天皇列伝 世界に誇る奇蹟の国

 「御霊」とは「神の霊」を意味する大和言葉である。神道では、亡くなった霊や祖先の霊を神として祀る。この「御霊」の一言に、国民のため神々に祈る天皇のあり方が表れている。

 歴史を振り返れば、天皇が政治的に国を治めた時代は多くなかった。だが、天皇が神官のトップとして、皇祖神・天照大神をはじめとする日本の神々に五穀豊穣や国家鎮護を祈るお仕事は、一貫して変わらない。旧皇族で作家の竹田恒泰氏も、「天皇は国民一人ひとりの幸せを祈る存在であり、それこそが本当の天皇の姿です」と言う。

 国民の幸せを祈るとは、「おことば」にもあるように、国民が苦しい時はその苦しみに思いを寄せ、分かち合うことでもある。震災後、天皇皇后両陛下はたびたび被災地を見舞い、被災者に温かい言葉をかけてこられた。日本人の多くは、未曾有の天災をきっかけに、国民のために祈る存在である天皇の尊さを改めて感じているでしょう。

参考

神武天皇  天照大神の直系にして実在の初代天皇

 125代続く天皇の初代とされる神武天皇は、神話的色彩が強いこともあって、実在の人物なのか疑問視する人もある。果たして真実はどうなのか。

 『古事記』や『日本書紀』によれば、天照大神の孫の日子番能邇邇芸命が、高天原から筑紫の日向の高千穂峰に降り立った(天孫降臨)。その曾孫である神日本磐余彦命が、のちの神武天皇であり、神武天皇は天照大神の直系の子孫である。

 磐余彦命は高千穂から東に旅立ち、各地に滞在しながら土地の豪族を平定した(神武東征)。16年以上かけて現在の大阪湾にたどり着き、さらに戦いを重ねて大和の地(奈良県)を平定。畝傍の橿原宮に宮殿を建て、初代天皇に即位し神武天皇となったとされる。

 竹田恒泰氏は「初代天皇がいなかったとするのは、とても非科学的なこと」とした上で、神武天皇についてこう話す。

「どんな企業でも学校でも国でも、必ず、まず理念、思いがある。その思いを形にしたのが日本の建国だったはずです。もし理念が安易なものであれば、国は長続きしないでしょう。

 神武天皇は『古事記』にも書かれているように、『どこで治めたら人々を幸せにする国が建てられるだろうか』ということで、東を目指したわけです。どうすれば理想の国を建てられるかを真剣に考えたのが日本の建国の精神であり、それを歴代天皇が受け継いできたのです」

 いかなる国や組織も、初代がなくて二代目以降があり得るはずもない。2千年以上続く国を建てた神武天皇の偉業は、決して揺らぐものではない。

初代・神武天皇

天照大神の直系の子孫として即位した神武天皇

 神武天皇は神話的色彩が強く、そもそも実在するのかどうかを疑問視する声もありますが、『日本書紀』によると、天照大神の直系の子孫として九州の高千穂(現在の宮崎県)に生まれたことが分かっています。この「天上界の神々が魂として人間の肉体に宿り、地上に生まれた」ということが、戦前まで続いた天皇に対する「現人神(あらひとがみ)信仰」の始まりだといえます。

全国的な統一王朝のもとをつくった神武天皇

 神話には、神々の世界と地上の世界との交流を描く場面がたくさん出てきます。

 当時も各地でさまざまな神々が地上に降り立ち、小さな王朝を建てていました。のちの神武天皇である神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は、「大和で統一王朝を建国せよ」という神の命を受け、高千穂から東征して各地のさまざまな反乱を平定し、橿原宮(奈良県)で初代天皇として即位しました(神武東征)。現在、この場所には橿原神宮が建っています。

 なぜ、日本の学校では『古事記』や『日本書紀』などの神話に描かれる「日本建国の歴史」が教えられないのでしょうか。

 日本には、2600年以上天皇を中心とした神代からの歴史があります。これほど連綿と続いた国家があることは、他の国と比較しても「世界史の奇跡」といえるでしょう。そして、肉体を持った人間として実在した初代の神武天皇の時代は、まさに日本の原点と言えます。

参考

 

仁徳天皇  在位5世紀前半

   今も天上界で「民のかまど」を心配されている

 幸福の科学大川隆法総裁は、125代の天皇すべてについて霊査しているわけではないが、今回の特集で取り上げた他にも何人かの天皇については、高天原の神が地上に人間として生まれた方であったことや、死後も神格を持って天上界から日本を見守られていることが分かっている。

