土偶は宇宙人の目撃情報

 古代のレリーフや偶像には、宇宙人を思わせる生物が描かれているものが数多く存在する。

 宇宙人との交流を示唆する証拠として、「オーパーツ」が世界中で発見されている。その時代の技術では製造できないと思われる工芸品であるオーパーツは、宇宙人からの技術によって作られたという意見がある。

 縄文中期出土の土偶に、明確に3本指を意図して作られたものがあり、通常3~本指のグレイタイプの宇宙人と酷似。また、その土偶の顔のマスクは、グレイ似のアーモンド形の目をしていて、明らかにグレイを意識して作られている。

参考

遮光器土偶は「宇宙人の目撃情報」?

 日本各地に遺る縄文時代の土偶。中でも、ひときわ異様な姿で有名なのが、青森県亀ヶ岡で発掘された遮光器土偶です。三戸郡南部村小向、弘前市十腰内遺跡からも、似たような岩偶が見つかっている。

 この大きな目や、縄文人とは思えない不思議な服装は、何をモチーフにしたものなのか。謎は多い。

 しかし、1968年、スイスの実業家であるエーリッヒ・フォン・デニケンは、この遮光器土偶を、宇宙人をかたどったものとして紹介している。確かに大きなアーモンド型の目は、目撃情報の相次ぐグレイ型宇宙人を彷彿とさせ、その服装は宇宙服のようだという。

 その風貌の意味を、象徴学などを駆使して無理やり説明するより、「そういうものを見た」と考えた方がシンプルかもしれない。

 

「古事記」に出てくる神が乗るUFO?

 時系列的には有史以前を描いている「古事記」の神代篇。そこには、「天鳥船」という神でもあり飛行船でもある存在が登場し、他の神を乗せて飛行している。この「天鳥船」に関しても、「UFOではないか」とする説は昔から絶えない。

 「空飛ぶ船なんて、空想の産物」と考える人もいるだろうが、そうとも言い切れない。

 「古事記」の時代よりも、さらに前の歴史を記したとされる「竹内文書」という古文書がある。一般的には「偽書」とされるが、古いものであるのは確かで、このような記述がある。

 「天皇が天空浮船に乗って、登り行く(到着した)ところを『羽根』と名づける」

 この記述を頼りに、全国の「羽根」という地名を探ってみると、驚くべき事実が浮かび上がる。 

 石川県の「羽根」、富山県の「呉羽山」「羽根」「小羽」、岐阜県荻原町の「羽根」、愛知県岡崎市の「羽根」。これらの地点を線で結ぶと、日本海側から太平洋側までを貫く、真っ直ぐな直線になる。 

 それだけではない。その直線は、東経137度11度に沿った、きれいな南北の線になっている。

 世界や国内にも、遺跡が“東西”に並ぶ「レイライン」と呼ばれるものは存在する。ただ、「東西のライン」であれば、まだ太陽や星を使った方角の測定で、引けないこともない(それでも高度な技術だが)。

 しかし、「南北のライン」となるとわけが違う。太陽や星から方角を測定するのとは別に、時間を正確に計る技術が必要となる。精密な時計が開発されたのは18世紀。人類が経度を正確に計る技術を得たのは、それからだと言われてきた。 

 もし、この「羽根ライン」が意図的に引かれたとすれば、近代以降に開発された高度な技術が超古代に存在したか、「空から日本列島を見下ろせるUFO」がいた可能性もある。

 

江戸時代に目撃された「うつろ舟」はUFO?

 江戸時代には、UFOの目撃情報も存在する。享和3(1803)年、現在の茨城県である常陸国に奇妙な舟が流れ着き、江戸っ子たちを驚かせた。その目撃談を記した資料が、「南総里見八犬伝」の作者で知られる滝沢馬琴の随筆集をはじめ、約10件も存在する。

 いわゆる「うつろ舟」と呼ばれるこの舟は、直径5メートル、高さ3メートルで、上部に窓がついている。そこには若い女性が乗っており、背丈は180センチもあり、顔は青白く、眉毛と髪が赤黒いという。

 史料の多くには舟の詳細な絵も描かれているが、どう見ても、近年も目撃されているUFOそのものである。ただ、それらの史料に書かれていた目撃場所がどれも実在しなかった。そのため、「異国への恐れが生み出した創作ではないか」とも言われていた。

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