日本文明三万年の歴史

地球人類文明史概略

 

地球人類

地球物理学時代区分

4億年前

地球人類が地上に誕生

古生代デボン紀

3億3千万年前

アルファ時代

古生代石炭紀

1億5千万年前

エローヒム時代

中生代ジュラ紀

73万5千年前

ガーナ文明」最盛期

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第二氷期

37万年前

ムー大陸出現

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第二間氷期

30万年前~15万3千年前

ミュートラム文明

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第三氷期~第三間氷期

20万年前

大八洲出現

(大陸から離れ、日本列島がほぼ完成)

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第三間氷期

8万6千年前

ラムディア大陸隆起

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期

7万5千年前

アトランティス大陸浮上

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期

4万4千年前

~2万7千年前

ラムディア文明

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期

3万年前

~(現在)

日本文明

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期~新生代第四紀沖積世

2万年前

~1万5千3百年前

ムー文明

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期

1万6千年前

~1万4百年前

アトランティス文明

新生代第四紀洪積世(氷河時代)第四氷期

1万年前

~6千年前

アスガルト文明

新生代第四紀沖積世

 

 世界に現存する国家で最古の国をご存知でしょうか? 実は、私たちの国、日本国こそが世界で一番古い国です。

 「中国4000年の歴史」とか言われますが、実際には、中国共産党政権の歴史は60年しかありません。中国大陸では、漢民族や満州民族、モンゴル民族がそれぞれに国の興亡を繰り返し、文化的な連続性を持っているとは言えないのです。

 また、古代ローマ帝国は栄華を極めた時代が長く続きましたが、それは永遠に続くものではありませんでした。現在の大国アメリカでさえ200年余りの歴史です。

 

日本の歴史は人類の奇跡

 日本の国は、神武天皇以来、現在の今上天皇まで、万世一系で貫かれ、一貫してその文化伝統が受け継がれている、世界に類のない国家であるのです。

 日本が「ものづくり」に長けた素質を持っている理由の一つとしては、3000年に近い「ものを作る技術」が国家が絶えることなく連綿と受け継がれてきた環境があったからです。しかし、それは簡単に国家が続いてきたわけではありません。その時代の私たちの祖先が国を守る努力を怠らなかったからです。

 鎌倉時代の元寇や幕末の西欧列強の植民地支配、日露戦争がありました。そして、先の大戦では、敗戦という国家が無くなってもおかしくない歴史を経て、戦後経済大国にまで復興を遂げたのです。

 「神国・日本」の歴史は「人類史上の奇跡」とも言われています。

 過去200年の間、全世界に210ヵ国あった国家のうち60ヵ国(28%)以上が消滅しています。

 アジアでは、清、中華民国、満州国、内モンゴル、東トルキスタンなど。ヨーロッパ系ではオーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン帝国、ソ連、東ドイツなど。そのうち、51ヵ国が近隣の国からの侵略によって消滅しています。これが世界の現実なのです。

 

日本文明はムー文明の源泉、東洋文明の始祖

文明伝達は 「日本 → インド → 支那 → 朝鮮 → 日本」

 日本から ムー大陸へ、そして、日本 へ という解釈が正しいのです。(天御祖神の公開霊言「天御祖神の降臨」より)

 

20万年前に日本列島がほぼ完成した

 20万年前、大八島(日本列島)を大陸から切り離した。大陸から日本を切り離したのは、ロシア・支那・オセアニアに凶暴な種族がいたためです。日本の調和された世界を維持する為に切り離したという。

 

約3万年前、日本に存在した超古代文明「富士王朝」

 武内宿禰(たけのうちのすくね)という存在をご存じだろうか。『古事記』『日本書紀』に登場し、大和朝廷で景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えた忠臣とされている。戦前は一円札の肖像画になるほど有名だったが、近年はその実在を疑う人も増えている。

 超古代の日本は、文明の発祥地として世界の文明に影響を与えた。

 幸福の科学大川隆法総裁は、「自分の国の歴史を愛さない人間は国を滅ぼしていく人たちなのではないかという気持ちは持っています」「日本の国も歴史を否定してしまえば、おそらく根無し草になる」と述べ、日本の歴史に誇りを持つことの大切さを語った。

 その上で、武内宿禰の霊は、約3万年前から始まった日本の超古代文明について言及した。「富士山の山麓からの平野に、最初の高天原があったっていうのは本当なんで。だって、いちばん高い山で日本の中心ですから。だから、あのへんに神が降臨しなければいけない」と指摘。

 天御祖神(あめのみおやがみ)という神が約3万年前に富士山に降臨し、その山麓に最初の高天原として「富士王朝」をつくり、それが日本各地に分散していったという。

 天御祖神信仰に基づいた日本の影響力が、ムーやアトランティス、ロシア、中国、インド、イラン、エジプトなど世界各地の文明にまで及んだ。新天皇の即位時にはユダヤから謁見に訪れるほどだったという。

 現在、アジアでの覇権を握ろうと画策する中国は、「日本の基本的な文化や制度は、中国から渡ったもの」と主張し、日本を”属国”扱いしようとしているが、その認識は間違いであることが分かる。

 また、武内宿禰の霊によると、天御祖神は「邪を罰し、正しきものが繁栄すべき」という善悪を分ける考え方をはっきりと打ち出し、人々に説いていたという。正義に基づいたこの考え方は、日本の「武士道」の元になっており、世界的な普遍性があったため、西洋にも流れ込んだ。

 このような超古代史を踏まえた日本の正しい歴史を知ることは、日本人として本当の誇りを取り戻すことにもつながる。

参考

大和の国をつくった天御祖神は3万年前に宇宙から降臨

参考

 この国に、いったい何があったのか。幸福の科学大川隆法総裁は、人智をはるかに超えた霊能力でリーディング(霊査)を行い、その一端を明かし始めている。

 この国の始まりは、今から約3万年前に、宇宙から富士山麓に降り立った神が築いた王朝だった。

 宇宙からは富士山が一番目印になる。当時、富士山は噴火していたが、それを止めさせ、裾野に木々を茂らせた。

 天御祖神神社もあったが、日本は木の文化で、石の文化でなかったので残らなかったという。

 王朝そのものは富士の噴火で全国各地に散ったが、その精神は今の日本に脈々と受け継がれている。

 

