MBAに苦言を呈する
MBAの講義では、極端な「利益の極大化」「市場至上主義」「効率性」を求め、倫理や道徳が置き去りにされています。
「マネジメントの父」と呼ばれるピーター・F・ドラッカー(1909~2005年)は、以下のように指摘しています。
「マネジメントとは実践である。したがって、マネジメントの仕事に免許を与え、あるいは特別の学位をもつ者だけに資格を与えることによってマネジメントを専門職化することほど、経済と社会に害をもたらすことはない」(『現代の経営・上』)
経営は単なる金儲けでなく、人を幸福にすることによって成り立つものです。その人間の幸福とは何かを明らかにしている経営成功学からは、経営の真髄を学べます。
アメリカに留学して「MBA」(経営学修士)の資格を取って来た方が、経営陣に入って活躍したり、起業するというのがちょっとしたブームのようになっていた時代もあったと思います。
ところが、ドラッカー霊は、大学院で過去の事例を用いてケーススタディを学んで取得するMBAでは、もはや新しい事態に対応できない時代になってきている。そこで必要なのが「パイオニア精神」という。
今は何ももっていないかもしれないけれども、こんなに変化の激しい時代には、それが逆に、勇気を持ってチャレンジしていくためのエネルギーになる、そんな若者たちの出番だということでしょう。
幸福の科学大川隆法総裁は、『ドラッカー霊言による「国家と経営」』で、経営学者であるドラッカーの霊の言葉(「霊言」)を次のように伝えておられます。
「また、日本は、アメリカと違って、大学院を出ても、必ずしも就職には有利にならないんですよね。
なぜかというと、年を取るからです。大学院に行くと、二年ないし五年、年を取りますが、そういう人が、新入社員と同じ仕事を与えられたら、仕えにくいに決まっています。年下の上司や先輩に仕えなければいけないので、やりにくいのです。また、そういう人は教育しにくいので、あまり企業が喜ばないわけですね。
さらに、日本の大学院などには、「学問自体の実用性が低い」という難点があります。教える先生がたが、実務に精通していないわけです。
アメリカの大学院では、実際の実務家というか、社会で働いている人を先生として呼んできて、教えさせたりしています。
また、アメリカでは、大学院に行く人のほうも、実社会で何年か働いたあと、“リハビリ”として大学院で学び、実務家に教わってから実社会に戻ると、以前よりも知識が増え、経験に知識が加わって、さらに仕事ができるようになる場合もあるのです。
日本のほうには、「学問における純粋主義が強すぎる」というところがあります。
ただ、そのアメリカも、「何年か社会経験を積んだ人を、一流の大学院に呼んで、勉強をさせ、MBAを取らせて、社会に戻し、エリートにする」というシステムはあるものの、これが、今、機能不全に陥ってきています。
経営のケーススタディをやって、「昔、こういう会社で、こんなことがあった」という、過去の事例を掘り起こしてみても、新しい事態に対応できないようになってきているのです。
新しい事態に対応するには、過去のケースの勉強では、もう無理になってきており、やはり、「パイオニア精神」が必要になるのです。
パイオニア精神を教えることはできません。これについては、「勇気を持ってチャレンジしていく」ということ以外になく、教える教科書はないのです。
あえて手助けをするとすれば、ベンチャー企業をつくるための資金をつけてやることぐらいが、精いっぱいのところでしょう。
あるいは、「起業を志す人たちは、自分の企業をつくって独立する前に、経営に役立つ経験のできる企業で、少し徒弟奉公的に勉強をすることができる」というスタイルを、上手につくり上げることぐらいしかないんですね。
そういう意味では、一定の社会経験を積んでから独立することを、よしとする風潮をつくるか、起業時に融資等をしてあげることが大事ですね。
「過去のケーススタディで勉強すれば、エリートになれる」というやり方は、もうそろそろ、通用しない時代になってきています。(103~106ページ)