ウサギ型とカメ型

 マイナス思考に傾きがちな人がおられる。その原因は、夏休みの終わりになってから あわてて宿題をどうにかしようとしている子供のように、目の前の課題を後手後手に処理しようとしているからではないか。
 この際、逆転の発想で「ウサギ型」の人生を生きてみることを考えてみよう。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『仕事と愛』で以下のように説かれました。

「たとえば、子供のころの夏休みのことを思い返してみてください。
 四十日間の夏休みが始まるときには、どうだったでしょうか。これでしばらくは学校に行かなくてもよいと思うと、喜びにあふれ、顔は笑みにあふれ、一目散に家に走って帰ると、カバンをどこかに放り投げたりして、解放感にかられていたのではないでしょうか。
 しかし、やがて七月が終わって、八月に入り、お盆が過ぎ、八月の二十日が過ぎます。夜が涼しくなり、虫の音が聞こえはじめ、初秋の気配が漂いはじめる八月の下旬になると、子供たちはとても憂鬱になってきます。
 百人の人が過去を思い出してみたとして、夏休みの宿題を七月中に終えてしまったという人が、いったい何人いるでしょうか。百人のうち三人もいればよいほうではないかと思います。そうしたものであって、夏休みの宿題は、なかなか手がつきません。そう簡単には手がつかないのです。
 目の前の解放感にとらわれて、どうしてもやすきについていく それが人間の定めと言えるものかもしれません。何十日かのちに苦しみが迫っているにもかかわらず、目の前にぶら下げられた解放感という名のエサに、どうしても飛びついてしまうのです。
 しかし、子供のころの教訓というものは、実は人生の原型そのものであり、大人になってからも生きてくるものなのです。
 もちろん、ウサギ型の人生だけが勧められるわけではなく、カメのごとくのんびりとやっていく人生も、味のある人生ではあります。
 ただ、昔話にある、ウサギとカメの競走では、ウサギはピョンピョンと速く跳んでいき、途中で昼寝をしてカメに負けたことになっていますが、比較的短い周期で人生を見る場合には、ウサギ型の人生も悪くはないという考え方もあります。少なくとも昼寝をするだけの余裕があったというのは、大きな発見でしょう。
 悩むといっても、実は何十年も先のことまで取り越し苦労をすることは難しいのです。みなさんが精神的にまいってしまったりするのは、たいてい、現在ただいまのことや目先のことである場合が多いのです。
 何十年も先のことまで憂えている人というのは、よほどの大人物か、またはその逆です。通常の場合は、現在ただいま、あるいは向こう数カ月か一年ぐらいのことを、人は悩むようになっているのです。
 したがって、この際、逆転の発想で、ウサギ型の人生を生きてみることも大事です。先へ先へと進んで昼寝をしているウサギには、少なくとも悩みがないと思われるのです。
 そこで、どうしてもマイナスの思考に傾きがちな人は、「物事を後手後手に処理しようとしていないか」「夏休みの終わりになってから、あわてて宿題をどうにかしようとあがく子供たちのようではないか」「一年後れで勉強についていくような受験生のようではないか」ということを考えていただきたいのです。そこに新たな発見があるのではないかと考えます。」
(217~223ページ)

 『若き日のエル・カンターレ』には、「平凡であるが、蓄積ということ、継続ということにおいて努力していけば、やがて、ある時点で化学変化でも起きるように、大いなる飛躍を経験することもある」(P-25~26)とあり、カメ型の人生を奨めている。

 一方、『仕事と愛』では、「比較的短い周期で人生を見る場合には、ウサギ型の人生も悪くない」という考え方もあります。『少なくとも、昼寝をするだけの余裕があった』ということは、大きな発見でしょう」(P-205)と指摘している。

「全員がカメ型になると、発展の速度が遅くなるので、「ウサギ型も大事にしてください」と言っているのです。

 カメ型もウサギ型も、両方とも真理だということです。」(『経営入門』P-119)

 どちらも真理なので、両立させていくことが大事です。

 

予習型人生

 さらに、「予習型人生が大事である」という指摘もあります。

「仕事が出来ない人のほとんどは、後手後手に回っています。早めに手を打っていく人で仕事の出来ない人はあまりいません。仕事ができる人は、たいてい早めに手を打っていく人です。

 早めに手を打っても外れることばかりする人も たまにはいますが、それはよほど勘の悪い人であって、先手を打っていく人は、普通は仕事がよく出来るのです。

 仕事が出来ない人は、ぎりぎりまで追い込まれ、パニックになるような仕事の仕方をします。そうならないためには、予習型に持っていき、余裕を生み出すことが大切なのです。」(『経営入門』P-119~120)

