創造する経営者

 経営者も作家などと同様に創造的な仕事をしている。

 ただし、経営は実績のみで勝負することになるので、出た結果については受け止めなければならない。

 「創造する経営者」として時代環境が変わっていくなかでも生き延びていくためには、うぬぼれて自画自賛するのではなく、まず自分で勉強をすることを中心にしたほうがよい。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「作家は一生懸命に考えて筋書きを思いつきます。推理作家であれば、トリックを思いつきます。また、短編を書く人であれば、よい文章、生き生きとした文章を、ひねり出して書きます。
 このようなことは、経営者の場合、例えば、人事に関して、「この人を、ここに使えば、うまくいくのではないか」ということを、本当にじっくりと考え、それにエネルギーを費やしたりすることに当たります。
 その意味では、たとえ小なりといえども、経営者は、創造的な仕事をしているのだと言えます。
 創造的な仕事とは、要するに、昨日まではなかったものを創り出す仕事です。あるいは、「停滞している状態から脱皮して、どの方向に行くか」ということを考える仕事です。そのなかには、すでに古くなったものを捨てたり破壊したりして、新しいものを創り上げていく仕事もあります。
 経営は、結果的には、実績のみで勝負することになります。決算書や世の中の評判など、実績のみで勝負する仕事なのです。したがって、出た結果については受け止めなくてはいけません。赤字が続けば、当然ながら、解任され、追い出されます。あるいは、会社が倒産の憂き目に遭います。
 その反面、経営者ともなると、自由性はあって、「何を考え、どうするか」ということに関して、かなり広範なキャパシティーのようなものが許されているのです。
 ただ、いったん社長になると、意見を言ってくれる人はいなくなるので、すぐ“お山の大将”になってしまい、「自分では、間違っているところや改めるべきところが、なかなか分からない」ということがあります。
 その傾向が強くなってくると、だんだん、悪い意味でのワンマン型になり、イエスマンしか周りにいなくなってきます。周囲が“太鼓持ち”ばかりになってくるのです。その結果、危機に弱くなり、曲がり角で会社が倒産するかたちになることが多いわけです。
 千人や万人規模の企業であろうと、十人規模の企業であろうと、トップは、けっこう、その世界のなかではオールマイティーであり、スーパーマンなので、当然、うぬぼれもありますし、名誉心もありますし、自画自賛もあります。しかも、小さい企業の経営者ほど自画自賛が強いのです。
 経営者が、「創造する経営者」として、時代環境が変わっていくなかで生き延びていくためには、まず、自分で勉強をすることを中心にしたほうがよいと思います。
 自分で勉強する分には、プライドは傷つかないでしょうし、納得もいくでしょう。自分が勉強して、「このやり方のほうがよい」「新しく、こうしたほうがよい」などと思うのならば、そうすればよいのです。
 ところが、経営者が、まったく勉強しないでワンマン経営を行えば、やがて会社は潰れます。それだけのことです。」
(16~25ページ)

