徳

 徳とは、生まれつきのものではなく、この地上で人間が生きていく過程で生じる後天的なものである。

 徳が生まれるのは、一つには挫折のさなかである。その逆境が、自分に何を教えんとしているのかという天意を読みとり、自分をさらに生かしていく積極的な種を見出し、その種を育てていくこと。

 もう一つは、成功のときである。その成功を、自分の成功とせず、私物化しない気持ちが、大きな徳を生む。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝思考』で以下のように説かれました。

「徳というものは、生まれつき与えられたものではないのです。徳は、この地上、三次元においては、人間が生きていく過程で生じてくるものであり、後天的なものなのです。
 それでは、徳はいったいどこで生まれてくるのでしょうか。一つは挫折のさなかです。
 まず、挫折のとき、失意のとき、逆境のときに、なぜ徳が生まれるのかを考えてみましょう。
 逆境のときに不遇をかこつのは、普通の人間です。たいていの人は、失敗をすれば、「運が悪い」「これは環境が悪かった」などと言います。人のせいにしたり、いろいろなことのせいにしたりします。守護霊のせいにする人もいます。いずれにしても、逆境のときや挫折のときに、その重圧に耐えかねている人が大部分です。
 また、これより少し心の程度が高い人がいます。単に逆境に打ちひしがれるのではなく、逆境を何とか認めよう、受け入れて耐えていこうとします。逆境を受け入れて、それに耐えようとする人は、平凡な人よりは上かもしれません。
 その上には、逆境にあっても、楽天的に朗らかに生きていこうと努力する人もいるでしょう。こうした人は、もう少し上でしょう。上の下ぐらいまでは、いっているでしょう。
 しかし、逆境において、ほんとうにいちばん偉い方というのは、この常勝思考を持っている方なのです。
 逆境のなかにおいて、大きな天意、天の意志というものを読みとり、「この逆境が、この挫折が、自分に何を教えんとしているのか」を読みとるのです。いや、読みとらねばなりません。
 この天意、天の心を読みとり、「自分にいま必要なものは何なのだろうか。いったい、この挫折や苦難は、自分に何を教えようとしているのか」 この部分を読みとって、その後の自己の人格形成、その後の行動の成功原理にもっていける、こうした体験のある人には、徳というものが生まれてきます。そこに非凡な力が、光が、輝いているからです。
 苦難のとき、失意のときに耐えるということだけでも非凡ですが、ほんとうに非凡な人というのは、そのなかに天の意志を読みとって、自分をさらに生かしていく積極的な種を見出し、その種を育てていきます。それがほんとうの非凡であり、そこに徳が生まれます。これが一つです。
 徳が生まれる過程のもう一つは、成功のときです。
 世に名を遺す人は、やはりどこかで成功体験があります。この花咲いたときの、花の咲かせ方がやはり大事なのです。そして、花を咲かせたときに、その果実を自分のものとしないという気持ちが大事だと思います。
 大きな成功を自分のものだと思わないで、「自分は水を注いだかもしれないが、天の意がここに現われたのだ」という気持ちを持つことです。そして、自分の成功としない、成功を私物化しないという気持ちが、大きな徳を生みます。」
(179~186ページ)

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