小さな会社の経営

 小さな会社の経営者は、あらゆることに精通していることが求められる。

 小さな会社の社内には、そんな社長に代わるような優秀な人材はいない。だから、従業員が社長の考えや悩みが理解できないのは当然のことと知るべきである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「大会社の場合には、組織がしっかりしており、資金力もあり、人材も豊富なので、管理能力が高ければ、経営者として十分にやっていけることが多いのですが、小さな会社の場合は管理能力だけでは十分ではありません。
 小さな会社の経営者は、オールマイティー(万能)であることが求められます。あらゆることに精通していなければならないのです。それは生きがいであり、また、人生における最大の喜びの一つでもあるのですが、同時に、苦しくつらい修行でもあります。
 経営者のみなさんは、おそらく、胃が痛み、夜も眠れぬ日々が続いていることでしょうが、それは経営者に特有の苦しみなのです。
 小さな会社であっても、従業員はそこまで悩みません。「給料が払えるか」「会社が潰れないか」「会社が発展するか」「新事業がうまくいくか」「土地の買収は正しい判断か」「工場はうまくいくか」などといったことを考えて苦しむのは経営者なのです。
 そのような苦しみを抱えているので、経営者が宗教に道を求めるのは、ごく一般的な姿でもあります。実際に、幸福の科学には数多くの経営者が集ってきています。
 ところが、従業員のほうは、夜も眠れないような悩みや苦しみを持ってはいないため、経営者がそこまで苦しみ、宗教に道を求めているということを、なかなか理解できないものです。
 例えば、幸福の科学の経営者向けの研修などに参加している人たちも、そのことで、やるせなさを味わっていることが多いのではないでしょうか。
 「自分がこれほど苦しみ、道を求め、一条の光明が射してくるのはどこなのかを、考え、考え、考え続けているのに、部下たちは何も考えておらず、一緒に悩んではくれない。彼らは自分の週末の行動や給料のことしか考えていない。あるいは、自分に課せられた目標の達成しか考えていない」
 このような不満を持っていることだろうと思います。
 そして、従業員のなかには、社長が幸福の科学に入会し、熱心に活動したりすることに対して、不快感をあらわにしたり、批判をしたり、陰口をたたいたりする者もいることでしょう。それに対しては腹も立つでしょうし、理解してもらえない悔しさで、地団駄を踏んでいる人もいるかもしれません。
 しかし、私はそういう社長に言っておきます。従業員が数人から百人ぐらいまでの小さな会社においては、社長に代わるような人材は、社内にはいないのです。
 したがって、従業員に、社長の考えや悩みが理解できず、社長が何を判断しようとしているのか分からないのは、当然のことなのです。これを知らなければいけません。」
(126~129ページ)