 トップは、学習し続けることによって、初めて企業を今と同じぐらいのレベルで維持することができる。

 そして、会社が大きくなれば、会社そのものを「学習する組織」に切り替えていかなくてはならない。

 神も仏もあるのに、「進化する企業」以外は淘汰されるのは、厳しいけれども愛のムチである。

「厳しいことですが、人間には、どうしても、能力の面で、すぐに行き詰まってくるところがあります。そして、それ以上の仕事ができなくなるのです。

 今持っている知識と経験だけで仕事をしていると、すぐに、それを使い切ってしまい、新しいアイデアが何も思い浮かばなくなるため、次の手が打てません。
 したがって、トップは、創造し続けるために、学習し続けなくてはいけないのです。勉強し続けることによって初めて、企業を今と同じぐらいのレベルで維持することができます。また、ずっと勉強し続けているからこそ、新しい刺激が得られ、種やアイデアが涸れることなく、長く仕事ができるわけです。
 そして、会社が大きくなれば、トップ一人が勉強するだけでは駄目で、会社そのものを、「学習する組織」に切り替えていかなくてはなりません。幹部や従業員にも、学習する習慣を身につけてもらわなくてはならないのです。それによって、一人ひとりの能力が上がり、全体の力も上がってくるわけです。
 一人ひとりの能力を上げずに会社だけが発展した場合、どうなるかというと、トップや幹部、従業員が、みな、落ちこぼれてしまいます。会社が発展しても、それまでと同じ実力を発揮するためには、やはり、学習を続け、力をつけていかなければなりません。それを肝に銘じておかないと、たちまち行き詰まってしまうのです。
 残念ですけれども、人間の頭の中身は、すぐに古くなります。古くなるのは、学校で勉強した知識だけではありません。自分の経験もまた古くなるのです。
 トップであれば、成功体験を非常に大事にしていると思います。それはそれで、よいことです。しかし、その成功体験も古くなります。「かつて、これで成功した」ということを、何度やっても、成功しなくなる時期が来るのです。
 不思議なのですが、ある業界のなかで、どこかがやって、うまくいったことは、すぐに、よそもできるようになります。研究され尽くし、どんどん進化していくため、同じことを何度もやっては駄目なのです。
 したがって、「進化する企業」以外は生き残れません。淘汰されます。弱肉強食と言えば、そのとおりですし、市場原理と言ってもよいのですが、厳しいけれども、淘汰されていきます。
 経営トップの慢心のツケは何かというと、淘汰されること、要するに、企業が潰れることなのです。しかし、神も仏もあるのです。神も仏もあって、潰れているのです。
 なぜ潰れているのでしょうか。悲しいことですが、役に立たなくなっているからです。厳しいけれども、これは愛のムチなのです。
 企業の“遺伝子”が時代から取り残されており、考え方がもう古くなっているのです。そのため、悲しいことに、新しいものに取って代わられるのです。
 それは、経営者自身にも言えることですし、幹部、重役にも言えることです。過去に手柄を立てた幹部であっても、すでに古くなっていることがあります。イノベーションができない人、自己変革ができない人は、どんどん古くなり、使えなくなっていくのです。」
(『未来創造のマネジメント』25~31ページ)

 

創造的な人間をつくる

 新しい経験や智慧を得て、それが、すでに学んでいたものと結合して火花が散ったときに新しいものが生まれてくるのが、創造の基本原則である。

 この「異質なものの結合」のために、例えば異質な二種類の学問を修めるとか、ある学問のコース上の職業から全然違う系統の職業に転職する方法がある。

 心して「異質なものを結合させていこう」と努力すると、新しい価値が必ず生まれてくるので、「異文化交流」が大事である。

 大川隆法総裁は、『未来創造の経済学』でシュンペーターの霊の言葉(「霊言」)を次のように伝えておられます。

「さて、これから、新しい未来産業を起こしていくために、新しいタイプの人間、つまり新人類だな、そういう新しい価値を生み出していく「創造的な人間」をつくるためには、どうすればよいか。
 やはり、「異質なものの結合」という基本原則ははずせないので、例えば、「全然違う、あるいは非常に距離の離れた、二種類の学問を修める」とか、「ある学問を修めて、そのコース上の職業に就くけれども、どこかの時点で、全然違う系統の職業に転職する」とか、そういうことが必要だね。
 新しい経験や智慧を得て、それが、すでに学んでいたものと結合して火花が散ったときに、新しいものが生まれてくるんだよ。
 だから、将来、システム的に、「異質なものの結合で、新しいものを生み出す」ということができるように、何か方法を考えておいたほうがいいね。
 例えば、水素と酸素が結合して水になる。これも、ちょっと考えられないようなことだと思うんだ。水素は水素。酸素は酸素。そして、水素と酸素を合わせて火をつけたら、爆発して燃え上がって水ができる。その水は、今度は、火を消すことができる。まことにもって不思議だけれども、創造の基本原則というのはこれなんだよ。
 水素と酸素から水ができるとき、こうした、まことに不思議な創造の過程を通っていく。「新しい価値を生み出す」というのも、これと同じようなことだな。
 気体が、液体になり、固体になる。ね? 水素と酸素は気体だが、結合することで、水という液体になり、さらに温度を下げると、氷という固体になる。また、蒸発して気体になれば、空に昇って雲になる。まことに不思議なものだ。このあたりに、創造の本質がすでに現れている。
 だから、みんなが、心して、「異質なものを結合させていこう」と努力すると、新しい価値が必ず生まれてくる。思い込んでしまうと駄目なんだな。
 先ほども言ったように、「商人は卑しくて、ものの売り買いをして金を儲けている。しかし、侍というのは、そういう、収入をあげるようなことに対して、一切、手を出さず、戦をするものだ」というのは、だいたい、封建時代の思い込みだよね。
 「侍は、農民から、税金としてお米を何俵もらうと決まっている」となっていたのが、今は、そういう侍だった人が起業家になっている。
 そのように、今は、「異文化交流」というものがけっこう大事ではないかと思うね。これが私の考えだ。」
(152~154ページ)


