自然災害を忍耐しているのは神仏の側

 2013年9月に、日本の東方1600キロの海底に、太陽系最大規模という巨大火山が見つかりました。地球最大規模ではありません。東日本大震災とも関連があるとされ、日本列島は本当に「地震の巣」の上にあるんだと実感させられます。

 ある地震学者によれば、「プレートが沈み込むときに蓄えられるエネルギーの2、3割しか地震のエネルギーとして放出されない。なぜもっと地震が起こらないのかが不思議だ」というのが地震学の常識だそうです。

 もっと何倍も地震が起こってもおかしくないのに、それを押しとどめている存在がいるということです。「押しとどめている存在」を日本人や人類が忘れ去った時に、天変地異は起こる。日本人や人類が神仏を忘れてしまっているならば、「忍耐」しているのは神様の側だということです。

 古来から、天変地異は「天の怒り」とされ、国が乱れたときに起こることが多いとされている。過去の事例を見れば、人の世の乱れと天災が連動していることがわかる。

 それ以外にも、「人の世の乱れと天災」の関係は多く見られる。

 天変地異が起こる原因は、人間が傲慢になり、神々のメッセージに耳を貸さないことに対する警告という点で一貫している。

 天変地異を防ぐためには、活断層うんぬんの議論より、神の警告を真剣に受け止め、国民の生き方と政治のあり方に信仰心を取り戻すことのほうが、はるかに急を要することに日本人は気づかねばならない。

 これらの天災と国の混乱の関連性を「偶然である」と退け、思考停止してしまうのは簡単だが、それは科学的態度ではない。現代科学では「なるようになった」という答えしか出てこないが、古来から伝えられている「人の世の乱れと天災」の関係を虚心坦懐に受け止め、なぜ今日本で天災が急増しているのかを考えるべきである。

 大規模な天変地異の原因について、幸福の科学大川隆法総裁は、著書『逆境の中の希望』の中で以下のように語られた。

「『阪神・淡路大震災』と『東日本大震災』という二大災害は、実質上の左翼政権が立っているときに起きています。そして、その背景には、やはり、仏神、仏や神を軽んずる風潮、唯物論的な風潮があります。そういう風潮が「勝利した」と宣言しているときに、こういう天変地異が起きているのです」

 神は何の目的で自然災害という破壊をもたらすのでしょうか。人間の進化に拍車をかけるためです。精神的新生のためには破壊も必要です。新しく再生する毎に霊的浄化において新しい一歩を踏み出すのです。何事につけその過程を正しく理解するためには、結果を見届けなくてはいけません。人間はとかく我が身に置き代えて判断するために、苦しいことはみな災害と考えがちですが、新たな秩序をもたらすためには思い切った混乱を必要とする時があるのです。それまでの平穏無事の惰性では何世紀も要するような改革が2、3年で成就されることがあります。

 ところで、神はそういう破壊の手段以外に何か別の手段を取ることができないのでしょうか。日常生活の中での善悪の判断を通じて進化を促すという方法を取っておられます。ところが、この方法では人間はなかなか向上しません。そこで、その高慢の鼻をへし折り、人間の弱さを思い知らせる必要が生じるのです。

 人間は、地上を旅する間の出来事は、どうしてもその肉体の生存期間を尺度として捉えます。ところが、死んで霊界に戻ってくると観点が大きく変わり、地上時代の出来事が実に些細なことであることに気づきます。地上の一世紀は永遠の時の中では一瞬の花火のようなものに思えます。そして、地上の時間にして何日、何ヵ月、何年にもわたる苦しみもどうということはないように思えてくるのです。どうか、この点を今後のあなた方の生き方の参考にしていただきたい。霊こそ実在であり全てのものに優先し。全てのものが消滅したあとも残り続けます。その霊の在り方こそ神が何より気遣うものであり、肉体は地上を行き抜くための仮の媒体にすぎません。多くの尊い人命を奪う大災害におけるそうした犠牲者たちは、戦闘後の兵士のようなものです。軍服はボロボロに破れ、あるいは千切れ、あるいは無くなっているかも知れません。しかし、生命は失っていない。その姿を見て将校は軍服のことよりも生命があったことを喜ぶものです。軍服が肉体であり生命が魂です。

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