「大きな政府」と「小さな政府」

 「大きな政府」とは、言葉を換えれば「社会主義政府」であり、すべてに関して、国が丸抱えで物事を判断し、面倒を見る世界。

 一見、善いように見えるが、自分の体のなかに、麻薬を打ち続けているのと同じで、個人の生きていく力、コツコツと努力・精進する地味な力を失わせていく。その結果、民力は必ず衰えるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『危機に立つ日本』で次のように説かれました。

「今、自民党と民主党という二大政党が目指している方向は、間違いなく「大きな政府」です。政府が何もかもに手を出して、産業や個人の保護をし、それらに口を出し、そして、補助金で言うことをきかせるような政治を展開していこうとしています。その結果は、どうなるでしょうか。民力は必ず衰えるのです。もちろん、補助金を出し、ばらまく範囲が広がれば、選挙には強いのですが、民の力、国力は必ず落ちていきます。なぜかというと、それは、日本人全員を公務員化していこうとする流れと同じだからです。「大きな政府」というのは、言葉を換えれば、「社会主義政府」ということです。社会主義の世界は、日本人全体が公務員である世界と同じなのです。それは、「すべてに関して、国が丸抱えで物事を判断し、面倒を見る」という世界です。一見、親切で、善いことのようにも聞こえます。しかし、よく考えてください。もう一つ、これとは正反対の考え方があるはずです。それは、「この世において、自助努力をし、智慧を絞り、汗を流した人は、報われなければならない」という考え方です。「自助努力の精神」です。この考え方の背景にある法則を、仏教的には「縁起の理法」といいます。正しい方向で努力しなくても、いくらでも援助を引き出せる世界は、一見、善いように見えますが、これは、自分の体のなかに、麻薬、麻酔を打ち続けているのと同じです。最初は心地よく感じられます。そして、痛みがなくなったように思います。自分が救われたように思います。モルヒネやLSDなどを体内に摂取し続けてごらんなさい。最初は天国気分かもしれません。この世の憂さを晴らすことができて、極楽かもしれません。一切のストレスから逃れられるように見えるかもしれません。大きな政府による「ばらまき政策」は、それと同じなのです。体のなかに有害な薬物を打ち込むと、個人の生きていく力、コツコツと努力・精進する地味な力を失わせていきます。そして、この国の国力を高め、この国の倫理、理想を高め、世界の人々を導こうとする、そういう高い志を持った人たちの心が、次々にむしばまれていく世界になるのです。たとえ苦しくとも、その阻害要因さえ取り除けば自立できる企業はあるはずです。したがって、企業においても、大いに智慧を絞り、アイデアを絞り、発展・繁栄への道を歩んでいただきたいのです。個人においても、その努力を阻害しているものさえ取り除けば、自助努力によって道を拓いていけて、成功者が出てくるような世界をつくりたいのです。そのようにしなければ、あなたがたには、この世に生まれた意味がありません。あなたがたが、この世に生まれて、生きたという実感、確かによく戦ったという実感、本当の意味における、人生の生きがい、喜びというものを、手にすることができないのです。」 

 

 そもそも、「大きな政府」「小さな政府」とはどういう意味でしょうか。それぞれのメリット、デメリットを比べながら、考えていきます。

大きな政府は、国民が楽できる?

 「大きな政府」とは、国民のさまざまな活動に介入する政府のことを言います。例えば、何か新しい建物をつくるときに、さまざまな規制を設けて自由な経済活動を阻んだり、「大学とはこういうものでなければいけない」などと許認可を増やして、政府の役割を大きくしていきます。

 もちろん、集めた税金を使って、高齢者や病気の人々の福祉環境を充実させたりもします。しかし、多くの人々にお金をばら撒くためには、その分、多くの税金を国民から集めなければいけません。

 その結果、市場の自由競争が失われたり、民間企業や個人商店などの活力が奪われたりします。国民は「どうせ政府が面倒を見てくれるのなら、なるべく働かず、楽をしよう」と考えるようになります。

小さな政府は国民が大変?

 「小さな政府」の下では、政府の介入は必要最小限とされ、民間でできることは民間に任せていく流れになります。政府の邪魔が少ないので、新しいアイデアで起業したり、企業も個人も自由な発想で経済活動を進められます。

 一方、税金が安くなる代わりに、老後の生活や病気への対応は個人個人の責任となるので、「働かざる者、食うべからず」で、各人が一生懸命働かなくてはいけません。また、戦前に年金制度がなかったように、家族間や親戚間での助け合い・支え合いの精神を取り戻さなければなりません。

 では、今後日本政府はどちらの方向を目指すべきでしょうか。大川隆法総裁は、『智慧の法』で次のように述べています。

「『大きな政府』に頼るのではなく、各人一人ひとりが、人間としての質を上げなければなりません。『大きな政府』は、必ずと言ってよいほど、国民の堕落を招きます。これは歴史が証明していることです。大きなものに頼ろうとしすぎることは危険です」

 

大きな政府に文句を言えば消される

 「大きな政府」の典型例は、旧ソ連です。あらゆるものを政府がコントロールするため、食料や日用品なども、いつどれぐらいつくるかということまで政府が決めます。食べ物も配給制で、国民はパン一つを買うためにも、長い列をつくらなければいけませんでした。

 「それぐらい我慢できる」と言う人もいるかもしれませんが、怖いのはここからです。

 あらゆる決定を政府が行う社会では、政府の上層部が私腹を肥やしていきます。また、政府の計画が失敗した時、それに不満を言ったり命令に従わない人々は殺されます。旧ソ連では、密告が奨励され、自分の親を密告して表彰された少女もいました。もちろん、その親は収容所送りです。つまり、大きな政府の下では、国民の「自由」が奪われるだけでなく、国民の「生命」が政府に握られ、「恐怖政治」が行われるのです。

 安倍政権は、増税やバラマキ政策などで大きな政府に向かおうとしていますが、今後、日本が発展していくために必要なのは「小さな政府」です。それと並行して、国民自身も政府に頼るのでなく、創意工夫によって個人も社会も発展させていく努力をしなければいけません。

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