 その一人が第16代・仁徳天皇である。民のかまどから炊事の煙が上がっていないのを見て六年間租税を免除し、自らも倹約に努められた仁政で有名な天皇である。大川隆法総裁は、今の日本政治の増税路線に関連して、「天皇のなかには、仁徳天皇など、民を富ませ、高い評価を得ている方もいて、そういう方は、天上界においても、この世のことを非常に心配しているのです」と述べている。

 税金のあり方は国民の暮らしに直結し、経済的な幸・不幸を左右する。現代の政治家や税務に携わる人々も、自らが天上界の仁徳天皇の御心にかなう仕事をしているか、己を振り返る心を大切にしてほしいものである。

 なお、霊査で、今上天皇は、過去 仁徳天皇の皇子、第19代允恭天皇であられたことが明かされた。この転生も国の経済政策が国民を苦しめないことを願う高天原の神意でしょう。

 

天智天皇  第38代 在位668~671年

   敗戦に学び中央集権国家の基礎を築く

 天智天皇といえば、中大兄皇子だった時の政変「大化の改新」(645年)が有名だが、それ以上に古代における我が国最大の危機となったのが「白村江の戦い」(663年)であった。

 日本は朝鮮半島で、大国・唐と新羅の連合軍と戦い大敗を喫した。敗因は軍備の差以外に、兵が寄せ集めでシステム的な訓練も指揮命令系統もなかったことが大きいとされる。この派兵をしたのが中大兄皇子だった。

 天智天皇が非凡だったのは、この敗戦を教訓とし、都を琵琶湖畔の大津に遷して各種の政治改革を行った点である。朝鮮に送る兵の徴用に手間取った反省から、初めて全国規模の戸籍「庚午年籍」をつくった。また、豪族の合議による意思決定の遅さを改めるため、官僚制を整えた。失敗の中に改善と成功の芽を見出して改革を実現した、天智天皇の英断だった。

「一つ間違えば国が潰れたかもしれない激動の時代、国難の時代にあって、一時代の頂点をつくった天皇といえます」(竹田恒泰氏)

 天智天皇の崩御2年後、第40代として即位した弟・天武天皇は、兄の政治路線を継承し、律令国家の建設をさらに進め、『古事記』『日本書紀』の編纂を命じた。二方には、皇位継承の確執もあったが、古代日本の基礎を固めた偉大な兄弟天皇と言えよう。

『日本書紀』の最初の神

 天智天皇は、大川隆法総裁の霊査によれば、『日本書紀』に最初に出てくる神である「国常立尊」(国之常立神)であり、のちには、室町時代の禅僧で天皇から国師号を贈られた夢窓疎石や、維新の三傑の一人・木戸孝允として転生した魂と思われる。

 この魂は文殊菩薩や天台智顗など、仏教の智慧や教義の体系化において傑出した智者として生まれたことも分かっている。

 

聖武天皇 第45代 在位724~749年

   日本人の仏教信仰を方向づけた「三宝の奴」

 天平6(734)年4月、奈良一帯を中心にマグニチュード7を超える阪神・淡路大震災なみの地震が起き、多くの人々が亡くなった。岡山大学の今津勝紀教授らは、この地震が聖武天皇の仏教帰依を深めるきっかけになったのではという。その7月に、聖武天皇は、地震が続いて飢餓や犯罪が増えているのは自分の政治が不明なためであり、「責めは予一人に在り(責任は自分一人にある)」として、罪人の大赦を行った。震災の後で電力会社を非難し、復興の時期に増税する現代の政治家とは、天と地の差である。

 次いで、聖武天皇は、「各種の典籍を見たが、身を全うし民を安んずるには仏教が最上」として、写経や読経を命じた。そして、国家鎮護を祈る国分寺・国分尼寺の建立、天皇として初めての出家、東大寺の大仏開眼へと続く。

これらは、現代で言えば、「震災を教訓として正しい宗教思想を政治の中心に据え、その力によって復興と国民の幸福を実現していこう」とする姿勢であり、ポピュリズムの対極でしょう。自らを「三宝の奴」(仏・法・僧の僕)と称した聖武天皇のもとで、以後の日本人の仏教信仰が方向づけられたのである。

天皇の帰依と皇后の慈悲行

 聖武天皇を語るうえで光明皇后の存在は欠かせない。同じく仏教に帰依し、東大寺、国分寺、国分尼寺の建立を天皇に進言し、悲田院や施薬院を設けて貧しい人や病人を救った方である。