 小さな会社では、奥さんはもちろん、兄弟や子供が社内の重要な仕事をしている同族経営が多いが、それを恥じる必要はない。

 小さな会社では、信用できる人材が身内以外になかなか手に入らないのが実情だから、トップ自身が、自分の能力を二倍、三倍に伸ばすことを心掛けていかなくてはならない。

 その意味で、宗教修行は、経営者にとって非常に役立つものである。

 総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「小さな会社においては、奥さんは社長のよき相談相手であり、また、参謀でもあります。そして、経理関係の仕事もしていることが多いと思います。小さな会社では、お金の管理を安心して任せられるのは、普通は奥さんぐらいしかいません。いきなり他人に“財布”を渡しても、お金をごまかされたり、場合によっては、持ち逃げされたりすることもあります。
 その意味では、創業者の最初の協力者は奥さんでしょうし、奥さんの出来がよければ、一生の成功だと言えるでしょう。
 したがって、奥さんの能力や働きを十分に評価してあげるとともに、奥さんによく感謝することが必要なのです。
 さらには、奥さんだけでなく、自分の兄弟や子供が社内の重要な仕事をしていることもあるでしょう。そういう同族経営であることを決して恥じる必要はありません。日本の企業の大多数は同族経営なのです。
 ただし、小さな会社においては、信用できる人材が身内以外にはなかなか手に入らないのが実情です。大きな会社になれば、たくさんの人を採用でき、よい人材も得られますが、小さな会社には、よい人材はあまり入ってきません。トップの言葉をよく理解してくれる質の高い従業員は、極めて得にくいのです。
 従業員数が十人や二十人の会社では、経営者の語ることについて、それが指示なのか、相談なのか、あるいは単なる雑談なのか、この区別さえつかないレベルの従業員がほとんどであると言ってよいでしょう。使い走り程度にしか働いてくれない従業員が多いわけです。
 このようななかにあって、社長の考えや心を理解してくれる妻の存在は、非常にありがたいものなのです。また、自分の息子が後継者として名乗りを上げ、手伝ってくれているならば、これも非常にありがたいことです。後継者を手に入れることができずに潰れる会社は後を絶ちません。
 小さな会社が潤沢な人材を得ることは、ほぼ不可能です。また、「それほど優秀ではない人が、教育訓練によって能力を爆発的に伸ばす」ということも、あまり期待できません。
 したがって、トップ自身が、自分の能力を二倍、三倍に伸ばすことを心掛けていかなくてはなりません。
 トップの資質としては、仕事がよくできることはもちろん必要ですが、それだけでは不十分です。トップはしだいに多くの人を率いていくことになるので、人物として立派でなくてはならないのです。さらには、さまざまな物事を知っていなければなりません。
 トップというものは、物知りであるとともに、人柄も立派で、多くの人から信頼される人物であることが必要なのです。
 その意味において、宗教修行というものは、経営者にとって非常に役立つものであると言えます。」
(136~141ページ)

 

小さな会社の経営のポイント

 まず、収入源を常に探究し、さらに、それをどれだけ多くの人に買ってもらい、利用してもらうかを考え、売り上げを伸ばしていくこと。これは禅の公案と同じであり、考えて、考えて、考え抜き、編み出していかなければならない。それがある程度、軌道に乗ってくると、組織をつくっていかなくてはならないが、あくまでも自分の会社の必要に合わせて、スクラップ・アンド・ビルドでよいのです。

「小さな会社の経営において、経営者がまず考えなければならないのは、単刀直入に言えば、“メシの種”を探すことです。
 「どのような商品ならば収入が得られるのか」「どのようなサービスならば収入になるのか」「どのようなものを、お客様は求めているのか」を考え続け、メシの種を常に探究しなくてはなりません。
 テレビを観ても、雑誌や新聞を読んでも、人の話を聞いても、報告書を読んでも、「収入の種になるものはないか」ということを、常に考え続けることが大事です。小さな会社のトップにとっては、収入源を確保することが非常に大切な仕事になります。
 まず、メシの種をつくり出し、さらに、「それをどれだけ多くの人に買ってもらうか、あるいは利用してもらうか」を考え、売り上げを伸ばしていくことが必要です。そういう考え方をしなければなりません。
 「何をもって収入源としていくか」「収入の種をどうやって発見するか。あるいは、つくり出すか」ということは、禅の公案と同じであり、考えて、考えて、考え抜き、編み出していかなければならないのです。
 「これならヒットする」「これなら売れる」「この企画なら大丈夫」「この味、この形、この色、このサイズなら大丈夫」と思えるものを発見したり、発明したりしていかなくてはなりません。
 そして、それがどの程度まで売れるか、どの程度の収入をもたらすかについての直感力こそ、実はトップの資質そのものでもあるのです。
 小さな企業においては、これがトップの能力の主たるものになります。
 まず、メシの種をつくり、次に、それを多くの人に買ってもらうべく、販売、営業をするわけですが、ある程度、軌道に乗ってくると、人を使って仕事をしなければならなくなります。そうなると、組織をつくっていかなくてはなりません。
 この際、大切なことは、「組織のスタイルにこだわる必要はない」ということです。あくまでも、自分の会社の必要に合わせてつくっていけばよいのです。
 世の中の多くの会社には、部長や課長、係長がいるからといって、自分の会社にも同じような組織をつくる必要はありません。自分の会社に必要なものをつくっていくことが大切です。
 しかも、組織のつくり方は、「スクラップ・アンド・ビルド」(つくっては壊し)でよいと思います。不要なものを壊して、必要なものをつくる。つくっても機能しなければ、それを壊して、また新たなものをつくる。こういうあり方でよいのです。」
(『智慧の経営』142~145ページ)