空を覆う20万人の宇宙船団

 3万年前の日本は、北方はロシア側と、南方は中国側と地続きで、日本海は巨大な内海(湖)だった。それ自体は、「氷河期で海水面が低かった」という説と合致するが、霊査によれば、今より温暖だったというので、氷河期ではなさそうだ。地球の地殻や地軸の様相からして、今とはまるで違ったのかもしれない。

 当時、日本の先住人類は、おおむね「旧石器・縄文」的生活をしており、大陸から来たマンモスや5メートル大の虎、翼竜などに対し、落とし穴や投石具で戦っていた。そんな時代のある日のこと、富士山上空に大宇宙船団が現れた。構成員は約20万人で、船数も数百では済まなかった。その光景は文字通り「天を覆うような」ものだったという。

 中に巨大な母船があり、「もう一つの富士」の上に着陸したが、その重さで山は潰れてしまった。

 確かに、富士の火山史を調べると、昔は「古富士火山」と「愛鷹山」が並び立っており、これが「一富士、二鷹、三茄子」という言葉の由来とされる。通説では、愛鷹山は、休火山であったにもかかわらず「自然に山体崩壊」し、現在の台形になったというので、やや不自然な話ではある。潰れた山が愛鷹(現在、直径十数キロメートル規模)だったとすれば、母船は巨大都市並みの大きさだったことになる。

 

神の姿は「金剛力士」

 その母船から、見上げるばかりの巨大な存在が降りてきた。この国の始まりの神、「天御祖神」である。

 天御祖神は、聖書に出てくる神エローヒムや、イエスが父と呼んだ存在、イスラム教におけるアッラーといった地球神や、釈尊とも魂的につながり、宇宙創造の根源にもつながる至高神的存在である。

 その姿は必要に応じて変えられたというが、当時の身丈は25メートル。ちょうど東大寺大仏(坐像15メートル)が立ち上がった姿と想像できる。

 容姿も、見る者の心によって変化したというが、当時を生きた霊人たちの証言を総合すれば、「金剛力士像」とかなり似ているという。これは一般にインドから伝わった仏法の守護神とされるが、日本の古代・中世に造形されたものは、天御祖神を霊視した姿でもあるかもしれないという。そして、その体も鉄よりも強い「金剛身」だったという。

 風神・雷神の様な布を巻いている感じである。光で目が潰れるので、見てはいけないとし、合掌正座でお辞儀をすることを教えた。これが東洋のお辞儀の源流である。声も出したが、テレパシーも多用された。
 天御祖神は、日本の始祖、高天原創始者。ムー文明を含め東洋文明の源泉。地球神と同一存在でおられる。

 天御祖神は、地球神というより宇宙国籍。外宇宙の銀河のメシア星の幾つかを指導しておられる。

 天御祖神の きれっぱし がインドの ヴィシュヌ神だとか。天御祖神は11次元の存在と言う。11次元とは「恒星意識」なのだが。

 天御祖神は人間の創造も行った。巨大な柱を通じて、あの世からこの世に人間の魂を降ろし、転生輪廻する人間を常に守り続ける慈悲の神だと記されている。

 『ホツマツタヱ』などの研究者・池田満氏は、著書『縄文の心を旅する』で天御祖神の性質について以下のように述べている。

 「日本の古代における絶対神、アメノミヲヤの温かさについては、イスラム教のアッラーの慈悲深さに通じるところがある。もうひとつの代表的な一神教のキリスト教・ユダヤ教のヤハウェ(ゴッド)との比較においては、そこにはある種の嫉妬深さがあって、アメノミヲヤとの性質の相違点は大きい」

 「アメノミヲヤの感覚としては、ヒトとは一種の分身のようなものなので、何はともあれ守る力が働いてくる。しかし、ヤハウェ(ゴッド)ではそうはいかない。絶対神にとって気にそぐわない人間は守るべき対象とならない。日本古代におけるアメノミヲヤというものは、ヒトとしての守らない人間など皆無だったのである」

 天御祖神は人間と一体であり、常に人間を守ると指摘。それを踏まえて、この神様には「人格性に透明なる性質」があると述べている。

 日本神道の天御祖神も聖書のエローヒムも、「人間の魂の親」であり慈悲深い。『ホツマツタヱ』と『旧約聖書』は同じ神への信仰を記した可能性がある。そもそも、創造神が複数いるのはおかしいわけだが。

 なお、イスラム教の神「アッラー」はエローヒムが語源で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信じている。それに加えて、日本神道も実は同じ神を信じているとなると、これは驚くべきことです。

 大川隆法総裁は、『日本神道的幸福論』のあとがきで、日本神道が世界宗教性を持っていることを明言されました。日本神道が悪魔の宗教だというのは間違いなのです。

 

アンドロメダからワープで来訪

 ところで、こうした存在がどこからやって来たのか。それは、地球から250万光年近く離れたアンドロメダ大星雲である。「帝王星」という意味の名で呼ばれた星から、後ろ姿が「宇宙戦艦ヤマト」にも似た母船が、海峡にかかった三角形の「スターゲート」を通ってワープしていく様子が霊視されている。

 では、その来訪の目的は何か。当時の地球では、インド及びインドに近い地域で、宇宙勢力も絡んだ(?)核戦争のようなものが起きた。その様子はインドの叙事詩『マハーバーラタ』などに記されている。西南アジアの砂漠やゴビ砂漠などはその時に生まれ、ユーラシア大陸の文明は大崩壊した。そこで地球神の要請もあり、ユーラシアに近い日本で文明の高みをキープするために天御祖神は降臨したのです。

 「日本文明」を作られたのは、叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』『リグ・ヴェーダ』に記述があるように、その当時ユーラシア大陸は核戦争で文明崩壊、放射能汚染、砂漠化進行となっていたので、日本に精神文明を作り、一定の理想系をキープし、他の大陸が落ち着いてきたら再び文明を輸出する機能を担保する為に日本を選んだという。

 「日本文明」には、「精神的な高み」を重視。東洋の始り東洋のギリシアをつくり、ムーへ影響を与えることを目的とした。

 「日本文明」は、「ムー文明」「アトランティス文明」より古く、「ラムディア文明」と同じくらいの古さである。日本文明は正史3万年を誇る。日本神道は3万年前から世界宗教であったのです。

