リーダーシップとフォロワーシップ

 「リーダーシップ」という言葉は、一般的によく耳にする言葉だと思います。しかシ、「フォロワーシップ」という言葉は、ほとんど聞く機会のない言葉だと思われます。

 企業組織などの人の集団には、リーダーがいる一方で、リーダーに付き従う人たちがいます。この人たちをフォロワーと呼びます。リーダーシップとは、一般的にリーダーがフォロワーを統率、指導することにより及ぼす力のことを指します。

 一方、「フォロワーシップ」とは、フォロワーがリーダーに対し発揮する影響力を指し、ある意味、「リーダーシップ」と表裏一体の関係にあると言えるでしょう。

 悪しきリーダーのもとで活動するフォロワーは、その態度次第で組織をさらに悪化させたり、好転させたりできる存在です。また、フォロワーの立場から、リーダーをある程度マネジメントすることさえ可能です。フォロワーシップは語られることが少ないながら、実は重要な課題であると言えます。

 現在のビジネス界では、「リーダーシップ教育」が各国で隆盛しています。特に1990年代以降は、毎年様々な研究成果が発表されるようになり、実業家のニーズの高まりとともに、リーダーシップ教育もビジネス分野にとどまらず、政治、医療、教育など多くの分野に及んでいます。

 リーダーシップ研究において、「リーダー」については多くが語られるものの、もう一方の当事者であるフォロワーについては、ほとんど語られることのない時代が長く続きました。

 ビジネスの経験が少ないビジネスマンは、リーダーよりもフォロワーの立場である場合が圧倒的に多いと思います。しかし、「フォロワーシップ」についての教育が行われているケースは現在でもほとんどありません。

 就職活動を控えた学生でさえも、フォロワーを飛び越えて「リーダーシップ研修」が普通に行われています。

 この「フォロワーシップ」が実業の現場でほとんど取り上げられず、「リーダーシップ」だけが取り上げられる理由としては、「フォロワーシップ」という言葉に人が興味を示しづらいという側面もあることでしょう。それにもまして、「全ての人々はリーダーを目指すものだ」という暗黙の合意があるからだと思われます。

 しかし、本当にそうでしょうか。政治を例に引いて考えてみましょう。日本の総理大臣と国民の関係は、一つのリーダーとフォロワーの形といえるでしょう。しかし、全ての人々が総理大臣になることを望んでいるわけではありません。

 日本人は、特に近年、政治への関心が薄くなってきていると言われていますが、それでも、フォロワーである国民の意向は、内閣支持率などのかたちで政治の中枢に届き、総理大臣の去就にも影響を与える大きな力を持っています。

 「フォロワーシップ」を学び、重要性を理解することで、フォロワーの立場からリーダーの意思決定に影響力を及ぼすことができるのです。「フォロワー」である国民がうまく立ち回れなければ、国家の衰退に結びつくことになります。

 フォロワーは、必ずしもリーダーの予備軍ではなく、リーダーに強い影響力を持つ安定的に重要な存在にもなりうるのです。

 

リーダーシップビジネスが突き当たっている壁

 米国ハーバード大学のケネディスクールでリーダーシップ研究者として有名なバーバラ・ケラーマンは、リーダーシップ研究を企業や学校教育の場で教授したり、企業のトップマネジメント層や政治家にアドバイスを行うことを「リーダーシップビジネス」と定義しました。

 ケラーマン自身が過去から現在に至るまで深くかかわり、現在隆盛を誇っているリーダーシップビジネスですが、彼女は、決して成功しているとは言えないと、自戒も込めて語っています。

 その理由のひとつは、「リーダーシップビジネス隆盛の陰でリーダーたちのおそまつな行動が目立ち、むしろリーダーの質は悪化の度を増している」という現実にあるとしています。

 実際、現在の企業トップや国家指導者たちが、自己保身や自己の利益のために動き、違法行為を犯す事例が後を絶ちません。 

 集団を率いていくリーダーのことをフォロワーは今一つ信頼できておらず、現実問題として、リーダーがフォロワーに対して行った約束も結局は果たされないという事態が多発しています。

 ケラーマンは、これらの課題に対し、リーダーシップビジネスは現状では十分な貢献ができていないと主張するとともに、リーダーの行いを評価し、より良い方向に是正するフォロワーシップの重要性を唱えているのです。

 