 幸福の科学の霊査によれば、光明皇后は、神武天皇の祖先として地上に生まれ、その後は日本の主宰神として天上界から御照覧されてきた、天照大神の生まれ変わりである。

 二方は日本史上、仏教への帰依と慈悲行を深く体現し、日本人の精神性を大いに高めた高級霊夫婦だったと言える。

 

桓武天皇 第50代 在位781~806年

   仏教中心の「宗教都市」で世界に稀な平安の世を実現

 桓武天皇の治世は、日本をもう一度創り直して同時代の一流国へと高め、後世にも大きな影響を遺した時代だった。

 まず、積年の課題だった蝦夷を平定させて領土を拡大した。これにより、現代に近い日本の国土の基礎が新たに定まった。

 この新しい国をどう治めるか。桓武天皇は思想的柱を求め続けた。学問的な性格が強い奈良仏教の刷新を図り、最澄と空海を派遣して唐の仏教を持ち帰らせた。最澄の天台宗は修行論を排して堕落した面もあるが、比叡山で学んだ仏教者たちが鎌倉仏教を開くきっかけとなった。空海は、四国八十八箇所の霊場を巡る大衆に開かれた修行スタイルを始めると共に、仏教が本格的に広く救済活動を行う先駆けとなった。この時代が、日本の仏教が大乗的な方向に向かったターニングポイントと言える。

 平安京への遷都にあたっては、桓武天皇は怨霊を恐れたこともあり、土地の選定に道教の四神の考えを生かし、遷都の日取りは陰陽道に従うなどした。ただ、怨念を鎮める儀礼は仏教と神道が提携して行われ、仏教の下で古来の神道や他の宗教が対立することなく調和を保つ新しい思想秩序ができあがった。それもあって、桓武天皇崩御の十数年後から350年近く死刑が行われず、世界史上に稀な文字通り「平安」な世が訪れた。

 やがて、日本が唐から学ぶものはなくなったとして、遣唐使は廃止され、貴族文化が花開き、京の都は明治の東京遷都まで千百年近く続く。大川隆法総裁は、この点を、仏教の説く宗教的寛容性の中で多様な思想を受け入れつつ、信仰心を立てて政を行ったことにより、キリスト教が理想とする「千年王国」が ある意味で実現したと指摘する。

 桓武天皇の時代性や事績は千百年後の明治天皇に似ている点が多い。両者の服装もそうだが当時の強国の文明を取り入れて、日本を一流国に高めると同時に、強国の存在に対抗して強固な統治体制をつくった。

 新たに定めた都は長く繁栄。臣下の人材に恵まれ、質素を旨として政治に心血を注いだとされるなど、歴代天皇の中で、桓武帝と明治帝こそ大帝といわれるにふさわしいのではないでしょうか。

日本の中心指導霊の魂

 桓武天皇と明治天皇の共通点には理由がある。『古事記』の最初に登場するのは「天御中主神」だが、この神は幸福の科学の霊査によれば、かつて地上に肉体を持って生まれ、その後は高天原の中心的存在として日本を導いてきた偉大な人格神である。

「この国の中心指導霊である、天御中主神という方は、発展・繁栄を非常に強く訴えかける神です。そして、日本神道では、この方がいちばん偉いのです。発展・繁栄型と調和型(天照大神)の二人の主導神が中心になって、日本を牽引してきているのです」(『未来の法』第3章)

 桓武と明治はいずれも、この天御中主神の魂が天皇として生まれた方なのです。神々が転生して民族を守ってきたのが、奇蹟の国・日本の真相である。

 

明治天皇 第122代 在位1867~1912年

   神意を求めて近代日本を開いた無私なる大帝

目に見えぬ神のこころに通うこそ人の心のまことなりけれ

 明治40(1907)年、55歳の明治天皇が「神祇」(天地の神々)の題で詠まれた御製である。言葉は平明だが口語訳すれば、「目に見えない神の心に通じることこそ、人間の心の誠である」といった意味である。

 我が国の歴史上最大の転機である明治時代に君臨された明治帝の生涯については、『明治天皇紀』という詳細な記録があるものの、天皇の日記や手紙は遺されていない。その代わり、多忙な公務の中で詠まれた10万首もの御製がある。もちろん、歴代天皇中最多である。

 その御製を数多く引用して『明治の御代』を著した明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏は、現状を憂えて言う。