 

和の心も武士道も3万年前から

 文明にはもちろん高度な科学技術も含まれた。だがその中心はあくまで精神文明だった。

 天御祖神が教えとしてもたらした高度な精神文化は、次のようなものである。

1 礼儀作法 お辞儀、合掌、正座

 日本人のこうした作法や礼儀正しさは、海外からも美徳として評価されることが多い。これが、天御祖神が最初に教えた「宇宙由来の高度な精神文化」だった。

2 天と地

 空の向こう(霊界や宇宙)には神の住む「天」の世界がある。そこから「地」に降りた人間は、よりよき楽園をつくるべく、努力する使命がある。

3 儀式・お祭り

 結婚・出産・成人などの人生の節目に、神殿に詣でて儀式を行う。戦勝や豊作・豊漁を祈るお祭りも行う。

4 調和のあり方(和の精神)

 目上の存在やお互いに「敬いの心」を持つことによって、秩序と調和をもたらす。

5 武士道精神

 和を重視しつつも、悪なるものが出てきたときには、勇気をもって正義の戦いをするべきである。その手段・象徴として、相撲や日本刀の起源に当たるものももたらされた。

 その他にも、塩や水・縄による結界・禊払いの思想、柏手、鏡など、さまざまな思想とそれを表す作法・習慣・象徴をもたらした。

 今につながる日本文化(神道)の「元なる姿」が、ほとんどこの時代にもたらされていた。これが、3万年という「皇紀2600年」を十数回転するほどの長きにわたって脈々と受け継がれてきたことは、驚嘆せざるを得ない。建物も文献も、さらには国や王朝も、時の中で風化していく。しかし、教えを内包した作法・習慣を民族の遺伝子に組み込み、代々受け継がせることで、この精神文明は相当の部分が3万年存続したということか。ここまで想定して信仰形態をつくったとすれば、まさに宇宙レベルの高度な洞察と言うほかない。

 総裁は、奈良の大仏の造立の責任者として活躍した行基の霊言を収録。天御祖神や日本の興りに関して、驚きの事実が明らかになった。

 行基は、自分たちが宇宙から地球に持ち込んだ食糧や、富士王朝での移動手段、天御祖神が伝えた、今も日本に残る文化などについて具体的に語り、天御祖神が「あらゆるところで、手本になる型をおつくりになる人なんじゃないかなあという風に思います。だから、地球文明の中でも、一つの日本文明という型をおつくりになろうとされたんじゃないかなあ、という風に思います」とした。

参考

「人類創造」で日本霊界を創る

 さらに驚くべき天御祖神の仕事が「人類創造」である。

 生命エネルギーを投入して人間の肉体を増やし、そこに死んだ人の魂などを召喚する。あるいは、神々の元になる指導階級の魂にあたるものも創造したこともあった。これにより、明確な形で「日本霊界」というものができたのもこの時だったという。3万年前にこの地で起きたことは、まさに「創世記」的様相を呈していたのです。

 大川隆法総裁は、『日本神道的幸福論』で、日本神道の本質を解説した。この中で、縄文時代から使われていた古代文字で書かれた文献『ホツマツタヱ』に「天御祖神(あめのみおやがみ)」という神が天地創造をしたと書かれていることに触れたうえで、以下のように述べられております。

「『天地ができる前の、すべてをつくった者も想定しているらしい』ということになれば、『それは、単なる民族宗教ではなくて、やはり、ほかの世界宗教と同じような形態を実は背景に持っている』ということも言えるかと思います」

「そういう意味で、私としては、日本人を野蛮人扱いする宗教論を、そう簡単に全部受け入れることはできません。『民族主義的なものだけではなく、奥には、世界神的なものとも、しっかりとつながっている考え方がある』というように考えています」

 

ピラミッドや大神宮がそびえる富士王朝の姿

 神社の屋根に見られるX字状の木組みは、天御祖神の母星にあったスターゲートの形に由来していると、霊査では示唆された。

 大川隆法総裁のリーディングでは、天御祖神の教えを中心に繁栄した富士王朝の姿も克明に明かされつつある。

 王朝は当時「タカマノハラ(高天原)」と呼ばれていた。その中心的建造物として、天御祖神が住まわれた金属製ピラミッドがそびえ建っていたという。奈良の大仏と同じ身丈の神様の最高指導者に値する住処であると考えれば、現在の大仏殿(高さ約50メートル)のサイズでは小さすぎる。数百メートルの高さは想定するべきだろう。これが、日本各地のピラミッドのみならず、エジプトやマヤなどに遺るピラミッド文明の原型になったのです。

 富士山麓には、こうした御殿が現在の静岡側(政用)と山梨側(瞑想・研修・保養用)にそれぞれ建っていた。天御祖神は夏には山梨側を拠点とし、富士五湖の原型に当たる湖で沐浴をされていた。

 さらに、王朝には、人々が天御祖神に祈るために造った木造の巨大神殿(天御祖神神社)が建っていた。

 過去世で天御祖神にそば近く仕えたある人物が、その神社の様子を霊視するような夢を見ている。山の上の神殿から、広い板の廊下(高床式)が二列伸び、人々はそこを歩く。廊下の間は庭のようになっており、そこを天御祖神が歩く。現在も、神社の参道の中心は神様の通り道とされるが、こうした文化が当時から存在することを示す夢だったようである。

 

「製鉄所」に「発電所」まで

 当時の日本は、今より温暖で植生豊かであり、人々の家屋は木や竹でつくられていたという。

 しかし、王朝には金属が入っており、アルミニウムよりも軽くて強度にも優れ、UFOの船体にも使用されていた 宇宙起源の金属「緋色金(ヒイロガネ)」を道具として使用していた。とはいえ、これは地球外鉱物からしか精錬できなかった。富士山麓の溶岩からも金属を取り出す技術を伝授されていたという。

 また、富士周辺の火山熱を利用してエネルギーを取り出す「地熱発電」のような設備も存在していたという。王朝内に「製鉄所」「発電所」があり、蒸気を上げていたのだろうか。

 

「反重力」で都市内を移動

 さらに、当時もたらされた高度技術が「反重力」である。これは超能力により重力を制御する技法だった。これにより、人々は直径1メートル弱の円盤のようなものに乗り、車代わりに自由自在に動き回っていた。その気になれば成層圏辺りまで飛び上がることもできたという。

