仕事と家庭

 一般的には一般的には、ほどほどの幸福を目指すぐらいのところがよい。

 しかし、経営者でたくさんの社員とその家族に責任を持っているような場合は、「私人」ではなく「公人」になってくるので、公的な領域が増えてきて家族を優先させることがむずかしくなってくる。

 経営者は、公的な領域が増えていくことに耐えられる人間になるよう、自分をつくり変えていく努力をしなければいけない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『知的青春のすすめ』で以下のように説かれました。

「「仕事が好きでたまらない」というタイプと、「仕事が嫌いでたまらない」というタイプの、どちらがいいとは、完全には言い切れないのです。
 仕事が好きでたまらない人は、仕事上、成功する可能性も高いでしょうが、一般的には、家庭面で、どうしても無理が出てきて、奥さんや子供のほうが犠牲になるケースが多いだろうと思います。
 仕事が嫌いな人は、うまくいけば、欲求不満がほどよいところで止まって、マイホームパパになるかもしれないけれども、欲求不満がたまって家族に当たるようだったら“駄目亭主”になり、家庭崩壊になるかもしれません。可能性としては両方ありますね。
 私としては、一般的には、中間的な幸福というか、ほどほどの幸福を目指すぐらいのところでよいのかなと思います。才能があったり、人に推されたりして、出世していくのはよいのですが、極端なまでの無理はしなくてもよいと思うのです。
 ただ、今述べたことは一般の人に対する意見です。
 経営者で、少なくとも数十人、百人、二百人、あるいは、それ以上の社員を持っているような場合、「仕事と家庭のどちらを選ぶんだ。マルかバツか二者択一で答えろ」と質問され、「家庭を選ぶ」と言う経営者は、たいてい駄目なんですよ。
 それは、責任を負っている範囲が広いからです。経営者には、「数十人から数百人、あるいは数千人の人の人生と、その人たちの家庭の将来に対して、責任を負っている」という公的な重さがあるんです。
 会社の規模が大きくなると、経営者の仕事は公的な仕事に近づいていきます。「私人」ではなく「公人」になってきて、公的な領域がだんだん増えてくるのです。それを自覚できないといけません。
 「会社が大きくなるにつれて公的な面が増えてくる」ということを自覚できないと、悲劇が起きます。もし、「いつも家庭の幸福のほうを優先し、仕事は後回し」ということになるようだったら、経営者としては、周りから不信感を持たれ、会社の未来を見限って辞めていく人が増えてくるだろうと思います。「その職業に賭けるか、辞めるか」という選択肢が迫ってくるだろうと思いますね。
 経営者は、まず、従業員の幸福を考えなければいけないし、その最大の前提としては、「会社を絶対に倒産させてはいけない」ということがあるんですね。
 潰れた会社ほど惨めなものはありません。従業員はみな路頭に迷うことになり、彼らの未来の夢が全部ひどい目に遭うのです。やはり、そうするわけにはいかないので、会社を潰すことは悪なんですね。
 あと、「経営者の甘い放漫経営によって会社が潰れる」などということも、やはり悪だと思うんです。「大勢の人が苦しむ」ということは、やはり悪なのです。
 経営者になると、それだけの重い負担を、どうしても背負わなければいけなくなるでしょうね。
 だから、自分をつくり変えていく努力をしなければいけないんですね。「公的な領域が増えていくことに耐えられる人間にならなければいけない」と思います。」
(161~166ページ)

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