学問や教養は本来「人から人へ」伝わるもの

 「学校に行かず塾だけでよい」という考えもありますが、世の中にはいろんな子がいるということを知るうえでは、公立学校に行く意味もあると思います。

 ただ、公立の先生方も、もっと自分の学校を魅力ある場所にする努力や生徒を集める努力をしてほしい。保護者や子供の立場で言うなら、単に学費が払えるから私立に行くとか、払えないから公立で我慢するとかでなく、教える中身の良し悪しで公立学校も選べるようになってほしいものです。 

 学問や教養は本来、「人から人へ」伝わるもの。明治以来の官主導で全国一律の学制は、確かに国民の基礎レベルを上げることには成功した。だが、高みを目指す教育は、幕末の私塾のように弟子が師を選び師が弟子を選ぶ、プライベートで主体的なあり方が原点ではないでしょうか。

 今の公立学校の児童生徒や保護者は、教師を選ぶ「選択の自由」を事実上奪われている(一部で学校選択制は始まっているが)。どんな教師に当たるかは子供の学校生活を左右する最大のファクターである。問題ある教師が担任になったら1年間逃げられないことの災難を知らない親はいない。

 ゆえに、国民は、自分や我が子が通いたい公立学校や教わりたい教師を選ぶことができ、場合によっては学校に行かないという選択も堂々とできる「教育選択の自由と権利」を、もっと保障されねばならない。教員の側にしても、近隣の公立や塾とのフェアな自由競争の中に身を置き、生徒に選ばれたり選ばれなかったりする厳しさのなかで己れの実力を磨いてこそ、教師の本懐を遂げられるというものでしょう。

 民営化によって教育に真の自由主義をもたらし、人材輩出面においても「自由からの繁栄」を実現することが時代の要請なのです。

参考

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