専門家を集めても経営にはならない

 組織として大きくなったときに、専門家の寄せ集めだけでは運営ができなくなる。

 経営担当者は、努力して育てないかぎりつくれない。そういう人が必要だということを知り、「育てよう」と意図し、努力しなければ育たない。

 これを十分に知らない人が規模の拡大だけを行った場合には、崩壊が起きるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「ライブドアは、上場廃止が決まり、創業期の役員は全員退任ということになりましたが、私が見ると、その役員陣には、あまりに若いこともあってか、やはり、経験不足、知識不足で、危なっかしい感じが非常にありました。「法律違反云々のことを別にしても、いずれ、何らかのかたちで、同じような崩壊は起きたのではないか」という感じがするのです。
 なぜかというと、私が見るかぎり、経営担当者、経営管理者の養成ができていなかったからです。
 トップであった堀江氏の頭のなかには、「自分一人が指示をすれば経営はできる」と思っていたところがあるのでしょう。ニュース等によれば、「堀江氏は、一日に数千件もメールを見て、イエス・ノーの指示を出していた」という話もあります。
 もし経営判断を一日に数千件もするとしたら大変なことです。そのようなことは、とてもできるとは思えないので、雑情報も見ていたのだろうと思います。そういう情報は、どうしても比較級数的に限りなく増えていって、どうしようもなくなり、やがて、それは、その人の判断キャパ(容量)を超えてしまいます。必ずそうなるのです。
 仕事というものは、最初は、何かの専門性があれば成り立つのですが、大きくなっていくと、それだけでは済まなくなってきます。コンピュータの技術者、税理士、証券を扱ったことがある人、M&A(企業の合併・買収)をしたことがある人など、何らかの専門性がある人を集めたからといって、経営ができるわけではありません。ここが、いちばん難しいところなのです。
 専門家というものは、そういう職業をしていた人や、適性のある人を持ってきて、一つのところに長く置けば、ある程度、育ちます。五年、十年、二十年と、一つのところに長く置いておけば、専門家は間違いなく育つし、長く置けば置くほど熟練して、よくできるようになることは、間違いないのです。
 ただ、組織として大きくなっていこうとするときに、専門家の寄せ集めだけでは必ず運営ができなくなります。間違いありません。コンピュータのソフトを扱える人は、いくら、その技術が高くても、「千数百人の社員を使って会社を運営する」という能力など持っていません。また、広報・宣伝のベテランがいたとしても、やはり、それだけでは会社の運営はできないのです。
 経営担当者、経営管理者は、努力して育てないかぎり、どうしてもつくれません。そういう人が必要なのだということを知っていなくては駄目です。まず、それを知っていて、「育てよう」と意図し、そして努力しなければ、育たないのです。
 事件当時、ライブドアは設立されてから五年ぐらいだったと思いますが、五年ぐらいの期間で、そういう人を育てるのは、もちろん、誰が考えても、極めて難しいことです。「経営担当者が必要である」ということを十分に知らない人が、規模の拡大だけを行った場合には、いずれ、どのようなかたちにせよ、崩壊が起きるのです。」
(256~262ページ)

 専門家を集めても経営にならないことについて、ドラッカーは こう指摘しています。

 専門家にはマネージャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ専門家にとって最大の問題である。専門家にとっては、コミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならない限り成果は上がらない。専門家のアウトプットとは、知識であり、情報である。彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。

 専門家は専門用語を使いがちである。専門用語なしでは話せない。ところが、彼らは理解してもらってこそ、初めて有効な存在となる。彼らは、自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。

 このことを専門家に認識させることがマネージャーの仕事である。

 また、マネージャーの役割について、こう述べております。

 マネージャーは、個々の活動のみならず、全体の成果を見なければならない。その仕事はオーケストラの指揮者に似ている。第二オーボエとともにオーケストラ全体の音を聴く。マネージャーも、市場調査の活動とともに全体の成果を見ていく。

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