 経営トップは、常に新しい情報を得つつ、新しい価値として、何か役に立つものを生み出し続けなければいけない。

 仕事というものは、成果に結びつけてこそ意味がある。働く時間が長い場合には、それが成果に結びついているかどうかを問わなくてはならない。

 情報戦略においても、やはり成果に結びつけることを常に考え、時間を浪費していて成果が出ないものはやめるというかたちで、自分の時間管理をしなくてはならない。

 総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「経営トップである企業家は、常に、新しい情報を得つつ、新しい価値として、何か役に立つものを生み出し続けなければいけません。
 とにかく体を動かすことで、働いているような気になっている人もいますが、仕事に対する評価では、「労働時間が長い」「土日にも働いている」「熱心だ」「よくしゃべる」などということだけを誇っても駄目です。
 仕事というものは、必ず成果に結びつけてこそ意味があるのです。これを知らない経営者が多いと思います。
 「とにかく“スーパーマン”でありたくて、体に無理がかかっている」「朝早くから夜遅くまで非常によく働いている。休日も頑張っている」という人は、「それが、成果に結びついているかどうか」ということを、常に問い続けなくてはいけません。
 社長がそういう状態であれば、部下も同じでしょう。成果に対する目は厳しくなければいけません。特に、成果を生まずに“仕事ごっこ”をしていることが非常に多いので、気をつけてください。
 本当に、要らない仕事のために人が増殖してくるものなのです。これについては、常に、「そういうものだ」と思って、刈り取りをしなければなりません。
 「経営は、ヒト、モノ、カネ、情報等の経営資源を投入して行うものだ」とよく言われますが、経営者は、常に、「成果をあげる」というマインドを持っていなくてはならないのです。
 経営資源を投入するだけなら、誰にでもできます。お金や人を投入するだけであれば、当然、誰にでもできるのです。
 また、「情報を集めろ」と指示するのは簡単ですが、気をつけないと、社員たちは、一日中、新聞を読んでいるかもしれませんし、一日中、テレビを観ているかもしれません。
 情報を集めるのはよいのですが、それを成果に結びつけなくては駄目です。集めた情報を企業の仕事につなげることが大事なのです。
 そして、トップの情報戦略においても、やはり、「成果に結びつける」ということを常に考えておかなくてはなりません。時間を浪費していて成果が出てこないものは、やめなくてはいけないのです。
 大して仕事の役に立たないのであれば、時間を限定することが必要です。「新聞を三十分以上は読まない」などということにしないと駄目なのです。
 新聞には、各紙とも、同じようなことばかりが書いてあるので、一紙をきちんと読み、ほかの新聞については、ヘッドラインだけをパッと見て、「独自のことが書かれていないか」「自分の業種に関する記事はないか」ということだけを見る程度にしないといけないでしょう。
 「情報を取る」といっても、無制限にやってよいわけではなく、「必ず成果につながるかどうか」ということを、いつも考えておかなくてはなりません。成果につながらないのであれば、それは間引いたり削ったりしていかなくてはならないのです。
 こういうかたちで、自分の時間管理をしなくてはいけないわけです。」
(82~88ページ)

 

