世界に誇る日本史

 日中、日米関係においては、戦後の歴史ばかりが注目されがちだが、日本の歴史は戦後だけではない。千年単位で振り返れば、たちまち世界に誇れる「日本」の姿が立ち現れてくる。

 

1  飛鳥時代

7世紀に花開いた徳治国家

 神代の時代から、もう一段の文明化を目指して宗教的、思想的な土台から国づくりを行ったのが聖徳太子である。

 聖徳太子は、中国・朝鮮から伝来した仏教を取り入れて日本の礎をつくったが、その際、神道との習合を図り、日本独特の宗教に寛容な風土を創った。

 603年に、氏姓制にとらわれず能力によって人材を抜擢する「冠位十二階」を制定。翌年には「十七条憲法」を制定し、「必ず衆と論ふべし」(第十七条)と、千数百年も前の時代にすでに民主主義のルールを取り入れている。しかも、有名な第一条の和を尊ぶ精神は、現代まで続く日本の国是ともなっている。

 さらに、日本も含め周辺国が臣下の礼を取っていた中国(隋)に対して、かの有名な「日出づる処の天子~」という国書を送りつけ、独立国家としての日本の地位を築きあげた。

 また、聖徳太子は仏教を広めるため、四天王寺、法隆寺を建立。法隆寺は現存する世界最古の木造建築である。これらの寺院の建築にあたった金剛組は、578年創業の世界最古の企業で、現在も営業している。

2010 年は遷都1300年にあたった。中国・朝鮮半島からヨーロッパの都市は、外敵による侵

略を防ぐため、堅固な城壁に囲まれ、一日中兵士たちが門の通過を監視していた。その時代に、平城京では門はあったが、その周りを囲む城壁は省略された。それほど無防備でも問題ない平和な時代だった。

 

2 奈良時代

仏教史の頂点を究めた平城京

 聖徳太子が取り入れた仏教は、早くも奈良時代において、その歴史の最高峰に達する。

 仏法をもって国を護るという思想から、国ごとに国分寺や国分尼寺が建立され、それらの中心として東大寺が建造された。奈良の諸大寺では、南都六宗と呼ばれる諸学派が形成され、教義の研究が進められた。

 東大寺大仏殿は、唐にもインドにもない「三国一の大伽藍」であり、当時で世界最大の木造建築となる。本尊の盧舎那仏像も鋳造された仏像としては世界最大。大衆人気のあった僧・行基を中心に、のべ260万人が鋳造に参加したとされ、わずか7年で完成している。

 こうした大事業を行ったのが聖武天皇だが、その后である光明皇后の功績も偉大です。施薬院を設けて無料で貧しい病人の治療をし、悲田院を設けて親のない子供や障害のある子供を引き取って育てた。この時代に皇后の地位にある人間が、マザー・テレサ的な一般民衆の救済活動をした例など、どの国にも見られない。

 この時代に編纂された日本最古の和歌集『万葉集』には、天皇から防人や農民、遊女、乞食まで、身分の差なく歌が選出されていることも奇跡と言ってよく、渡部昇一氏の言う「歌の前の平等」が実現されている。

 

3 平安時代

千年王国を実現した平安京

 桓武天皇が開いた平安京も世界史的偉業です。アメリカの代表的な日本学者、ドナルド・キーン氏も、平安朝を「世界史上最高の文明」とまで絶賛している。

 そこでは、仏教、神道、密教、陰陽道などの宗教が政治と調和した宗教都市がつくられ、明治維新で首都が東京に移るまで千年以上栄えたという意味では、「千年王国」を実現したと言える。

 また、この時代、遣唐使が廃止されたことで国風文化が花開いた。紫式部の『源氏物語』は世界最古の長編小説であり、清少納言の『枕草子』も女性の書いた世界最古のエッセイである。

 この時代は、怨霊や疫病から逃れようとする御霊信仰もさかんになり、『源氏物語』『栄花物語』で怨霊が描かれたほか、来世への救いの望みが高まり、極楽往生に関する文章を集めた源信の『往生要集』が著された。ある意味では、現代よりも高度な霊性文明が実現していたのです。

