戦いは仏教思想に反しないか

 侵略的な戦争はすべきでないが、現に世界には侵略的なことをする国があるので、国民を守れるだけの体制はきちんと整えるべきである。

 仏教には、侵略にあった場合に国を守る思想がないので、これによって釈迦族は滅びてしまった。原始仏教思想の欠陥には修正をかける必要があり、少なくとも国家・国民を守るというラインで中道の線引きをするべきである

 幸福の科学大川隆法総裁は、『国家の気概』で以下のように説かれました。

「私は、侵略的な戦争はすべきでないと思いますが、やはり、「一億三千万人の日本国民をきちんと守る気概を、国家として持つべきである」と明確に述べたいと思います。国民を守れるだけの体制は、きちんと整えるべきです。

 世界には、現に、侵略的なことをする国はあるのです。中国のチベット侵攻を見てもそうです。チベットのダライ・ラマ十四世は、法王兼首相ですが、中国の軍隊にいきなり侵攻されて国を奪われ、インドに逃れて亡命政府を立ててから、もう五十年になります。そのように、いきなり軍隊で襲ってくるようなことがあるのです。仏教の教えには、そういう場合に国を軍事的に守る思想はありません。「殺してはいけない」という思想は確かにありますが、それは自分に対する戒めであって、相手が自分を殺すのを禁じることはできないのです。そのため、軍隊に襲われたら、一方的に殺されてしまい、国を取られ放題になります。チベットは、こういう思想的な弱点を突かれたのです。この弱点自体は、釈迦の時代からありました。この思想のために、釈迦族は、ほぼ全滅しています。出家して僧侶になっていた約五百人は生き延びましたが、残りの人たちは、ほとんど殺されました。釈迦族は、他国に攻められた際に、仏教思想が弘まっていて争わなかったために滅びているのです。不殺生(アヒンサー)の思想を説いたのはよいのですが、相手が殺生をしてくる場合についての考え方が十分ではありませんでした。その結果、釈迦国は、慈悲を説き、平和を説いている宗教を信仰していたにもかかわらず、大量虐殺に遭って滅びてしまったわけです。やはり、「原始仏教には思想的に欠陥がある」と見るべきであり、修正をかける必要があると思います。  

 「殺すなかれ」という思想については、「相手に一方的に攻撃をさせる」というあり方を中道と考えるべきではなく、少なくとも、「国家、国民を守る」というラインで中道の線引きをするべきでしょう。日本の先の戦争についても、責任問題等、いろいろと議論があることは承知していますし、日本がやりすぎた面も当然あるとは思います。ただ、結果的に植民地が解放された面も確かにあり、功罪半ばするところがあったのではないかと思われます。そういう意味では、「六十数年前に戦争を起こしたから、日本は悪の国であり、自国を守る権利は一切ないのだ。何をされても文句は言えないのだ」という考え方では、やはりいけないのです。そのような思想は、これだけ繁栄した国を滅ぼす可能性を持っています。」

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