創造性を発揮する

 まず、問題意識を持って、それに関連する情報を集める準備期間が必要である。

 その上で、固定観念を取り除き、プライドも取り去って白紙の気持ちで考えること。

 量を出さなければ「質」に変わらない。できるだけ多くのアイデアを出すこと。

 締め切りを急がず、とにかく考え続け、アイデアを熟成させること。

 そして、この案ならと思ったらそれにトライし、うまくいかなかったらまた修正版をつくり、何度も考えついてはトライしていくうちに創造的な仕事ができるようになっていく。

 総裁は、『創造の法』で以下のように説かれました。

「創造するためには、何か今までにないものをつくり出さなければいけませんが、そのためにはアイデアが必要です。まず、新しいアイデアを出さなければいけません。
 ところが、「頑固で、老舗意識があり、古いものを愛し、断固として絶対に変えない。人の意見を聴かない」というような態度でいると、創造性がなくなります。
 したがって、固定観念を取り除かなければ駄目です。固定観念を取り除き、まったく白紙のキャンバスの上に描くつもりでなければいけません。プライドも何もかも全部取り去り、白紙の気持ちになって考えるのです。
 会社での人間関係や新しい仕事の開発の問題、家庭問題など、どのようなテーマでもよいのですが、当面、自分が抱えている問題について、「解決すべき問題は、これだ。これに対する解答、あるいは対応の方法が、どれだけあるだろうか」ということを考え、固定観念を外して、できるだけ多くのアイデアを出さなければいけません。
 問題は「量」です。とにかく、考えつくだけのアイデアを出してみなければいけません。量を出さなければ「質」に変わらないのです。
 「最初に出たアイデアが、いちばん良い」ということはあまりありません。そんなにうまくはいかないものです。五個も十個も、二十個も三十個も、五十個も百個も、次々とアイデアを出しているうちに、どこかで、良いアイデアが出てくるのです。
 あるいは、そうやってアイデアを出していて、その日のうちには結論が決まらなくても、その後も一晩考えたり二晩考えたりしていると、アイデアの続きが出てきます。改良版として、さらに良いアイデアが出てくるのです。
 したがって、考え続けることが大切です。紙やカードに書けるだけ書き出し、「これ以上は、もう出ない」というぐらいまで出してみるとよいと思います。たくさん出してみることです。そして、そのなかから選び取っていくことが大事です。
 また、アイデアを得ようと思うならば、やはり、問題意識を持って、それに関連する情報を集めなければいけません。そういう準備期間が必ず要ります。次に、チーズのように熟成期間というものが要ります。アイデアを寝かせておいて発酵するまでには時間がかかるのです。
 要するに、「アイデアを数多く出す」ということと、「それをあまり急がない」ということが大事です。「締め切りを急がず、とにかく考え続け、アイデアを熟成させなければいけない」ということです。
 ずっと考えているうちに、いろいろなアイデアが出て、だんだん練れてきます。そうしているうちに、どこかで、ひらめきがズバッと出てきます。「これは、良い案だ」というものが出てくるのです。「この案ならよいのではないか」と思ったら、それにトライすることです。
 それで、うまくいかなかったら、また修正版をつくってもよいのです。何度も何度も、考えついてはトライしていくうちに、非常に創造的な仕事ができるようになっていくのです。」
(28~38ページ)

 

クリエイティブパワーが経営者の条件

 閃きがあり、感性豊かな経営者であっても、「この場合は こう考える」といったもの事の考え方や筋道を、努力して積み重ねなければならない。

 インスピレーショナブルで考え方がよく変わる経営者であっても、一つの筋道を立てることで、社員たちもその論理に合わせて仕事をし始めるからです。

 大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「「クリエイティブ(創造的)な人間」になる前の段階として、まずは、「イマジネーション(想像力)を持った人間」になることが大事です。イマジネーションとは、思いのなかにおいて「想像する力」「考えつく力」のことです。
 これが、実際に、クリエイティブなほうへと動いていきます。「イマジネイティブ(想像的)」から「クリエイティブ(創造的)」へと動いていくのです。したがって、「心のなかのイマジネイティブな空間」を大きくしていくことが非常に大事です。
 大切なのは、「何が見えるか」ということ、すなわち、「そこで何かが活動している姿や、新しいものができていく姿が見えるか」ということです。」
(『創造的人間の秘密』)