 宇宙からは農業技術ももたらされ、粟、稗、蕎麦、芋などもあった。食文化としては、こうした穀物をピザ状にして食べることも多く、天御祖神に奉納する巨大な「ピザ」が現在の 鏡餅 につながっている。

 ギザ大ピラミッドでさえ、その建造のあまりの難易度の高さが議論を呼んできた。その数倍の体積のピラミッドを一体どのように造ったのだろうか。

 1984年、「サンデー毎日」が旧通産省・地質調査所のデータを調べたところ、皆神山中心部の重力が、標準値を6ミリガル(重力の5000分の3)下回り、低重力となっていることが判明した。さまざまな憶測があったが、「皆神山はいわゆる反重力技術で土砂を積み上げて造成され、そのために土砂の一部が異常に軽いままである」との説が出ている。

 確かに、「巨大遺跡=反重力建設」説は世界各地にある。例えば、エドガー・ケイシーは、心霊能力を用いて、相談に訪れた人々の過去世を読み解いた。すると、大ピラミッドを建設したころの古代エジプトに生まれていた事例が1100以上あり、ピラミッドの建設者たちは「浮揚と重力中和の術」(反重力)で簡単に巨大な石を持ち上げていたという。

 また、建造法が不明であるイギリスの環状列石「ストーンヘンジ」は、ドルイド教の魔術師マーリンがアイルランドから魔法で石を運んで建てたという伝説が残っている。

 皆神山ピラミッドも、こうした反重力技術が使われていたと想定すると、確かに建造の難しさと重力異常の両方を説明しているように見える。

 

「敬の心」「信じる」「習う」が教えの中心

 この3つで秩序と調和のあり方を教えられた。

 他に、「天と地の違い」「男女の調和のあり方」、人生の節目に神社へ参拝し、神へ報告(結婚、出産、死去)も。お供えや祭の習慣もこの頃できたものである。

 

民間信仰としての病気治し

 宇宙パワー(一種の放射能、宇宙線)照射による細胞活性化治癒(ヒーリングパワー)を行った。時間を戻し、病氣の原因となった心を過去に遡って入替て治癒させた。寿命もあって無きが如しであった。

 

日本の温泉は天御祖神の霊流

 当時から、富士山麓には温泉が豊富に湧いていた。天御祖神は、住みにくい地球にあっても「これだけはいい」と こよなく愛したという。「温泉好きの日本人」も こうしたところにルーツがある。

 総裁の霊査では、草津温泉の病気治しの力の源である霊存在・草津赤鬼や、日本各地の温泉を守る鬼たちに、天御祖神の霊流が流れていることが分かっている。

 

天照大神や坂本龍馬の姿も

 総裁のリーディングで興味深いのが、富士王朝で活躍した人々の群像である。

 まず、アンドロメダからやって来た20万人の船団の中には、さまざまな姿をした人々がいた。

 例えば、20~30センチほどの身長で、『風土記』に出てくる少彦名命や一寸法師の元になったとも思われるような者もいた。一方、10メートルほどの埴輪型の体を持ち、都市計画・工業生産・信仰形態の考案などにおいて天御祖神を補佐していた、「天御助神」と名乗る存在は後に行基菩薩や二宮尊徳として生まれた魂だった。

 一方、地球で天御祖神船団を受け入れる側に立ち、日本文明創造に参画した指導者たちの中には、後に天照大神、坂本龍馬、木花開耶姫などに転生した者もおり、王朝の防衛・警備にあたった人々には、新撰組局長・近藤勇や俳優の故・高倉健、故・田村正和などに転生した者がいたことが現時点で分かっている。

 日本文明・文化がこれほど長い間存続してきたのは、こうした天御祖神の弟子たちが、時に教えを再興し、時に国を守り、時にその生きざまで精神を体現し続けてきた結果でもあろう。

 

天皇のルーツは宇宙の言葉の「お取り次ぎ」

 また、王朝創建当時、宇宙から来た人々の言葉をテレパシー的に受け取り、他の民に通訳して伝えていたシャーマン的素質を持った人が王朝の酋長として立てられた。この神々の言葉をお取り次ぎして人々に伝えた人が今の天皇のルーツだという。

 

箱根は聖地だった

 霊査によると、天御祖神は約1000年にわたり地上で仕事をし、天上界に還る。そして、その肉体は、現在の神奈川県、箱根・強羅温泉に近い場所に葬られたという。

 確かに、箱根山は元々富士山・愛鷹山と並ぶ この地域の三大巨山の一つだった。それが陥没し、カルデラになったのが現在の箱根地域である。「富士山と並ぶ霊山の胎内」と考えれば、聖なる場所として選ばれたこともうなずける。

 さらに、箱根から見ると、太陽は富士山の上に沈んでいく。その情景に人々が天御祖神の威光を偲んだのか そんな想像が膨らむ。

 

宇宙人土偶”が大量出土

 山梨県は「縄文王国」と呼ばれ、縄文時代の遺跡が約1900ヵ所もある。釈迦堂遺跡には、全国で出土した土偶の1割が集中しており、日本最大級となる。その土偶も、宇宙人や宇宙服のようにしか見えないものばかり。天御祖神王朝後しばらく経った「縄文期」も、富士に近い山梨にその流れを一部引く、あるいは宇宙との関係を持つような地域的繁栄があったのだろうか。

土偶は宇宙人の目撃情報

浅間神社、富士五湖、三保の松原

 富士信仰のルーツは天御祖神信仰だった

 総裁の霊査(木花開耶姫の霊言ほか)によれば、富士山には霊的にご神体が納められており、山が天御祖神の代わりに立っているのだという。

 2013年、富士山をご神体とする山梨県・静岡県の浅間神社群や富士五湖、三保の松原などが、富士山信仰の拠点として世界文化遺産登録された。これらのルーツも「天御祖神信仰」ということになる。全国1300ヵ所の浅間神社や、関東・中部を中心に数百ヵ所ある「富士見」という地名もしかりであろう。

 

富士王朝に関係がある? 熱海の海底遺跡

 霊査(草津赤鬼の霊言)では、静岡県伊豆周辺の温泉場が富士王朝と霊的につながりがあることが示唆されている。伊豆の中でも、特に名湯として知られ、かつ富士山に近い温泉地といえば、「熱海温泉」である。