リーダーの暴走阻止とフォロワーシップ

 ケラーマンは、リーダーシップビジネスを否定しているわけではありません。将来のリーダーシップ教育には、自分の組織に直接関係あるところだけではなく、環境問題、ステイクホルダー、国際的な協調といったより広い視点を取り込むことが必要だと説いています。

 それにより、リーダーの不法行為の阻止、暴走への歯止め、健全な倫理観の醸成が実現する可能性が高まると考えているからです。

 ケラーマンは、リーダーの方がフォロワーよりも重要だと多くの人が思っていることに疑問を呈しています。

 その理由の第一は、世の中では、実際には全員がリーダーになるわけではなく、フォロワーの立場で長く居続ける者もおり、リーダーになることを望まない者も数多く存在していることです。

 第二の理由は、インターネットの影響で、リーダーの悪評が拡散しやすく、リーダーの威厳を維持するのが困難な時代になってきていることを挙げています。そのため、相対的にフォロワーの勢いが増している状況だと説明しているのです。

 悪しきリーダーの暴走をくい止めることができるか否かは、フォロワーの態度次第だといえます。過去の「リーダーシップビジネス」が、フォロワーを軽視あるいは無視し、リーダーの視点に偏りすぎていたという反省から、リーダーシップ教育だけではなく、フォロワーシップの教育もあってよいとケラーマンは主張します。

 

ケラーマンによるフォロワーのタイプ別分類

 ケラーマンは、フォロワーはリーダーを評価している場合には従順になり、評価できないと考えた場合には反発する存在であると考えました。活動の積極度合を尺度に、フォロワーを以下のとおり、5つのタイプに分けています。また、一人のフォロワーがリーダーとの関係性において、タイプが変わることもあります。

 ・孤立派:リーダーに無頓着、知ろうとしない

 ・傍観者:意図的に身を引いて傍観しリーダーや仲間との関係を断とうとする

 ・参加者:ともかく関わる リーダーを好いているか、敵対している

 ・活動家:リーダーに従順か反抗的かに関わらず、思い入れが激しく、人々や活動に最大限の精力を注ぎ込む

 ・筋金入り:リーダーのためなら死ぬ覚悟、又は追い落とすためなら手段を選ばない

 

ロバート・ケリーの「模範的フォロワー」

 1992年、カーネギーメロン大学のロバート・ケリーは、将来リーダーの立場となった場合に、効果的なリーダーシップを発揮できる「模範的フォロワー」とはどのようなものかを公表しました。

 独自の視点で行動し、かつ、積極的に業務に関与して担当以上の実績を残しているフォロワーを模範的フォロワーだと定義付けています。

 ケリーによると、模範的なフォロワーは以下3点のスキルを持ちます。

1 仕事において付加価値を生み出す 明確な目的を持ち、目標達成のための「肝心なこと」を見出す。全工程を理解し、さらに、視野を広く持ち、新たな工夫にも取り組む。

2 組織において人間関係を育む 第一に、チーム内の人間関係、第二に、チーム外の組織的ネットワークにおける人間関係、第三に、リーダーとの人間関係を構築できるように努力する。

3 人間関係を円滑に運ぶ、「勇気ある良心」を身につける リーダーが間違った指示をした場合に、勇気をもってノーを言うことができるようにする。

 

ドラッカーによる「リーダーシップとフォロワーシップ」

 ドラッカーは、『プロフェッショナルの条件』にて、リーダーシップについてこう述べています。

 「リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である」

 また、著書の中では、リーダーシップの定義として以下のようにも述べています。

 「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである」

 リーダーシップは、才能や性格に左右されるものではなく、「仕事」であるということです。そのため、新入社員であっても、率先して仕事で成果をあげるために、自発的に動き、結果的にチームも同じように動いた例があれば、それも一つのリーダーシップになるといえます。

 リーダーシップが大事だという話は、社会人になるよりも前の高校・大学時代においてもよく耳にしたのではないでしょうか。人によっては、就職活動で自身のリーダーシップに関する経験を話したことがある方もいるでしょう。

そのため、必ずしも上司や管理職、経営層にだけ当てはまるものではなく、チームに所属していれば、誰にでも求められる能力だといえます。

マネジメントとの違い

 マネジメントは目標達成のために、主に上司が部下に対してあらゆる施策を行うことをいうため、対象は部下を持つ上司になります。一方、リーダーシップは、部下がいる・いないに関わらず、チーム全体をひっぱることはすべてリーダーシップだといえます。