 新しい情報に基づいて考えを変えるべきだと思うときには、批判されることを恐れず、大胆に変えていくべきである。

 小さな会社の経営においては、結果よければすべてよしと思うこと。大切なのは、成功していくことである。

 経営者は、少しでもよい結果を導くための方法を考え続けて夜も眠れなくなって、初めて一人前である。

「組織づくりに限らず、経営における判断でも、同じようなことが言えます。
 毎日、経営環境は変化し、時々刻々、さまざまな情報が入ってくるので、「新しい情報に基づいて、自分の考えを変えるべきだ」と思うときには、「朝令暮改だ」と批判されることを恐れず、大胆に変えていくべきです。
 そういうやり方に対して、「節操がない」「哲学がない」などという批判も出るかもしれませんが、小さな会社の経営においては、「結果がよければ、すべてよし」と思うことです。
 成功する方向へ、成功する方向へと、選択を重ねていくことが大事なのです。結果がよい方向へ向かっていけば、やがて従業員たちも批判をしなくなり、社長についてくるようになります。
 したがって、組織のスタイルや、自分がいったん出した命令、社訓といったものにはあまりとらわれず、成功を目指すことが必要です。朝令暮改でもかまいません。大切なのは、成功していくことなのです。
 たとえ朝と夕方では言うことが違っても、夕方に言っていることのほうが正しいのであれば、それを押し通すべきです。結果として、そのほうが成功するのであれば、そうすべきなのです。
 従業員からは「うちの社長は頼りない」と言われるかもしれませんが、本当に頼りないのは、会社を倒産させてしまう社長のほうです。倒産しないで黒字になるのならば、その人は「頼りがいのある社長」と言うべきでしょう。」(『経営入門』146~148ページ)

朝令暮改を恐れない

 朝令暮改を恐れないことも大切です。

 大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「経営者として、「朝に出した命令を夕方に撤回する」というのは恥ずかしいことです。朝、「このようにせよ」と言って、夕方に、「やっぱりやめておこう」と言うのは かっこ悪いことです。

 従業員たちも、「うちの社長の言うことは、どうなるか分からない。今日の夕方には撤回するだろうから、明日になってからやろう」「来週になっても、同じことを言うかどうか、それをもう一回聞いてからにしよう」などという感じになっていきます。

 そのように、恥ずかしい思いはするのですが、それでも考えを変えなければいけないことがあるのです。

 経営者のなかには、「朝令暮改では遅すぎる。『朝令昼改』でなければ駄目だ。朝に言ったことが、昼に変わるぐらいでなければ発展しない」と言った人もいます。そのくらい、新しい情報やデータなどが入ってくると、考えが変わるものなのです。」(P-148~149)

 経済環境の変化、競合企業の出現・撤退、突発的な不祥事、天災や事故の発生など、経営判断の前提条件に変化が生じれば、当然判断は変えなければなりません。突然の方針の変更は、社員の仕事に混乱をもたらすため、朝令暮改は反対意見が出やすいものです。しかし、社員に気を使ったり、面子にこだわったりして、方針を変えずにいると、環境の変化に対応できなくなります。当然、方針を頻繁に変えれば、社員から不満が出たり、批判されたりします。したがって、方針の変更には信念と勇気が必要です。

「考えを変えなければいけないときには、その日のうちにでも変えなければいけませんし、三時間後でも、一時間後でも変えなければいけないことはあります。あまりコロコロと変えるのは 褒められることではありませんが、どのような場合に変えなければいけないかというと、「そのほうがベターになる」と判断したときです。