 この地は富士山信仰とも結びつきがある。熱海の中心的神社であり、「伊豆」という名の発祥地とも言われる「伊豆山神社(走湯大権現)」は、かつて屈指の富士山絶景スポットとして知られる日金山の頂上にあった。

 そして、この熱海周辺では海底遺跡が発見されている。階段状の遺構や謎の石畳、太陽や月を象った鑑石のようなものが確認されている。これがどの時代のものかは諸説飛び交い不明だが、富士王朝やその流れを引く地域的繁栄と関係があるのかもしれない。

 その後、天御祖神の築いた王朝は1万年以上にわたって繁栄したが、約1万5千年前の富士山の大噴火によって、文明は日本各地に散っていく。その後も、幾度かの噴火などにより、富士王朝の痕跡は歴史の表舞台から姿を消していった。だが、その精神は日本各地で脈々と受け継がれていった。それだけではない。天御祖神が日本の地で開いた新文明こそが、現代まで連なる世界の文明の源流となったのである。

 

3万年前から日本語は存在した

参考

 日本語にも「中国起源説」が付きまとう。日本語の起源を弥生時代の初め、2千年ほど前だとし、大陸から稲作と共にもたらされたと考える説である。今なお支持する日本人学者が少なくなく、中国国内では通説として語られることもある。しかし、文法的相違の大きさから、国内のみならず、欧米の学者からも否定されている。

 では、いったい どこが日本語の源流なのか。さまざまな説が唱えられてきたが、決定打となるものは出ていない。これは日本史上最大のミステリーとも言える。もっと大きな枠組みで考えなければ、日本語の起源は分からない。日本語の起源は3万年前にまで遡る可能性があるのです(松本克己著『世界言語のなかの日本語』(三省堂))。

 日本、ユーラシアの太平洋沿岸部、ニューギニア、ポリネシア、南北アメリカ大陸の土着言語が、太平洋を取り囲むように、一つの言語圏を形成していると指摘。一連の類似性は、これらの地域で人的交流が盛んに行われていたことを意味するとした。そして、ここまでの交流は、単に太平洋を回遊する洋上交流だけでは説明がつかず、日本列島がユーラシア大陸と陸続きで日本海が内海(湖)だった太古の時代にまで遡らないと成り立たない。その母胎形成は3万年前まで遡ると。

 漢語(中国語)についてはどうか。ほんの4千年ほど前に、内陸チベット系言語と太平洋沿岸系言語の「混合語」として成立したものである。その上で、日本語の起源が中国にあるとする説に対し、「長年にわたって、東アジアの諸言語全体の歴史的・系統的関係を混乱に導き、諸言語の正しい分類と位置づけを妨げてきた。学問・科学の世界で”中華思想”が生み出した大きな禍根と言わなければならない。

 江戸後期、漢字以前の言葉とされる「神代文字」が全国で複数種類発見され、国学者らによる真偽論争が起きた。この論争は明治期にも勃発したが、創作に過ぎないとする否定論に圧され、個別具体的な検討がなされることもなく、いかなる古代文字も研究対象になり得なくなった。この流れが、「漢字以前に文字はなかった」とする現在の通説につながっている。

 教科書には「漢字渡来まで日本には文字がなかった」とある。漢字が伝わって初めて、日本人は自らの言葉を書き記すようになり、そこからひらがなやカタカナも生まれたとする 通説 である。

 だが、4千年ほどの歴史しかない中国語が文字を持ち、一方で3万年前まで遡ることができる日本語が文字を持たなかったということがあり得るのか。

 漢字以前の文字は確かに存在した。左翼的な学界が意図的に無視しているだけである。そもそも、日本で出土した古鏡には、古代メソポタミアの楔形文字に酷似した文字が記され、銅鐸にもエジプトの象形文字のような跡が見てとれる。そして、紙に書かれた古代文字は日本中で多数発見されている。

 日本書紀などの原典になったと思われる『帝紀』や日本各地の『風土記』は、古代文字で書かれていたと推測されることから、それらをいわば”漢語”に翻訳して歴史書が編纂されたのではないかと思わせる。

 天御祖神は日本にとって大切なものをもたらした。それが「日本語」なのです。現在の大和言葉の起源は、この時に伝えられた「宇宙語」であり、同時に伝えられた文字は秀真文字(ヲシテ文字)の元にあたるものだったという。

 日本は「言霊の国」とも言われる。時に大きな霊力が込められる大和言葉は、宇宙からもたらされた超高度文明だったのです。

日本語は地球語ではなく、もともとは宇宙語でした。秀真(ホツマ)文字も宇宙文字。啓蒙の為これを原住民に教えられた。秀真文字はメソポタミア楔形文字より古いのです。

日本語の起源

「ホツマツタヱ」は超高度な言語体系

 古代文字研究に際して、とりわけその正当性を特筆すべきが、「ヲシテ文字」と呼ばれる同一の文字で書かれた『ホツマツタヱ』、『ミカサフミ』、『カクのミハタ』(『フトマニ』など)の三書である(「ヲシテ文献」と総称)。合計約12万字に及ぶ一連の文書は、記紀では分からない日本の歴史を現代に伝え、地球を「球体」、宇宙を「渦巻き」として捉えるなど近代以降発見された宇宙像まで示す。

 ヲシテによって日本語の発達過程や構造の本質が解明できるため、古代日本の共通語であったことが分かるという。なぜ主語が省略されるのか、なぜ助詞で文章を自由につなげるのか。国語学で解明できていない謎が、ヲシテを読めば解けていける。

 ヲシテ文字は、母音図象と子音図象を組み合わせて音をつくる、『表音文字』の性質を有しながら、同時に、それぞれの母音図象と子音図象が、異なる抽象的な意味・イメージを有しており、一語一語が その合わせた意味を持つ『表意文字』としての性質も持ち合わせている。「高天原」の「たかま」は、漢字で書くと「高い天」を指し、その音は、どこか高い場所というイメージをぼんやりと伝えるに過ぎない。