「創造するためには、何か今までにないものをつくり出さなければいけませんが、そのためにはアイデアが必要です。まず、新しいアイデアを出さなければいけません。
 アイデアを出すときに、「親に、こう教えられた」「この店は、こうだ」「この会社は、こうだ」「この土地では、こうしなければいけない」などという固まった考え方をあまり持っていると、それに縛られて自由な発想が出なくなるのです。したがって、固定観念を取り除かなければ駄目です。
 プライドも何もかも全部取り去り、白紙の気持ちになって考えるのです。会社での人間関係や新しい仕事の開発の問題、家庭問題など、どのようなテーマでもよいのですが、当面、自分が抱えている問題について、「解決すべき問題は、これだ。これに対する解答、あるいは対応の方法が、どれだけあるだろうか」ということを考え、固定観念を外して、できるだけ多くのアイデアを出さなければいけません。」
(『創造の法』)

「アップル社ができたときの自由な空気のようなものを、もう一度、世の中が認めるようなブームも要るのではないかと考えています。
 「権威にとらわれず、前例にとらわれず、チャレンジしていく精神は尊い」という考え方です。「若い人からでも、どんな学歴の人からでも、いろいろなアイデアや発想が出てくることはあるのだ。それを見逃さないようにしていくことが大事なのだ」ということを知っておいてください。」
(『創造する頭脳』)

「循環と繰り返しがあってこそ、経済活動は成り立つのであり、一度きりで終わったならば、経済活動として成り立ちません。事業には継続ということが必要なのです。そのため、常に需要を発見していく態度が大事です。事業の初動期には「需要の発見」が必要です。そして、ある程度、事業が大きくなったならば、次に「需要の創造」をしていかなくてはなりません。
 最初はとりあえず、求められるものを供給し、次には、「こうしたものが必要でしょう」と、人々がまだ気づいていない需要をつくり出し、それを供給していくのです。
 需要の発見と創造の次の段階としては、「この需要をてこにして、さらに発展的なことができないか」と、その応用を考えていくことが大事なのです。」
(『智慧の経営』)

 経営者にとっての必須条件が“創造性”であることを学びました。創造性の前提として、イマジネネイティブ(想像)があり、その先にクリエイティブ(創造)があること、また、世間の固定概念の縛られることなく、自由な発想でアイデアを描くことが大切です。
人類の歴史を築いてきたのは、ほかならぬ私たち自身であり、それは確かに「創造」に歴史だったのです。

「経営者にとっては、「明日の飯の種」、つまり、「収入源を常に考え続ける」ことが非常に大事であり、その種が尽きたらおしまいです。そういう意味では、経営も、実は「創造性」を要するものなのです。
 経営者は、日ごろ、判断業務だけをしているように見えますが、その判断業務にも、けっこう創造性が必要とされるのです。特に、新しい事業を始めたりするには創造性が必要であり、その創造性が仕事のなかにかなり吸い込まれていきます。
 経営そのものにも創造性がかなり必要であるため、経営者は、その「創造の種」を常に探し求めなければならないのです。」
(『経営戦略の転換点』)

「私は、企業の経営者ではないのですが、幸福の科学という宗教を設立し、二十数年、組織を率いてきました。その感覚からすると、「なるほど、経営者的な仕事も、ずいぶん、創造性を使うというか、創造性を消費する仕事なのだな」ということを感じています。
 例えば、人事に関して、「この人を、ここに使えば、うまくいくのではないか」ということを、本当にじっくりと考え、それにエネルギーを費やしたりすることに当たります。あるいは、問題が起きたときに、「この問題を、どう解決するか」ということを、三日三晩、ウンウンとうなりながら考え、「この一手で解決するのではないか」と思って、その手を打ったり、業績が悪化しているときに、「悪化した業績を、どうしたら立て直すことができるか」ということをよく考えて、それを行ったりする仕事になるわけです。
 会社そのものは、規模の大小を問わなければ、百万社も二百万社もあるでしょうから、それぞれのところで、それぞれの苦しみを感じながら、創造をなしている人が多いのだろうと思います。その意味では、たとえ小なりといえども、経営者は、創造的な仕事をしているのだと言えます。」
(『未来創造のマネジメント』)