 面子にこだわってはいけません。たとえ、従業員から、「社長、今年の年頭の訓示では、インフレに備えなければいけないとおっしゃいましたよ」と言われたとしても、デフレになった場合には、「そうか、私はインフレになると思ったけれども、デフレになった以上、考えを変えなければいけない」と言わなければならないのです。

 また、「デフレに対応せよ」と言っていても、物価が上がってきたら、「仕方がないな、インフレだから考えを変えよう」と言わなければならないのです。これは仕方がありません。

 従業員は、「うちの社長は考えがしょっちゅう変わる」と言って、当然笑うでしょうが、結果がよくなっていけば、だんだん何も言わなくなります。最初は笑われますが、それを覚悟して押し通していかなければならないのです。

 もっと儲かる方法を思いついたり、もっとコストを下げる方法を思いついたり、もっとよい人事を思いついたりしたときには、やはり変えなければ駄目です。そのときに判断が遅れたら、その分だけロスが出ます。

 判断を変えたことの正しさは、やはり実績でもってきちんと証明していくことが大事です。

 したがって、「周りが納得する打率はどのくらいか」ということを考えておかなければなりません。」(P-151~154)

 社員に求められるのは、状況に応じてゼロから仕事を組み立て直せるような高い柔軟性です。一度立てた計画をいかに維持するかではなく、状況が変化したら、優れた計画であっても固執することなく、一度まっさらにして、新たな仮説に基づいた新しい計画に切り替え、素早く対応する。たとえ朝決めたことであっても、間違いだと気づいたなら、直ちに変更する。それを「朝令暮改」というなら、臆することなく徹するべきです。

 以前言っていたことと違うことを言うと、「前と意見が違う」と朝令暮改を責める人たちがいます。しかし、世の中がこれほど変化している以上、前に正しかったことが今も正しいとは限りません。雨が降ってきたら傘をさすのは当然です。晴天から雨に変わって傘をさしたからといって、「晴れていたときと違うではないか」と責める人はいないでしょう。変化の時代には、むしろ朝礼暮改が必要なのです。

 経営コンサルタント・小林正博氏は、「朝令暮改も必要」とした上で、そのやり方を次のように述べる。

 「ただし、社長の気まぐれで、前に決めたことをコロコロと変更するのは社員の混乱を招くだけです。なぜ変更するのか。その背景や考え方を社員に十分説明し、納得させることが必要です。変更が変化に迅速に対応した結果だと分かれば、社長の意欲が社員に伝わって、社員の気持ちも引き締まります。」

 朝令暮改と優柔不断は異なります。方針の変更は、確信を持って断行することが大切です。

 初期においては、人材にも恵まれず、情報も経営の力量も十分ではないので、試行錯誤をすることはやむをえません。とにかく、少しでもよい結果に導くための方法を考えていくことが必要です。一時間前に考えたことよりも、さらによい方法が見つかったならば、迷わずそちらを採るべきなのです。
 そして、実績をあげ、その実績によって、人々の信頼を得ることが大事です。
 経営者は、少しでもよい結果を導くための方法を考え続けることが必要であり、こういう悩みで夜も眠れなくなって、初めて一人前だと言えるでしょう。」
(『経営入門』146~148ページ)