「明治天皇のお考えを知りたいと思えば、御製をひもとくのが一番確実です。それなのに、明治天皇に関する本の多くが御製を無視している。教科書には、明治天皇の写真が一葉掲載されていればよいほうで、あとは一切天皇のご存在を無視した歴史記述になってしまっています」

「奇蹟の時代」の主人公

 明治の日本は、文明開化からほどない間に日清そして日露戦争に勝利し、白人優越主義を引っ繰り返して世界の有色人種に勇気を与え、欧米列強と肩を並べる強国となった。世界史上の奇蹟と言われるゆえんである。

 その奇蹟の時代を正しく理解するには、「明治時代の主人公」だったにもかかわらず、戦後教育の中で不当に消されている明治天皇の事績や人物像を、御製も通して理解することが必須です。

 そして、明治天皇の君徳の中心には、戦後教育から排除されたもう一つの要素である「信仰心」があった。日本の神々の心に通じんとする明治天皇の「まこと」が、あるときは真心あふれる御製となり、あるときは無言の感化力として臣下や民草を心服せしめ、国の守りと発展のために命を投げ出させたのではないでしょうか。

外国によき影響を与える日本であれ

 明治天皇の魂の本体は日本の中心指導霊・天御中主神である。

 『黄金の法』によれば、天御中主神は今から約2千8百年前に宗教政治家として地上に生まれた方で、ひとたび口を開いて発した言葉は必ず成就することで有名だった。これが、日本が「言霊の幸ふ国」(言葉の霊力が幸福をもたらす国)と言われる事始めの一つと思われる。明治天皇の御製にも、天御中主神の「言霊」に通じる力があったに違いない。

 天上界の明治天皇は、2009年、霊言でこれからの日本についてこう述べられた。

「『古きよき日本の護持』を言い続ける限り、日本には、再び鎖国に戻っていく以外に道はない。われら日本の神々の一柱の意見としても、『諸外国に、よき影響を与える国でありたい』とは思っている」

明治以降、欧米に追いつき追い越した日本が、今度は「諸外国によき影響を与える国」となる。このお言葉も必ず成就するでしょう。

 明治時代は、日本の長い歴史の中でも、天皇がリーダーとして政治を引っ張った数少ない時代でした。欧米列強の殖民地になる恐れが現実にありましたし、日清・日露戦争も経験した、日本史の中でも危機の時代だったわけです。

 戦後はGHQの占領政策の影響で明治天皇も非常に影が薄くなりましたが、崩御の際は英国の新聞が「偉人中の偉人であり世界史上に冠絶」と絶賛し、ペルシャの新聞も明治天皇を「全アジアに対する解放の神」と称えるなど、偉大な世界史的人物と見なされていました。

 明治天皇のリーダーシップの源泉は何処からくるものなのか。まず、歴代天皇は皆そうですが、神々の祭祀を非常に大切にされた。今の北朝鮮のような専制君主ではなく、天皇は神々に対して非常に謙虚であられた。そういう姿勢が天皇にあったからこそ、日本民族は天皇に中心帰一し、外圧を跳ね返したわけです。

 また、「自分が国民や兵士の模範にならなければ」という強烈な使命感のある方でした。これは西郷隆盛の薫陶の影響が大きかったと思いますが、例えば、寒い冬に周囲の者がストーブを用意しようとしても、戦地の兵士にはストーブがないからと許可されない。兵の艱苦を自分も一緒に引き受け、自分をどんどん無くしていって、民のために身を削った方と言えるでしょう。

祭祀だけでなく文化的にも国の中心

 日露戦争は、もし負ければ日本はロシアの殖民地かロシア領になっていたはずで、明治天皇はものすごいプレッシャーだったと思います。そういう過酷な環境の中でも、わずか1年ほどの間に7、8千首、一日平均20首もの御製の和歌を詠まれており、これはほとんど神業です。

 それらの御製には、戦地の兵や残された家族を案じるなど天皇の思いがストレートに詠まれており、新聞などを通して国民はそれをダイレクトに受け止めていました。こういう国は日本以外にありません。祭祀と和歌が日本の一番大きな伝統であり、明治天皇はその伝統を誰よりも体現した天皇だったのです。

 

昭和天皇

 昭和天皇は太平洋戦争の開戦に裁可を与えた。また、もっと早く戦争を終わらせる選択もあったかもしれないのに、あの時点まで長引いた面がある。そうした理由から、昭和天皇の戦争責任を追及する議論もなされてきた。