 経営環境から見ても、予習型でなければ生き残れない面がある。市場の変化が速く、製品や商品の寿命が短くなっているからです。

 予習型の人生を送るにあたって、体調管理の問題も大きい。

「実際に、ビジネスマンの悩みは、疲れから来ている者が多く、「疲労がなければ悩みの80パーセントが消える」ということも事実です。

 したがって、自分に対して悲観的なことを考えがちなときには、「ちょっと待てよ。自分はくたびれているのではないか」と考えてみてください。そして、「疲れたぐらいで悲観的な人生になり、おまけに、死後地獄にまで堕ちてたまるか」と思わなければいけません。」

「肉体が限界を超えるまで頑張る人がいますが、その結果、体を壊して入院することになったのでは効率が悪いのです。「倒れて入院するまで自分は頑張った」ということを見せたいのかもしれませんが、倒れたあとのマイナスを考えると、あらかじめ こまめに休んでおいたほうがよいのです。

 倒れる前に休養をとること、「やらねばならない」という思いを断ち切って、休みを取ることが大事です。これを実行してください。働き過ぎがマイナスになることもあるのです。勉強も やり過ぎると効率が落ちてきます。肉体面にも配慮が必要なのです。

 また、不満の原因は、肉体的なものではなく、実は精神的なストレスであることもあります。やはり、ストレスというものはあるので、休養は非常に大事であると考えてください。

 能率を上げようと思うならば、一年のうちで、時々積極的休養、つまり自分がさらに仕事をするための休養を少し入れるだけの勇気を持つことが大切です。そうしないと、能率がおちていき、収穫が提言してくるのです。それを見切らないといけません。

 そのときに、勇気を持って一日でも二日でも休むと、さらに仕事が出来るようになります。貧乏症でずっとやり続けるのは非常にマイナスです。トータルで収穫が最大になる方向を目指すべきなのです。」(『経営入門』P-121~123)

 

積極的休養の効果

 コンディションを整えるために、休日を積極的に使っていただきたい。

 「収穫逓減の法則」で考えれば、収穫を増やしていくためには適度の休息をとる必要がある。

 休養は、積極的に収穫を増やしていくための方法論である。

 大川隆法総裁は、『仕事と愛』で以下のように説かれました。

「自分のコンディションを整えるために、休日を積極的に使っていただきたいと私は考えます。日本人は休日の使い方がとても下手です。休むということ、力を蓄えるということを知らないのではないかと思えるのです。
 経済学の法則のなかに、「収穫逓減の法則」というものがあります。「効用逓減の法則」といわれる場合もあります。それは、「単位あたりの満足度というものは、最初の一単位で得られた満足度よりも、二単位目、三単位目、四単位目と、新たな単位が次々と増えるに従って、得られる満足度がしだいに減ってくる」という考え方です。
 たとえば、おなかが非常にすいていたとします。そうした空腹のあとで食事にありつけたとすると、一膳目のごはんは舌もとろけんばかりのおいしさでしょう。ところが、同じくごはん一杯でも、二膳目になると、喜びが少し減ってきます。三膳目になると、もっと減ってきます。四膳目、五膳目になると、しだいに食べられなくなってきます。これは、ごはん一杯の効用が逓減したと考えてよいでしょう。
 勉強の効果の場合も同じように考えられます。一日じゅう同じ科目を勉強していると、頭に入ってくる量が次第しだいに減ってきます。最初の一時間では非常にいろいろなことが学べたのに、二時間目、三時間目になってくると、気が散って、ほかのことを考えはじめ、しだいに収穫が減るようになるのです。
 ところが、根性で勉強するということを主体に考えている人は、いくら収穫が逓減してきても、「これでもか、これでもか」と、五時間、八時間、十時間、十二時間と勉強を続けるようになっていきます。
 しかし、ただ漫然と三時間勉強するよりは、一時間勉強して十分の休憩を入れ、さらに一時間勉強して、また十分の休憩を入れるというようにしたほうが、はるかに効率は上がっていくのです。これは単純ではありますが、いつも変わらない真理なのです。
 それゆえに、みなさんにまずお教えしたいのは、収穫を増やしていくためには適度の休息をとる必要があるということです。
 いずれにしても、単なる怠け心とは違って、積極的に収穫を増やしていくための方法論であることを忘れないでいただきたいのです。これが積極的休養の効果の一つです。」
(156~160ページ)

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