21世紀のニーズ

 21世紀には、情報が高度化・複雑化し、これにともなって、あふれる情報のなかで無駄なものを看破して捨てる仕事、つまり「情報のリストラ(再構築)」に、かなり大きなニーズ(需要)が出てくる。

 そのためには、タブーや禁止条項を設けて情報を制限するのではなく、情報の基礎にある精神的土壌の面を、宗教的精神によって耕すことで、いろいろ出てくるなかから、よく育つものとあまり育たないものが自然に明らかになるという形で、情報のリストラが行なわれていく。

 世の中の人びとの精神的土壌を、宗教的精神によって耕すこの仕事は、幸福の科学の大きな使命の一つである

 幸福の科学大川隆法総裁は、『青春に贈る』で以下のように説かれました。

「情報が高度化・複雑化することは避けられない流れですが、同じように避けられない流れがもう一つあると思います。
 それは「情報のリストラ(再構築)」です。「あふれる情報のなかで、無駄なものを看破して捨てる」という仕事が出てくると思います。
 結局、個人にとっても社会にとっても、役に立たない情報とは何なのかを見分け、これを捨て去る作業が必要になってきます。これには、かなり大きなニーズ(需要)があります。
 そこで、情報のリストラは何によってなされるべきか、ということを考えなければならないわけです。
 私は、情報選択の基礎は、「新文明の精神がどこにあるか。二十一世紀以降の新文明は、いかなる精神的基盤を持つべきか」ということにかかっていると思います。
 幸福の科学は、「宗教の時代が来る」ということを、いち早く宣言していますし、それは現実になると思います。そこで、氾濫する情報のなかにあって、「情報のリストラに関して、宗教的価値判断はいかに働くべきか」という問題が出てきます。
 私には、「そのときに中世還りはしたくない」という気持ちがあります。中世還りをして、一定のものをタブー(禁忌)とし、タブーに反する情報が出せないようなかたちにはしたくありません。
 日本のように、無神論・唯物論が長く続いてきた国家においては、情報のリストラに際して、タブーや禁止条項を設けるよりは、むしろ、情報の基礎にある道徳的なメンタリティー(精神性)の部分、つまり精神的土壌の面を、宗教的精神によって耕す必要があると思います。
 まず、精神的土壌を耕したうえで、いろいろなものが思想の自由として出るほうがよいでしょう。情報を一つひとつ選定するよりは、土壌そのものに、きわめて道徳的で高度なもの、思想的に価値のあるものをつくる必要があると思います。これが、私たちの大きな大きな仕事だと思うのです。
 土壌の部分、精神風土の部分をつくったならば、いま述べたような情報のリストラが、自然に働いてくるだろうと思います。すなわち、その土壌に種を播くと、よく育つものと、そうでないものが自然に出てきます。
 しかし、どのような種を播くかは自由です。そのなかから、よく育つものとあまり育たないものが、誰の目にも明らかになってくると思うのです。
 これをつくることが、私たちの持っている大きな使命ですし、私たちがやらねばならないことなのです。」
(61~64ページ)

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