ひらめき
ひらめきは、うまずたゆまず努力しているなかに、突如として出てくるものであって、努力を軽視して、ひらめきやインスピレーションだけをもらおうとしても、得られないものである。
インスピレーションの本質は、ほとんどの場合、守護・指導霊による導きであるが、彼らは、この世の人間の努力、修行というものを非常に大事にしている。
痛い目に何回も遭っている人は、おそらく、守護霊から、「冷たいか暖かいかは自分で感じ取れ」ということを教えられていると考えなければいけない
幸福の科学大川隆法総裁は、『創造の法』で以下のように説かれました。
「「創造的に生きる」というと、湯川秀樹のような天才型の人を思い浮かべがちですが、単なるひらめきやインスピレーションだけで、誰もができないような創造的なことをスパッとできるでしょうか。
そういうことも、たまにはあって、まったくないわけではありません。しかし、たいていの場合は、そうではありません。
ひらめきは、汗をかき、うまずたゆまず努力しているなかに、突如として出てくるものなのです。努力することを軽視し、ひらめきやインスピレーションだけをもらおうとしても、それを得ることはできません。
私は、インスピレーション体質であり、霊示をとてもよく受ける体質ですが、それに頼ろうという気持ちは非常に少ないのです。それは、『青春の原点』などでも述べているように、自助努力の気持ちが非常に強いからです。「自分の足で立とう。自分で努力して道を拓いてこそ本物だ」という気持ちを強く強く持っています。
やはり、自力というものを基本に据えたなかで、他力のインスピレーションは降りてくるのです。
インスピレーションの本質は、ほとんどの場合、守護・指導霊による導きです。
彼らは、物事の先が見えたり結論が見えたりすることがありますが、この世の人間の努力、修行というものを非常に大事にしています。
この世の人間が、けなげに努力していると、彼らは、良いアドバイスをしてくれます。ところが、この世の人間を見ていて、「怠けているな。堕落しているな」「慢心しているな。うぬぼれているな」などと思ったら、「分かるときが来たら分かるので、それまでは放っておこう」と考えて、知らん顔をし、その人が痛い目に遭うまで放っておきます。
したがって、痛い目に何回も遭っている人は、おそらく、守護霊から、「この人は駄目だ」と見られていると思います。「自分で『冷暖自知』をせよ。冷たいか暖かいかは自分で感じ取れ」ということを教えられているのです。そのように考えなければいけません。」(20~22ページ)