マニュアルの作成

 仕事が確立し、会社として十分に機能するようになったら、ある程度、他の人にやらせなくてはならなくなり、作業手順をまとめた何らかのマニュアルの作成が必要になる。

 従業員というのは、何度も同じことを言わなければ理解できないので、たとえ3ヵ月間しかもたない内容でも、きちんと文字にしておくことが大事である。

 同様に、部下に対しても、報告は書面で行うように職業訓練をしていくことが大事であって、こういう社内での役割分担や作業手順の確立が非常に大切である。

「仕事が確立し、会社として十分に機能するようになったら、次に、販売や広告など、最初は経営者自身がしていた仕事を、ある程度、他の人にやらせなくてはならなくなります。
 その際には、何らかのマニュアルの作成が必要になります。第一部第1章「商売繁盛のコツ」で述べたように、マニュアル主義の弊害には気をつけねばなりませんが、その仕事が他の人にもできるように、作業手順をまとめたものをつくる必要があるのです。
 ある程度の成功を収めた段階においては、経営者が“動物的直感”によって何もかも行うのではなく、他の人に仕事をさせなくてはなりません。そのためには、箇条書きでもよいので、自分のしている仕事について、その手順や考え方をまとめなくてはならないのです。
 こうして紙に書いたものが会社の運営の手引きになります。それはまだ、社是や社訓、あるいは社内規程といった、仕上がったかたちのものにはほど遠く、毎年毎年、変えていかなければならない内容を含んでいると思います。
 しかし、それでもよいのです。たとえ三カ月間しかもたなくても、とりあえず、それまで社長がやってきた仕事や今後やろうとしている仕事の手順と考え方について、時間をとって、手短にまとめなければなりません。
 会社がひけたあと、夜、自宅で書いてもよいですし、早朝でもけっこうです。あるいは、日中、手のすいた時間にまとめてもかまいません。とにかく、考えをまとめなくてはならないのです。
 また、紙に書くことで自分の考えがより明確になる面もあります。
 従業員は判断や行動の際に、社長の心の内を忖度したりはなかなかしないものです。また、何度も同じことを言わなければ、彼らは理解できません。三回、四回、五回と、繰り返さなければ分からないのです。
 そのため、何度も言わなくてはならないことについては、それをきちんと文字にしておくことが大事です。「今はこれが必要である」ということを紙に打ち出してもらうなどし、文字にして従業員に読ませるか、壁に貼っておくことです。こういう努力が必要になります。
 創業期には、社長は非常に忙しく、自分の考えをまとめる暇もないでしょうが、ある程度、人手を使って会社が回っていくようになったならば、自分の考えをまとめ、それを文字にして従業員に読んでもらうことが大事です。
 しかも、ときどき、その内容をイノベーションして、新しいものに差し替えていく必要があります。
 口頭だけでは非常に伝わりにくいので、手書きのものでもよいから、文字にしたものを部下に渡し、それを実践させることです。
 同様に、部下に対しても、報告は書面で行うように職業訓練をしていくことが大事です。
 こういう社内での役割分担や作業手順の確立が非常に大切です。」
(『経営入門』148~152ページ)

 ただ、マニュアルどおりの対応は「当社の都合」でしかない。感動はまず与えられない。

 もう一歩を踏み出したサービスは、個人の心から出てくるものであって、相手の気持ちや考えていることを察し「相手にとって今必要なものは何か」を読むことである。そんな相手に感動を与える仕事をすれば、どんな業種の会社であっても伸びていく。

「マニュアル主義で、どんな場合でも社内マニュアルに書いてあるとおりのことを、従業員が繰り返す会社は、感動を伝えることはできません。
 例えば、喫茶店であれば、夏に、客が汗を拭きながら入ってきて飲み物を注文しょうとしたとき、マニュアルどおりに、「ホットにいたしましょうか。アイスにいたしましょうか。ホットは、コーヒーと紅茶とこれとこれがございます」などという説明を店員がしたならば、客のほうは、あきれてしまいます。
 そういう場合は、客の気持ちを考え、「冷たいお飲み物はこちらです」と勧めるべきでしょう。
 マニュアルどおりの対応は、「当社の都合」でしかなく、感動はまず与えられません。
 マニュアルを超えて一歩を踏み出せば、パートで雇われている人であっても、人に感動を与えることはできます。感動を与える方法は、相手の気持ちや考えていることを察し、「相手にとって、今、必要なものは何か」ということを読むことです。
 そこにかけるエネルギーや智慧、あるいは言葉を惜しんではいけないのです。
 マニュアルというのは、標準的な人をつくるためのものであり、実際に、マニュアル主義で仕事をすることも多いのですが、それだけでは、もう一歩を踏み出し、顧客に感動を与えるサービスは出てきません。もう一歩を踏み出したサービスは、やはり、個人の心から出てくるものなのです。
 たった一言でも、ちょっとした態度でもよいので、もう一歩を踏み出し、相手に感動を与える仕事をすることが大事です。とにかく、「お客様のことを考えているのだ」という気持ちを、言葉や態度で伝えることです。そうすれば、どんな業種の会社であっても伸びていくはずです。
 その点に気をつけないと、顧客から離れて単なる合理主義的な考え方をしたり、業績の数字だけを見て考えたりしがちになります。こういう間違いは、どんな会社でも起きることであり、会社の規模が十人ぐらいになるあたりから起きてきます。
 「自分たちは、このように考え、このように行動している。業績はこうであった」と、会社の内部の人間だけで、自分たちの仕事を評価し、完結することが多いわけです。そのように内部だけの論理が働いて、顧客や現場など、外のことが分からなくなることがあるのです。
 基本的には、最初に組織を立ち上げたり、小さな会社を大きくしたりするためには、ものの考え方や道理をつくり、マニュアルにして社員に勉強させることが大事ではありますが、それだけでは、やはり仕事やサービスが標準レベルを超えることができず、同業他社が多数ある場合には勝ち残れません。「感動を与える」というところまで、踏み込まなければいけないのです。その感動は、やはり、個人の気持ちから出てくるものです。」
(『経営入門』20~24、28~30ページ)

