お金儲けは悪か

 幸福の科学大川隆法総裁は、『希望の法』で次のように説かれました。

「旧い宗教を信じている人は、お金に対する拒否感が極めて強いことが多いのですが、それ以外に、現代では、共産主義や社会主義にかぶれている人たちも、たいてい、「お金儲けは悪」「大企業イコール悪」というような言い方をするので、要注意です。そのような言い方は、一定の批判としてはかまいませんし、マスコミも、彼らなりの使命感があって言っているのだとは思います。しかし、そういう批判のなかに、人の努力を正当に認めない心、人が努力して成功することを認めない心があるならば、批判をしている人自身もまた、努力して成功するようにはならないのです。そのことを知らなければいけません。「お金持ちイコール悪。大会社イコール悪。企業家として成功した者は悪。お金が集まれば、すべて悪」と言っていたならば、その人自身が豊かになることはまずないと考えてよいのです。こういう考え方を、人生のわりあい初期において、すなわち、二十代の前半ぐらいで持っているかどうかによって、人生の道筋は、はっきりと分かれます。個人として清貧で生きることは結構です。昔のお坊さんは、みなそうだったので、清くつましく生きること自体はよいことだと思います。ただ、そういう人のなかに、自分は働かずに人の援助で生きようとする人がいるので、それに対しては要注意です。何のことはない、親からお金をもらって生きているだけの人がいます。パラサイト・シングルというのでしょうか、「独身のままで親の家に住み、食事付きで楽々と暮らしていて、ときどき、お金が必要なときだけ働いて、それ以外は働かない」という人がいるのです。清貧の思想を語る人のなかには、こういう、働く気のない人がかなりいます。しかし、それは、結論的には、ほかの勤勉な人から奪っていることになるのです。税金も納められずにいながら、「よかった。得をした。もっと稼ぐと税金を払わなければいけなくなるから、これ以上は稼がないようにして、アルバイトで生きていこう」などと考える人もいるでしょうが、こういう思想で豊かになることは決してないのです。やはり、「税金を払わずに生きていくことは、国民として恥ずかしいことだ。税金を払えるようになりたいものだ」と思わなければいけません。税金を払おうが払うまいが、公共施設などで、さまざまな便益は得ています。道路は使えますし、公園も学校も使えるでしょう。税金を払っていなくても、そういう公共施設は使えているのですが、それは税金を払っている人のおかげなのです。個人であろうと企業であろうと、税金を逃れて得をしたような気持ちになっているようでは駄目なのです。」

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