 ドラッカーは、リーダーというものを「独立した実体」とは見ない。むしろ「機能」や「働き」と見る。リーダーがリーダーである理由は一つしかない。「フォロワーを持つこと」である。

リーダーシップとは、フォロワーシップがあって初めて成立する対話的な行為であるとドラッカーはとらえる。対話には相手が必要である。いかに力強いリーダーシップを発揮しようと思っても、誰もついてこないのならば、口げんかさえまともにできない。

できるリーダーは「口を閉ざす」

 一般に、有能なリーダーというと、弁舌さわやか、理路整然と自説をまくしたて、常にエネルギッシュで疲れを知らぬ、そんな人間像を思い浮かべるかもしれない。ドラッカーは言う。

 「リーダーとしての能力の第一が、人の言うことを聞く意欲、能力、姿勢である。聞くことはスキルではなく姿勢である。誰にもできる。しなければならないことは、自分の口を閉ざすことである」(『非営利組織の経営』)

 ドラッカーの観点からすれば、もっとも大切なのは「相手の話を聞く能力」である。そのための方法は「自分の口を閉ざす」ことである。だが、これが案外簡単ではない。ときに確固たる自説のあるテーマにおいて、何も言わずにいるほどの苦役はない。つい機会をとらえて何か言いたくなるものである。それでも、聞き手に徹しなければならない。

自らを仕事の下におく

 ドラッカーによれば、リーダーに必須の資質というものは存在しない。

 チャーチルは、自らの資質によってではなく、目的によってリーダーシップを発揮した。さらに後進の政治家を育て後押しした。それこそリーダーの証だった。「なされるべきことをなす」、リーダーの仕事はそれだけであることをチャーチルは教えている。最悪のリーダーは、ヒトラー、スターリン、毛沢東であるとし、いずれもがカリスマを基盤とする支配であったと断じている。

 しばしば、カリスマ性をリーダーの資質に挙げる人がいるが、間違いである。パフォーマンスの低さにあるのではない。あてにならないところにある。カリスマとは、どこまでいってもリーダー本人に体化した特性であって、学びとることも教えることもできない。

 リーダーには、ある種の健全な無頓着というか、自らを仕事の下に置くこと、言い換えれば「自らは仕事の手段である」とする割り切りがなくてはならない。

 「仕事の重要性に比べれば自分などとるに足りないことを認識することである。リーダーには客観性、一種の分離感が必要である。リーダーたる者は自らを仕事の下におかなければならない。仕事と自分を一体化してはならない。仕事はリーダーなどより重要であって、リーダーとは別個のものである」(『非営利組織の経営』)

リーダーの姿勢は学べる

 ドラッカーが教えるのは、リーダーシップは一つの方法論であって、誰にでも習得できるものでなければならないということである。幸いなことに、リーダーたるものの姿勢は学ぶことができる。まずはリーダーとしての姿勢を身に付けることである。

 GM(ゼネラル・モーターズ)のCEOアルフレッド・スローンをはじめとする力あるリーダーに共通するのは、自らの組織に友人を持たなかったことだすです。そもそも会社は友人をつくる場所ではない。ドラッカーは言う。

 「一流のチームをつくる者は、直接の同僚や部下とは親しくしないということである。好き嫌いではなく何をできるかで人を選ぶということは、調和ではなく成果を求めるということである。そのため彼らは、仕事上近い人間とは距離を置く」(『経営者の条件』)

 リーダーは影響力を持つ。自らの何気ない一言や所作が、思いもしないかたちで周囲に大きな影響力を持ってしまう。その影響力の根源がどこにあるのか、そのことをまず理解しなければならない。

地位ではなく責任

 しばしば、リーダーは地位だと誤解される。リーダーは地位でも権限でもない。まして特権ではない。カリスマや人気取りで運営される組織は必ず潰し合いになる。組織として脆弱である。

「リーダーとは地位ではなく責任である」

 ドラッカーは、このフレーズを役員室に大書しておくべきだという。リーダーはフォロワーがいなければリーダーたりえない。彼をリーダーにしてくれているのはフォロワーであり、リーダーは組織に対して重い借りを負っている。

 リーダーの仕事は、フォロワーの強みを最大化することである。フォロワーは、自らの能力の開発に力を貸してくれるという暗黙の約束があるからこそ、リーダーについていく。リーダーの地位にあることを特権のように感じる時点で、その人はリーダーに向いていない。

 「信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーの言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である」(参考 『未来企業』)

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