 だが、ヲシテ文字では、[た][か][ま]であり、[た]は「古来からある多様な祭りや考え方をまとめること」、[か]は「その祭りや考え方が、ひとまとまりのものとなること」、そして、[ま]は「いろいろな祭りや考え方を受け止めて整理し、かみ砕いて民衆に示し、実行すること」と、各文字にそれぞれ概念的な意味が込められており、たった3文字に、日本で行われていた政のあり方が政治学のモデルを示すかのように組み込まれている。

 こうした言語を使いこなしていたということは、古代の日本人が相当に深い哲学を持っていたことを示している。古代日本には とてつもない高度な文明があったのです。

『ホツマツタヱ』

『ホツマツタヱ』と聖書に共通する「言魂信仰」

 天御祖神の特徴として、「言葉によって世界を創り出す」という点がある。

 『ホツマツタヱ』の天地創造の場面を詳しく見ると、天御祖神が「ア」と発すると大きな壺ができ、「イ」と発すると風が吹く。「ウ」と発すると火が生まれるという具合である。日本語の現代の50音は、一つひとつが地上に何かを創造した「言魂」そのものなのだという。これも聖書と共通する。

 『新約聖書』のヨハネ伝は、『旧約聖書』の「創世記」と対応した形で創造神について以下のように述べている。

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」「万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらず成ったものは何一つなかった」

 創造神が言葉で世界を創り出したという「言魂信仰」が明確に記されている古代文献は、『ホツマツタヱ』と聖書だけとされる。このことも、日本神道の天御祖神と聖書の エローヒム をつなぐ一本の線だと言える。

 

日本全国にある高度文明の痕跡

 私たち日本人は、旧石器・縄文の時代、原始人さながらの生活をしていたと、今の歴史は教えている。文明らしい文明が始まったのは、弥生・古墳時代に中国から稲作や鉄器を”教えていただき”、高床式建築などに住めるようになってからだとされた。

 ところが、日本各地には、考古学者たちが見て見ぬふりをする超古代遺跡、それも、ある意味では現代を凌駕する技術力を思わせるものや、万年単位の古さを持つ遺構が数多く残っている。

航海技術  縄文時代に沖縄・青森が船で交流していた

 「縄文時代」と言われる時期に高度な航海技術があったことを示す痕跡があります。

 青森県の「三内丸山」では、北海道産の黒曜石石器が使われていたことが遺物から判明しています。少なくとも5千年前に北海道―青森間の20キロ近い海峡を船が行き来していたことになります。

 東京から300キロ離れた伊豆諸島からは、7千年前から8千年前の縄文遺跡が発見されています。

 また、最近、沖縄県の遺跡から、「亀ヶ岡式土器」と呼ばれるものが発見されました。これは、1千年ほど前に青森県津軽を中心でつくられていたものです。この時期に青森県から沖縄を結ぶ物流・海運が存在したことを示唆しているため、大きな論争を呼んでいます。

 3万8千年前のものと推測される静岡・神奈川・千葉の遺跡からは、伊豆七島神津島産の黒曜石が出土しています。「旧石器時代」に分類される時代に これだけの距離を航行した人たちがいたのです。「人類が石器に目覚めた時代」と位置づけるのには無理が出てきています。

 こうした超古代の海運・物流について、大川隆法総裁が霊言を行ったオオヒルメノムチが次のように述べています。

「あなたがたはもっと後のことだと思っているかもしれませんが、南九州から、太平洋岸に沿って、北海道の方まで行く海の流れ自体は、解明されていて、そういうふうに移動しながら動く廻船みたいなものは、あったことはあったんですよ。それで、南九州から、だんだんにこう上がって、回っていって、北海道まで行って、次太平洋のほうに出て、ぐるっと回って、もう一回、南九州に戻ってくる。こういう航路はあったので、各地の産物が集まってくるようなことは、ありましたね」

 

世界最大のピラミッドは日本にある

 日本には、古来 人々の信仰を集める「霊山」が数多く存在する。その中に、一見自然の山に見えながらも、人工物としか考えられないものがある。それらは「日本版ピラミッド」とも呼ばれ、一説には全国に200~300ヵ所もあるという。

 秋田県鹿角市の黒又山という高さ80メートルの山が有名です。1992年、同志社大学に拠点を置く学術団体「日本環太平洋学会」が、黒又山を日本の古代山岳祭祀遺跡(ピラミッド)とみなして、学術的な調査に入った。そして、地下探査レーダーの調査で、黒又山の斜面は堆積した土を取り去れば、山頂から麓まで幅平均10メートルの7~10段のテラス状階段構造になっていること、山頂の地下5メートルの位置に謎の構造物らしきものがあることなどを突き止めた。

 日本ピラミッドとしては、長野県長野市に立つ皆神山も有名である。この山は、エジプトのギザ大ピラミッドの約2倍となる約280メートルの高さを誇るが、かつて山頂で行われたボーリング調査によると、その土質が岩石と土砂が混じっており、自然ではありえない組成だという。これが人工物だとすると、現存する世界最大のピラミッドということになる。

高度な建築技術 古代日本のピラミッド

10階建てビル並の海底石柱

 日本に高度な文明が「万年単位」の昔にあったことを示すのが、各地に見られる海底遺跡である。氷河期が終わる1万年前ごろから氷が溶けて水位が上昇し、日本列島各地が海中に没したと考えられているので、各遺跡はそれより前に造られたと想定されるからである。

 1万年前までは陸地だったとされる青森県鰺ヶ沢沖の海底に、全長8キロになるという巨大な海底遺跡が眠っている。そこは、宇宙人に似た縄文時代の遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡からほど近い。海底からは人間や亀、ヘルメットを被った兵士、または女性の頭部と見られる石像が発見されている。

 沖縄県与那国島の南部の海底から、巨大な階段構造の遺跡が発見されたのは有名である。長さ250メートル、幅150メートル、高さ25メートルほど。

 沖縄の海底(与那国島沖海底)で、1万年ほど前に築かれた古代都市の廃墟と思われるような遺跡が見つかったことはまぎれもない事実である。この場所は太平洋の西部にあり、10万年前以降のウルム氷期中には西太平洋古大陸(マー大陸)を形成していた地である。そして、この地域からポリネシア方面へ数千年前以降、人も文化も拡散していった。その中心ともいうべき場所に、大陥没を伴った琉球古陸が存在し、太平洋に伝わる古代大陸伝説のルーツがそこにあったとみてよいような現象(異物や巨石構築物も含む)が数多く存在している。そこが実在の ムー大陸 であったとされております。