 

小さな会社の幸福

 毎日のニュースを見ていると、社会のシステムがガラッと変わっていこうとしていることが折々に感じられます。たとえば、都市銀行がつぶれたり、国家公務員のなり手が少なくなったりすることは考えられない話でした。20年くらい前には、パソコンや携帯電話など、今のように誰もが持ってるツールではなかった。ところが、インターネットとスマホが私たちの生活のパターンを根底から変えてしまっています。そういった激動の時代に生きている以上、外の世界の動きを知らずに、個人の努力だけで会社経営を完結しようとしていても、うまく行かなくなる可能性が強い。

 私たちは、仏神が社会をどの方向に持っていこうとしているのかという マクロ的な流れを知る必要がある。そして、その流れに参画しながら個人として努力していくことこそが大事である。

 この時代の流れを読んでいく先見性は、どうやって培われるのでしょうか? それを、書籍や御法話やセミナー等で懇切丁寧に教えている存在こそが、未来型の先進宗教・幸福の科学なのです。

 大川隆法総裁は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』で以下のように説かれました。

「いま、社会が変わっていこうとしています。
 そのため、「未来の社会が、どのような方向に流れていくのか」ということを、よくよく見ていかないと、個人としては、よい人であっても、時代の波に翻弄されて、地獄を見ることがあります。
 たとえば、ある人が、小さな会社の経営者をしていて、従業員が五人ぐらいいるとします。そして、その会社では、理想的な経営がなされていて、従業員たちは、みな朗らかで、明るく元気で幸福に生きているとします。
 ところが、社会のシステムが、がらっと変わっていくときに、経営者が、それを見抜けなかったら、その会社は、たちまち独立企業から下請けに回され、次に潰されてしまうでしょう。その結果、「夜逃げをする」「一家離散になる」「離婚をする」「子供が学校へ行けなくなる」など、いろいろと不幸なことが起きてきます。
 そうすると、その経営者は、『旧約聖書』のヨブのように、「なぜ、こんなことになるのだ。私は、あんなに一生懸命やっていたではないか」と、神を恨みたくなるかもしれません。しかし、それは、もう一つの部分として、時代を読む目が足りなかったからなのです。
 したがって、時代を読む目を持ち、「西洋的には神、東洋的には仏の、大きな考えが、どのような世界を到来させようとしているのか」というところを見ていなければなりません。そこを見ずに、個人だけで考えて完結していても駄目なのです。
 「仏神が、大きな社会をどのような方向に持っていこうとしているのか」という、マクロ的(巨視的)な流れを知り、その流れのなかに参画しながら、個人として努力していくことが大事です。
 そのように、「先見性を持って時代の流れを読んでいく」ということは、非常に大事なことであると知っていただきたいのです。
 「世界はどう動いていくのか」という、時代の流れ、時代の方向性を見抜かなければいけません。それが、大きな構造変化を通して未来をつくっているのです。そのことを知り、考える必要があります。時代の流れを、過去からも未来からも照らして鳥瞰する必要があるのです。」

