悟りを求めると仕事ができなくなるか

 悟りを求めると仕事ができなくなる、というような考えは、一種の逃げである。

 悟りを高めつつも仕事ができるということが、多くの人々を救済することにつながる。

 実際に、釈尊は、教学がよくできる練れたプロの集団をつくり、その集団の生活を支えつつ、システマティックに伝道していく努力をしていた。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。

「釈尊には、「教学がよくできる、練れたプロの集団をつくる。そして、そのプロの集団の生活を支えつつ、システマティック(組織的)に法を宣べ伝えていく」ということに対して、努力した跡がうかがえるのです。
 釈尊と孔子とを比べてみると、この点で、やはり違いを感じます。孔子は、諸国を流浪しつつ、就職運動、任官運動をするのですが、なかなか受け入れられませんでした。そのため、弟子たちも、いつもひもじい思いをしており、孔子が実際に連れ歩いていたのは少人数でした。孔子は、釈尊ほどには組織的な伝道の考え方ができなかった人なのではないかと思います。
 釈尊が、悟りを求める過程において、インドのヨガの行者がやっているように、独りで河原や山などで修行したことがあるのは事実ですが、だからといって、釈尊はヨガ仙人になったわけではないということは明確です。
 したがって、仕事能力と仏教的な悟り、および大乗的救済運動とは、関係があると考えざるをえません。「仕事能力は在家的な能力である」とは、必ずしも言いきれないのです。
 釈尊自身が、この世的な能力とあの世的な能力の両方を備えた人であったことが、その根源であり、その元にあるのは、釈尊がカピラヴァストゥの王子であったことです。釈尊は、王になるべく教育された人であり、二十九歳まで王子としての修行を積み、そのままいけば、王になるのは時間の問題であったのです。
 釈尊は、人の使い方から食糧の問題や税金の問題、さらに、「隣国が攻めてきたときに、どのように防衛するか」というような軍事的な観点まで、さまざまなことを帝王学として学んでいました。現代的に言えば、経営学的なものも勉強していたこと、また、数学的な観点から、さまざまな数量計算もできた人であったことは、間違いないのです。
 こういう点から言えば、「悟りを求めると、仕事ができなくなる」というような考えは、やはり一種の逃げであると言わざるをえません。
 「悟りを高めつつも、仕事ができる」ということが、実は多くの人々を救済することにつながるのです。そして、多くの人々を実際に救済しえたならば、その悟りにそれだけの力があり、普遍性があり、人々を救済するに足る力があったということを実証することになるのです。
 想像してみれば分かるでしょう。仙人が山のなかで独り悟りをし、木の実を食べて生きたり、逆立ちをして生活したりしていると、みなさんは「すごい」と思うかもしれません。しかし、それは、それ以上のものではなく、人に説くべきものは何もないのです。やはり、一人ひとりの悩みを解決していく道を示すほうが、大いなる仕事であると思います。
 したがって、「仕事能力は在家的な能力であり、悟りの能力は出家の能力である」というように、安易に考える人がいるとすれば、それはやはり甘い考えであり、そこに逃げがあると言わざるをえないのです。」
(147~151ページ)

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