 詳しく調査したのは、地質学を専門とする琉球大学理学部の木村政昭教授です。1997年3月「琉球弧地殻変動の研究―追跡様海底地形について―」のタイトルで琉球大学海底調査団を結成。スキューバダイビングで繰り返し潜り、写真を撮ったり大きさを測ったりした。その結果、東西400メートル、南北300メートルの範囲にピラミッド状構造物4つを含む5つの岩の構造物があることが分かった。最も大きい岩盤は高さ26メートル、長さ290メートル、幅120メートル。ピラミッド状で、平らなテラス廊下、城門や城壁に見える部分を備えていた。ここから、「×」と刻まれた石器や、牛をかたどったようなレリーフ像もみつかった。さらに、500メートル離れた地点では、直径80メートルほどの平らな海底や、観客席のような岩に囲まれた「スタジアム」もみつかったという。

 木村教授は、①岩の切断面が人手によるクサビ状の穴がある。②長さ100メートルの城壁のような「石垣」は一般的な組石工法で造られたとみられる。③周囲に道路や排水口のような部分があるなどの理由で、人工的な建造物だと結論づけた。現場で集めた石を放射性同位元素によって年代を測定し、構造物は1万年ほど前に形成され、海水面の上昇で水没したとみている。

 イギリス人ジャーナリストのグラハム・ハンコック氏は、著書『神々の世界(下)』で「これらはどうも氷河期の終わりに人間によって作られた可能性が高い」と指摘する。

 福岡県宗像市の沖ノ島の近海にも、遺跡が見つかっている。島の東には約20メートルにわたる階段構造の遺構がある。北東部には直径約5~6メートル、高さ約30メートル(10階建てビルほど)の石柱が4本そびえ立ち、1本には螺旋階段まで付いている。海底からは1万年前のものと見られる2体の神像も発見されたと言われ、この海底遺跡は1万年前ごろに形成されたと主張する人もいる。

 海底遺跡を見ても、かつてかなり高い建築・土木技術を持った人々が住んでいたことが分かる。日本超古代文明の影は、ますます巨大なものになっていく。

 

古代の太平洋上に高度文明

 縄文以前の石器時代には、主に南九州、四国、紀伊半島に海洋民族が居住していました。これが「港川人」で、沖縄で人骨が発見されており、北京原人よりも古いことが証明されています。このことを根拠に、かつて太平洋上に文明が存在し、活発な交流があったのではないかという説があります。

 「竹内文書」によると、大和先行王朝である「鵜芽葺不合朝」第69代・神足別豊鋤天皇の時代に、太平洋上には「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸があり、五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人がいたが、天変地異で水没しため日本に避難したとされています。

 また、出口王仁三郎も、米国考古学者・チャーチワードが「失われたムー大陸」を発表する9年前の1922年に、『霊界物語』第9巻で、「太平洋の真中に縦が二千と七百浬、横が三千一百浬の黄泉(よもつ)の島がある」として、太平洋に巨大な大陸があったことを発表しています。

 このようにみてみると、日本人のルーツは「海洋民族」を基本にして、これに「大陸系(狩猟、農耕、騎馬民、中東系)」が加わったものであると言えます。これを時代区分に対応させると、狩猟民、沿岸民、海洋民が「縄文時代」以前、農耕民が「弥生時代」、騎馬民、中東系が「古墳時代」以降ということになります。

 昭和24年に、物理学者の楢崎皐月(ならさきこうげつ)が、日本には縄文時代以前の石器時代に、「カタカムナ文明」という超高度文明があったことを発見しています。その傍証として、岩手県金取遺跡からは9万年前の足跡、島根県砂原遺跡からは12万年前の打製石器、また、東京都栗原遺跡や千葉県三里塚など、秋田県から奄美大島まで全国135ヵ所から、これまで世界最古とされてきたオーストラリアの2万9千年前を遥かに凌駕する3〜4万年前の磨製石器、青森県大平山元遺跡からは、世界最古とされる石器時代1万5〜6千年前の「無文土器」や「石の矢じり」が発見されています。

 さらに、熊本県の弊立神宮にある「日文石板」は、炭素放射線測定の結果20〜30万年前のものと証明されており、そこには「豊国文字」を使った古代天皇の名で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

 

なぜ高度な先進文明が歴史の表舞台から消されたのか?

 これだけ超高度な先進文明が、公式の歴史に全く痕跡すら残していないのは、誠に不思議である。この辺りの経緯を、大川隆法総裁に霊示を降ろしてきた武内宿禰霊などが明快に説明している。(『武内宿禰の霊言』)

 一つ目は、「(新しく権力の座に就き)新しい歴史を書き直す人にとっては、(それ以前の歴史書等が)邪魔に見えた」ことを挙げている。「そのときに勢力を持った者が、邪魔になるもの(過去の歴史等)を消していく傾向は相当あった」のだという。

 例えば、武内宿禰霊によると、日本の超古代文明発祥の時点で、西洋の全知全能の神に相当する存在の降臨が実際にあった。だが、天変地異により文明が全国各地に分散していく過程で、それぞれの地で立った部族神が自己主張する傾向が強くなり、それ以前に在った創造神や他の地域の神々を消していく傾向があったことを、武内宿禰霊は非常に残念がっている。

 その結果、最初の創造神の降臨から始まった極めて高度な日本の超古代文明の歴史も、一緒に消されてしまったのだという。

 『古事記』では、原初の神は”天御中主”ということにされているが、そのような特定の個人は存在せず、最初期に存在した王朝の中の、ある特定の「中間期」に存在した神々の総称に過ぎないという。

 また、『日本書紀』に最初に登場する神は”国之常立神”であるが、これも、後世大和朝廷で葛城氏となった部族の流れの祖先で、奈良近辺に地盤を持っていた一族の「村長さんの名前」なのだという。

 二つ目は、「(原初の王朝の)古文書を入れると、その当時の時代よりも進んだもの(文明)が出てくるので、それが理解できなかった」ことが挙げられる。

 武内宿禰霊はその具体例として、「宇宙関連のもの」や「一寸法師」のような伝説のヒーローを挙げ、「文明が後退して理解できなくなったものが、排除されていった」歴史を指摘した。(『公開霊言 聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実』)

