ドラッカー リーダーシップとフォロワーシップ

 ドラッカーは、リーダーというものを「独立した実体」とは見ない。むしろ「機能」や「働き」と見る。リーダーがリーダーである理由は一つしかない。「フォロワーを持つこと」である。

 リーダーシップとは、フォロワーシップがあって初めて成立する“対話的な行為”であるとドラッカーはとらえる。対話には相手が必要である。いかに力強いリーダーシップを発揮しようと思っても、誰もついてこないのならば、口げんかさえまともにできない。

 

できるリーダーは「口を閉ざす」

 一般に、有能なリーダーというと、弁舌さわやか、理路整然と自説をまくしたて、常にエネルギッシュで疲れを知らぬ、そんな人間像を思い浮かべるかもしれない。ドラッカーは言う。

 「リーダーとしての能力の第一が、人の言うことを聞く意欲、能力、姿勢である。聞くことはスキルではなく姿勢である。誰にもできる。しなければならないことは、自分の口を閉ざすことである」(『非営利組織の経営』)

 ドラッカーの観点からすれば、 もっとも大切なのは「相手の話を聞く能力」である。そのための方法は「自分の口を閉ざす」ことだけである。

 だが、これが案外簡単ではない。ときに確固たる自説のあるテーマにおいて、何も言わずにいるほどの苦役はない。つい機会をとらえて何か言いたくなる。それでも、聞き手に徹しなければならない。

 

自らを仕事の下におく

 ドラッカーによれば、リーダーに必須の資質というものは存在しない。

 チャーチルは、自らの資質によってではなく、目的によってリーダーシップを発揮した。さらに後進の政治家を育て後押しした。それこそ、リーダーの証だった。「なされるべきことをなす」、 リーダーの仕事はそれだけであることをチャーチルは教えている。

 最悪のリーダーは、ヒトラー、スターリン、毛沢東であるとし、いずれもがカリスマを基盤とする支配であったと断じている。

 しばしばカリスマ性をリーダーの資質に挙げる人がいるが、間違いである。パフォーマンスの低さにあるのではない。あてにならないところにある。カリスマとはどこまでいってもリーダー本人に体化した特性であって、学びとることも教えることもできない。

 リーダーには、ある種の健全な無頓着というか、自らを仕事の下に置くこと、言い換えれば「自らは仕事の手段である」とする割り切りがなくてはならない。

 「仕事の重要性に比べれば自分などとるに足りないことを認識することである。リーダーには客観性、一種の分離感が必要である。リーダーたる者は自らを仕事の下におかなければならない。仕事と自分を一体化してはならない。仕事はリーダーなどより重要であって、リーダーとは別個のものである」(『非営利組織の経営』)

 

リーダーの姿勢は学べる

 ドラッカーが教えるのは、リーダーシップは一つの方法論であって、誰にでも習得できるものでなければならないということである。幸いなことに、リーダーたるものの姿勢は学ぶことができる。まずはリーダーとしての姿勢を身に付けることである。

 GM(ゼネラル・モーターズ)のCEOアルフレッド・スローンをはじめとする力あるリーダーに共通するのは、自らの組織に友人を持たなかったことである。そもそも、会社は友人をつくる場所ではない。ドラッカーは言う。

 「一流のチームをつくる者は、直接の同僚や部下とは親しくしないということである。好き嫌いではなく何をできるかで人を選ぶということは、調和ではなく成果を求めるということである。そのため、彼らは、仕事上近い人間とは距離を置く」(『経営者の条件』)

 リーダーは影響力を持つ。自らの何気ない一言や所作が、思いもしないかたちで周囲に大きな影響力を持ってしまう。その影響力の根源がどこにあるのか、そのことをまず理解しなければならない。

 

地位ではなく責任

 しばしば、リーダーは地位だと誤解される。リーダーは地位でも権限でもない。まして特権ではない。カリスマや人気取りで運営される組織は、必ず潰し合いになる。組織として脆弱である。

 「リーダーとは地位ではなく責任である」

 ドラッカーは、このフレーズを役員室に大書しておくべきだという。リーダーはフォロワーがいなければリーダーたりえない。言い換えれば、彼をリーダーにしてくれているのはフォロワーであり、リーダーは組織に対して重い借りを負っている。

 リーダーの仕事は、フォロワーの強みを最大化することである。フォロワーは、自らの能力の開発に力を貸してくれるという暗黙の約束があるからこそ、リーダーについていく。リーダーの地位にあることを特権のように感じる時点で、その人はリーダーに向いていない。

参考

リーダーシップとフォロワーシップ

 「信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーの言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である」(参考 『未来企業』)