 だが、その問題を考える際に重要なのが、先の戦争に関する歴史認識である。日中戦争などに侵略的側面があったことは否定できないが、太平洋戦争がアジアやアフリカの植民地解放につながったプラス面も大きく、当時の日本をナチス・ドイツと同じファシズム国家と見なす戦勝国の論理は極端である。

 果たして日本は「悪の国」なのか? 一切の偏りを排して歴史を評価することが至難の業であるからこそ、最終的には神仏によって善悪の判定がなされる。大川隆法総裁の霊査では、昭和天皇は地獄で悪魔になっているヒトラーと違い、日本の高級霊界である高天原に還られ、神々の列に加わっておられる。

日本の天皇は、天照大神のご子孫であり、高天原の神々も歴史上、天皇家を選んで生まれてくることが多かった。だからこそ、日本民族は王朝断絶も植民地化も経験することなく、和を保って発展することができたのである。

 

天皇制は日本神道の神意と国民の信仰心で連綿と受け継がれてきた

 神武天皇の子孫が天皇として国を治める時代は長く続いてきましたが、歴史の舞台において、必ずしも政治的なトップであり続けたわけではありません。

 天皇は表に出たり隠れたりして、鎌倉幕府や徳川幕府などが政治の実権を握る時代もありました。それでも、日本で天皇による統治が長く続いてきた背景には、日本神道の神々の日本への愛があります。歴代の天皇は神々への祭祀を大切にし、過去の日本人も天皇に対して畏敬の念を抱いてきました。

 第二次世界大戦の前までは、天皇は「現人神」として、一種の信仰の対象でした。しかし、戦後、占領軍のGHQは、昭和天皇にいわゆる「人間宣言」をさせ、現行憲法が定める「象徴天皇制」に変わりました。いま、多くの日本人が信仰心を失い、無神論的な考え方が蔓延しているために、それに対する日本神道系の神々の怒りによって、天変地異などが多発している。天変地異から日本を守るためには、神仏への信仰心と神官の長である天皇への尊敬を取り戻すことが必要です。

 日本の天皇は天照大神の子孫であり、歴史上、高天原の神々も天皇家を選んで生まれてくることが多くありました。だからこそ、日本民族は王朝の断絶も植民地化も経験することなく、和を保って発展できたと考えられます。

 このように、日本が非常に高い格を持つ神々に、歴史的に護られてきた国だと確信することで、国として強くなり、自虐史観を払拭することもできるのではないでしょうか。

参考

 皇室の尊さは、「日本の主宰神である天照大神の直系の子孫」ということを前提に、日本神話とともに成り立っています。天皇は日本神道系の総帥であり、「神主の総領」なのです。

 天皇は、政治に関して象徴的な活動には加わりますが、本質的には日本神道の神々をお祀りし、神々の言葉をつなぐ存在です。天皇にとって最も重要な公務は「祈り」なのです。

 また、どの国でも「自分の国のために勇敢に戦った人は英雄として祀られる」ことは当たり前です。天皇陛下が自由に靖国神社にご参拝され、英霊を弔うことができるよう、国民は正しく「政教分離」を認識するべきです。

 

新たな国創りの神話が

 幸福の科学は、それぞれの国や民族が固有の文化や宗教を発展させることを尊重している。天皇についても日本の文化的・宗教的象徴として末永い発展を祈るものである。

 だが、21世紀のグローバル社会は、それぞれの民族が伝統宗教を守るだけでは済まない。世界が宗教対立を乗り越えて平和を実現するには、神官の長である天皇が仏教に帰依して、日本が平和に繁栄したのと同じことが、世界レベルで必要である。つまり、伝統や民族性は残しつつ、普遍的な宗教思想のもとで人類がまとまる必要がある。幸福の科学は、その普遍的思想となることを目指している。

 現時点での大川隆法総裁の霊言や霊査によれば、神武天皇、天智天皇、光明皇后、桓武=明治天皇らの魂は、今、若い世代の日本人として一斉に生まれている。なぜ、それほどの布陣が敷かれているのか。

 日本の神々は明治期や先の戦争において、天皇を中心として日本的な良さを世界に広げようとしたのかもしれないが、神道の力だけでは難しかった。今度は現代の仏陀の教えで日本を盛り上げ、その教えを広めながら日本的なものを発信して世界のさらなる繁栄と平和に貢献することが、神々の“リベンジ”であり、バージョンアップした「神国・日本」の理想なのではないでしょうか。

 新たな国創りの神話が いま始まっている。

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