 

4 戦国・江戸時代

世界最強の軍事力で平和を築いた江戸幕府

 武士の世となり、戦国時代に入ると、日本の実力はますます高まっていく。

 例えば、1543年にポルトガルから鉄砲が伝来すると、わずか32年後の75年には織田信長が長篠合戦で3千丁も使用するほど量産に成功。当時それだけの鉄砲をそろえていた軍隊はヨーロッパにもない。織田軍は世界最強レベルに達していた。

 その後、徳川家康が江戸幕府を開くと、江戸は18世紀初頭には人口100万人を超え、世界一の大都市として繁栄する。

 経済活動も盛んで、世界初の先物取引が大阪の堂島で始まり、江戸・大坂では通貨が異なるため為替取引も行われた。遠隔地への相場情報の伝達には、手旗信号が使われたが、奈良には長さ2メートルの当時世界最大の望遠鏡がつくられ、大坂から江戸まで8時間で情報が伝わったという。

 教育も充実し、各藩に武士用の教育機関である藩校が225校もつくられ、庶民の教育を担った寺子屋は幕末には約1万もあったと言われる。和算(数学)も世界レベルに発達した。さらに浮世絵はゴッホやモネ、セザンヌに大きな影響を与えた。

 江戸時代は鎖国をして「遅れていた」というのは大きな誤解と言えよう。

 「天下分け目の戦い」と呼ばれる関が原の戦いでは、日本全国の武将が東軍(徳川家康側)と西軍(石田三成側)に分かれて戦闘を繰り広げた。戦力については諸説あるが、一説では20万人近い軍勢が動員されたとも言われる。この戦いは当時世界最大規模だった。

 坂本龍馬は、藩意識の強かった幕末期に、初めて「日本」という発想を持ったと言われる。黒船を手に入れ、貿易によって経済力をつけ、軍備を増強するという、新しい時代の設計図を描いた。薩長同盟を結ばせ、明治維新の立役者となる。坂本龍馬がいなければ、明治維新そのものが起こらなかった可能性もあり、坂本龍馬という人物自体が幕末期の奇跡と言える。

 

5 幕末・明治時代

最速で列強に駆け上がった明治の奇跡

 平和と繁栄を謳歌した江戸時代も明治維新により終焉を迎える。だが、その無血革命によって、日本はアジアで最初の近代国家へと生まれ変わる。

 その歩みは驚くほど速く、1867年に新政府樹立の王政復古の大号令を発してから、わずか37年後の日露戦争でロシアを破り、全世界を震撼させた。

 当時は、白人優位説が圧倒的に強く、欧米列強による植民地主義が広がっていたため、有色人種の日本が白色人種のロシアに勝ったということは、アジアの奇跡であり、世界史の大きなターニング・ポイントとなった。

 陸上戦では、秋山好古が騎兵に馬から降りて機関銃を撃たせる奇策で、世界最強のロシア・コサック兵を封じ込めた。海戦では、日本の新技術「下瀬火薬」「伊集院信管」によって砲弾の性能が上がったこともあって、これも世界最強のバルチック艦隊を破り、日本海海戦で完全勝利を収めた。

 この戦争での日本の勝利によって、日本はアジアで唯一、欧米列強と肩を並べ、その後の繁栄を築いていくことになる。

 

日本の輝きを取り戻せ

 こうして俯瞰してみると、日本史は世界史上の奇跡そのものであることが分かる。

 ハーバード大学の国際政治学者、サミュエル・ハンティントン教授は、『文明の衝突』の中で、世界の文明を7つに分類しているが、他の6文明が複数の国からなるのに、日本だけは唯一単独の国家で日本文明とされている。日本は外国の文化を吸収しつつ、独自の文明を築いたわけで、そのこと自体が奇跡と言える。

 私たちは、その歴史や文化に自信と誇りを持ち、今こそ新たな日本の時代を開かなければならない。

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