「会社の経営者でも、新しくビジネスをつくっていく経営者などは、非常に創造性の高い仕事をしていると思います。
 こういう人たちは、みな非常に創造性が高いと思いますが、それだけではなく、「基本として、なすべき努力」を当然、行ってきているのです。その上で、さらに、「違う角度から物事を考えてみる」ということが大事です。「引っ繰り返してみる。大きくしてみる。小さくしてみる。逆にしてみる。そのように、いろいろな努力をしてみると、どうなるか」ということを考え、それを行うと、思わぬ効果が現れてくることもあるのです。」
(『創造的人間の秘密』)

「たいていの場合、創造の陰、舞台裏には「数限りない失敗の山」があるのです。
 そこは、「成功したければ、その二倍、失敗せよ。三回、成功したかったら、六回、失敗せよ」と言われるのが当たり前の世界です。あるいは、三倍ぐらい失敗してもおかしくはありません。創造の面において成功するまでには、ものすごい失敗の数が、その前にあるのです。
 「失敗は、ある意味での先生役である」と言えます。失敗は、自分の人生において、個人的な家庭教師の役割を果たしてくれています。
 「あなたの失敗」は、本当に、「あなたにとって必要なこと」を教えてくれている場合が多いのです。ほかの人にとっては何の役にも立たないことであっても、その人にとっては実に重要なことを教えてくれている場合があるのです。」
(『経営とは、実に厳しいもの。』)

 

経営は創造である

 松下幸之助は、「経営は創造である」と明確に指摘しています。

 「一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それに基づいて、資金を集め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人々の用に立てる。その過程というものは、我かが絵を描くごとく、これ全て創造の連続だといえよう。

 なるほど、かたちだけを見れば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、その過程には、いたるところに経営者の精神がいきいきと躍動しているのである。その意味において、経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にしており、したがって経営はまさしく芸術の名にふさわしいものだと言える。

 一枚の絵でも、その出来、不出来によって価値に大きな違いがある。経験もそれと同じことであるが、ただ、絵の場合は、それが駄作であっても人々に感動を与えないというだけで、迷惑を及ぼすということはない。

 しかし、経営の場合はそうではない。関係する各方面に多大の迷惑をかけるのである。一番甚だしい例としては、倒産、破産ということを考えれば、経営の駄作、失敗作がいかに社会にとって好ましくないかが分かるであろう。その反対に、芸術の名にふさわしいような真に立派な経営者は、社会に益するところがきわめて大きいのである。

 だから、経営の芸術家たる経営者は、一般の芸術家の人々以上に芸術的な名作を生み出す義務があるといえよう。」

 創造的な仕事とは、具体的にどのようなものでしょうか。

 大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。  

「創造的な仕事とは、要するに、昨日まではなかったものを創り出す仕事です。あるいは、「停滞している状態から脱皮して、どの方向に行くか」ということを考える仕事です。そのなかには、既に古くなったものを捨てたり破壊したりして、新しいものを創り上げていく仕事もあります。」(P-21)

 これは、会社のミッションそのものであり、また、会社が世の中のイノベーションを担っていることを意味しています。その会社の存在意義に関わるため、経営者は真剣に創造性を追及しなければなりません。

 また、経営者における創造とは、「判断」によって生み出されます。

「実は、「判断の積み重ね」によって、仕事が大きくなっていくかどうか、成功していくかどうかが分かれてくるのです。

 「判断力の積み重ね」によって、仕事が大きくなっていくかどうか、成功していくかどうかが分かれてくるのです。

 「判断力」の積み重ねでできてくる実績も、一種の創造なのだということは知らなければいけません。」(『現代的悟りとは何か』P-42~43)

 

経営成功学に結果に対する責任を負う

 経営者は、判断力を磨くことで、より創造的な仕事をすることが出来るようになります。そして、それが実績というかたちで結実することになります。

「経営は、結果的には、実績のみで勝負することになります。決算書や世の中の評判など、実績のみで勝負する仕事なのです。

 それは、ちょうど相撲の何勝何敗のようなかたちで結果が出てくるものであり、「結果だけで勝負する」ということなのです。したがって、出た結果については、受け止めなくてはいけません。赤字が続けば、当然ながら、解任され、追い出されます。あるいは、会社が倒産の憂き目に遭います。

 その反面、経営者ともなると、自由性はあって、「何を考え、どうするか」ということに関して、かなり広範なキャパシティのようなものが許されているのです。」(『未来創造のマネジメント』P-21~22)

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