世の霊が、『ああしろ、こうしろ』と言う」という世界だと、けっこう大変でしょう。  私は、実際に、そういう世界を生きているのですが、これで普通でいられるというのは大変なことなのです。通常は、普通ではいられません。「変なことを言う」ということで、たいていの場合は隔離されてしまいます。そういう世界を見ながら普通に生きるには大変な力が要(い)ります。そうとう研ぎ澄まされた理性・知性を持っていないと、通常は、おかしくなるのです。毎日毎日、霊体験が重なってくると、どうしても行動も考えもおかしくなってきます。これに耐えられる人は、やはり少ないのです。霊的な世界が開かれた場合、よいものに導かれればよいのですが、そうでないものも入ってきやすいわけです。悪霊などが、いろいろ取り憑いてきたりして、それを直接に感じるようになり、声が聞こえはじめると、事実上、人間としての生存が不可能になり、ほとんど人生は終わりになります。たとえば、みなさんの死んだ祖父や祖母、父や母が、みなさんの部屋で、いつもみなさんを見ていたり、夜、寝ているときに来たりするような状態では、みなさんは生活できないでしょう。やはり、霊の声が聞こえず、霊の姿が見えないほうがよいのです。私は、霊の姿が見え、霊の声が聞こえるのですから、大変です。そういうものを、「関係がない」と言ってバシッと切る冷たさがないと、とうてい生きていけません。自分に関係のある霊以外のコンタクトはピシャリと拒絶するだけの意志力、それだけの霊威というか、権威がないと、霊に幾らでも入ってこられます。向こうの人は、この世の人と話をしたくてしかたがないのですが、この世の人にとっては、霊の声が聞こえないから都合がよい面があるのです。しかし、同じ原理はマイナスのほうにも働いています。それは、「守護霊が、『この世の人を導きたい』と思っても、ストレートには導くことができない」ということです。「この世の人の人生の大事な局面において、何か、ふとしたときに、思いつきのようなかたちでインスピレーションを降ろす」というようなやり方でしか導くことができず、「常時、疑問に答える」というかたちにはならないのです。」

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