 

中小企業では「民主的経営」よりも「ワンマン経営」

 中小企業では、トップ一人の能力が大きく影響します。

 大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「トップの能力が低いと、その下にいくら優秀な人がいても、よい仕事は絶対にできません。逆に、下に能力の低い人が集まっていても、トップが優秀であれば、下の人たちも しだいに有能になってくることがあります。」(P-167)

 中小企業の段階では、よく言われる「民主的経営」は機能しないことが多い。

「巷の経営書などを読むと、「民主的経営」という概念がよく出てきます。欧米流の経営論には、「いろいろな社員の知恵を集めて、民主的に経営しなければならない」という考え方や、権限の委譲、責任の明確化ということがよく述べられています。

 しかし、個人企業や中小企業に、この考え方はほとんど当てはまりません。それをそのまま実践すると、たいてい失敗します。それはなぜでしょうか。民主的経営、社員の総意を集めて行う経営というのは、「社員全員に責任があり、社員全員が管理者である」という考え方に基づいているのですが、結局トップが責任を取らない経営となるからです。

 普通は、「ワンマン経営」は嫌われますが、中小企業や零細企業の場合は、実際にはワンマン経営のほうが成功するのです。なぜかと言えば、トップが自分一人の判断に責任を取る体制だからです。」(『経営入門』P-168~170)

 民主的経営は、一人でも多くの人を経営に参画させようとして、無駄に役員を増やしたり、無駄な会議を延々と続けたりすることになりやすい。

 一倉定氏も、ワンマン経営の必要性を主張している。

 会社が潰れたときの責任は、明らかに「社長だだ一人」にある。

 社会の全ての批判は、文字通り「社長だけ」に集中する。副社長や専務が責任を追及されることは絶対にない。

 文字通り「ワンマンの責任」なのである。このような意味合いからも、「ワンマン経営」が正しいのである。

 このことを知っておれば、心ない人々が「あの人はワンマン社長だ」などという言葉が、いかに誤っているか分かるはずである。

 合議制、民主経営などということは まったくの誤りで、「ワンマン経営」以外はありえないのである。

 

組織を大きくしないほうが幸福な場合もある

 中小企業から抜け出して中堅企業・大企業を目指すには組織作りが必要になる。ただし、大きくしないほうがよい場合もある。

 総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「ある程度以上に商売が大きくなると、一人では回らなくなり、人を雇わなければならなくなってきます。

 そこで、最初は社長の奥さんなどが経理部長か何かを担当し、あとは事務員が一人、営業マンが一人というようなレベルから始まります。そして、次第に従業員数が五人から十人ぐらいの会社が出来上がってきます。この段階あたりまでは、まだ会社を社長一人で見ることのできる範囲です。

 ところが、自分でも何もかも見ないと気が済まない社長は、従業員が三十人ぐらいになってきたあたりで、能力が頭打ちになり、きつくなってきます。

 したがって、「私は自分で何もかも見ないと気が済まない性格だ。これは決して変えられない」と思うならば、会社をそれ以上の規模にしないことも一つの幸福の道です。それ以上にすると、社長自身が落ちこぼれてしまいます。

 予想以上に商品が売れて儲かり、人をたくさん雇入れて会社が大きくなると、トップに能力が足りないために運営がめちゃくちゃになって、逆に倒産してしまったり、会社が人手に渡ってしまったりすることもあります。こういうことがあるので、自分の能力をよく見極める必要があります。」(P-181~182)

 一時的な成功でなく、長く続く成功、幸福を伴う成功を志すには、「自分の能力をよく見極める」ことが大切である。

 「自分を知る」ということは、宗教的には悟りそのものである。経営者は、自分自身をよく見つめて、心の修行をする必要がある。それをふまえた上で、組織の発展法について考えていきたい。

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