200 中国の始祖は”天照大神”だった

 「中国悠久の歴史」を仰ぎ見る日本人は多い。だが、中国文明のルーツは、太陽神・天照大神であったことが明らかになった。「日本文明3万年説」は現代中国の野望を打ち砕く。世界最古の文明の一つの中国文明が日本を文明化した。中国は日本の「親」にあたる。日本にはそうした歴史観が刷り込まれ、精神的に中国を仰ぎ見る人を多く生み出してきた。

 しかし、近年、幸福の科学大川隆法総裁の法話や霊言などにより、その歴史観が崩れ始めている。そして、「洞庭湖娘娘・堯・舜・禹の霊言 古代中国 徳の源流」で、中国の始祖が”天照大神”であったことが明かされた。

 

堯以前に存在した”天照大神”

 前漢の歴史家・司馬遷が記した『史記』には、古代中国の「五帝の時代」の徳高き君主として、「堯」「舜」、続いて夏王朝を開いた「禹」が記されている。特に、堯は「中国の太陽神」「聖人」として崇められてきた。

 霊言で現れた堯は、当時、天からの啓示を受けつつ、「文字、数学、それから町、家をつくっていくための工学的なものなど、学問の源流のようなものをつくっていた」と語った。

 また、主な教えとして、礼・智・信・義・勇を説いて「徳を中心とする国家づくり」を目指し、これが後に孔子が儒教で説いた「五徳(五常)の教え」の源流となったという。

 そして、「日本では天照大神、あるいは大日孁貴(おおひるめのむち)と言われていた太陽神が堯です」と衝撃的な事実を明かした。

 近年、幸福の科学の霊査では、『古事記』『日本書紀』よりも古い文献『ホツマツタヱ』に記された天御祖神が、今から約3万年前、「日本文明」を開くために約20万人の大船団を組んで宇宙から飛来し、富士山周辺に降り立ったことが明かされている。この時、天照大神の魂の兄弟の大日孁貴にあたる存在が地上で迎えたことも分かった。

 今回の霊言で、約4000年前に始まったことが判明した中国文明の始祖・堯に先駆けて、天照大神が存在し、その後、堯として転生し、中国文明の源流を創ったわけである。天照大神の転生の姿である堯も天御祖神の流れの中にあり、その下で、中国文明が開かれてきたのです。

 左翼史観や唯物論と結びついた考古学では決してたどり着くことはできない事実だが、日本人、中国人ともに天地が引っ繰り返るほどの衝撃だろう。

 

堯から禅譲された舜は「天照大神の息子」

 天照大神の息子に、天之正勝命(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)がいる。霊言では、忍耐強さや ひどい仕打ちをする親にも孝を尽くしたことを見込まれ、堯から帝位を譲り受けた舜がその生まれ変わりであることも明かされた。

 舜は、「自助の精神」の権化とも言うべきある霊人の指導を受け、当時さまざまな農耕の道具の開発や、船をつくる技術、田畑をつくる灌漑技術などを広めたという。

 また、天之正勝命の魂は、近代の日本に東郷平八郎として転生したことも明かされた。

 霊言の最後に登場したのは、舜から帝位を禅譲された禹。日本には、松下電器の創業者・松下幸之助として転生したことを明かし、「舜帝の時に人口が多くなって、町が広がっていきましたので、だいぶ帝国として広がりつつあった時代」と当時を振り返り、揚子江から黄河流域にまで広がる文明を創ったと語った。

 三聖人の霊言の前には、堯の娘で舜に嫁いだ、水を司る中国の女神・洞庭湖娘娘(女英)の霊言も行われ、堯について「中国という国の始まりにおいては、最初の光のような人ではあったのではないか」と語り、実は稲作などのコメ文化は日本から中国に入ってきたこと、堯の娘として舜に嫁いだのは通説では二人いたとされているが、洞庭湖娘娘一人だったことなどを明かした。

 

「日本文明3万年説」が中国の野望を打ち砕く

 日本文明の源流となった天御祖神の流れを汲む天照大神、その息子の天之正勝命、そして、戦後日本の繁栄をリードした松下幸之助が、それぞれ堯・舜・禹として徳治政治を行い、中国文明を新たに創っていった。

 今、日本人は「中国文明の起源は日本文明だった」という歴史の真実を受け止め、「中国5000年の歴史」を誇る習近平政権に対し、「日本文明3万年説」を唱え、膨らみ続ける中国の征服欲を潰し、ウイグルや香港での人権・宗教弾圧、周辺国への侵略の野望を打ち砕く必要がある。

参考

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