 三つ目に、特に『古事記』『日本書紀』の特徴として、「日本が最盛期を迎えたとは必ずしも言えない、だいぶ弱っていた時期」に書かれた歴史書であることを挙げている。「『大化の改新』『壬申の乱』等で国が乱れたあとに、ときの権力者達たちが引き締めを図ってつくったもの」であることを指摘する。

 日本は、当時白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れ、国防上の危機にあったのは間違いない。九州・西日本には唐の侵略に備えた大規模な土塁なども築かれ、”敗戦コンプレックス”から漢字の使用も一気に進んだと言われている。

 その意味で、当時は現代と同じく歴史戦のさなかにあり、武内宿禰霊は、「『日本書紀』のほうは、中国に届けようと思って漢文で書いたものなので、相当、外交文書としてバカにされないようにつくった部分がある」と指摘する。

 「この世的に極めて合理的に考える中華思想の持ち主を相手に、摩訶不思議な歴史と思われたくない」という意識が働いたであろうことは、容易に想像できる。

 時々の権力者のさまざまな思惑で歴史は消されてきたが、それにもかかわらず、真実の歴史は厳然として存在する。

 

ムーを全盛に導きピラミッドは全世界に伝播

 南太平洋に存在していたムー大陸は、天御祖神降臨以降の日本文明の影響を大きく受けて興隆。1万6千年ほど前には天御祖神の魂の一部であるラ・ムーが王として降臨し、全盛期を迎える。

 この時代における日本文明の影響の代表例はピラミッドである。ムーには無数のピラミッドがそびえ立っていたと言われる。

 霊査では、ムー大陸で隆盛したピラミッドが、その後アトランティス→エジプト・マヤなどに伝わっていったことが分かった。現存する世界のピラミッドの起源は「富士山麓の天御祖神のピラミッド神殿」であったことになる。

 

天御祖神のお蔭で”文明開化”した中国

 天御祖神の影響を受けて”文明開化”した国の最たるものは中国だろう。

 通説では、「金属で出来た刀剣や弓矢は中国や朝鮮から日本に伝わった」と言われているが、霊査によると、「天御祖神降臨の時代に日本で造られ、それが中国に持ち込まれたり、造り方を教えられたりした」のだという。

 「稲作が中国から日本に伝えられた」という説も、真実は正反対で、「日本から伝えて中国に指導したもの」だという。

 また、中国の神話には天地開闢の創世神として「盤古」という神が登場するが、それは「天御祖神の投影かその一部ではないか」と霊査の中で言われている。

 いわゆる世界四大文明には中国と並んでインドがある。天御祖神によると、現代に繋がるインド文明が始まるはるか前に、天御祖神の教えがインドに伝わり、それが元になった文明が中国に伝わり、そこからさらに日本に逆流したのだという。

 

イスラエルの”ダビデの星”は日本から伝わる

 それだけではない。富士王朝の時代には日本とイスラエルの間に交流があり、日本の天皇が代替わりすると、イスラエルから海路・陸路を経由して挨拶に来ていたそうです。

 そもそも、イスラエル国旗に用いられる「ダビデの星(六芒星)」は、日本(天御祖神)から伝わった”修法”が原型とのこと。「日本とユダヤの文化的類似性」から、「ユダヤ→日本」への文化伝来を指摘する説は古来よりあった。しかし、それ以前に、「日本→ユダヤ」で文化が伝えられており、これが”ブーメランのように戻ってきた”という真相を明かしたのが「日本文明三万年説」なのです。

 イランを始めとする中東には「北極星信仰」があるが、これは富士王朝時代の日本とこの地域との間に交流があり、日本から伝わった天御祖神がそのような形で信仰されていたものだという。

 

世界中の「正義」の考えの源流になる

 さらに、霊査では、日本に説かれた「日本刀に象徴される武士道(善悪を分ける教え)」が、善悪二元論を説くゾロアスター教や、エジプトにおける「トート神の正義の秤」の概念、そしてこの3万年の間、世界中の文明に現れた「正義」という考え方に流れ込んでいることが示されている。

 日本の豊かな精神文明が世界に輸出されることによって、世界中の文明の基礎はつくられていったのです。

 そうした中、中国には約4千年前、孔子が「政治家の理想」と称した伝説の名君「堯」が生まれ、徳高き政治を実現する。これが、中国文明の直接の始まりとなる。しかし、この堯帝、実は天御祖神が日本に降臨した3万年前、地上側で出迎えた者であり、その魂は高天原では「天照大神」と呼ばれる存在である。堯帝として在世中には深く「天帝(天御祖神)」を信仰し、その霊流の指導の中で政を行った。

 

中国の始祖は”天照大神”だった

 「中国悠久の歴史」を仰ぎ見る日本人は多い。だが、中国文明のルーツは、太陽神・天照大神であったことが明らかになった。「日本文明3万年説」は現代中国の野望を打ち砕く。世界最古の文明の一つの中国文明が日本を文明化した。中国は日本の「親」にあたる。日本にはそうした歴史観が刷り込まれ、精神的に中国を仰ぎ見る人を多く生み出してきた。

 しかし、大川隆法総裁の法話や霊言などにより、その歴史観が崩れ始めている。そして、「洞庭湖娘娘・堯・舜・禹の霊言 古代中国 徳の源流」で、中国の始祖が”天照大神”であったことが明かされた。

堯以前に存在した”天照大神”

 前漢の歴史家・司馬遷が記した『史記』には、古代中国の「五帝の時代」の徳高き君主として、「堯」「舜」、続いて夏王朝を開いた「禹」が記されている。特に、堯は「中国の太陽神」「聖人」として崇められてきた。

 霊言で現れた堯は、当時、天からの啓示を受けつつ、「文字、数学、それから町、家をつくっていくための工学的なものなど、学問の源流のようなものをつくっていた」と語った。

 また、主な教えとして、礼・智・信・義・勇を説いて「徳を中心とする国家づくり」を目指し、これが後に孔子が儒教で説いた「五徳(五常)の教え」の源流となったという。

 そして、「日本では天照大神、あるいは大日孁貴(おおひるめのむち)と言われていた太陽神が堯です」と衝撃的な事実を明かした。

 近年、幸福の科学の霊査では、『古事記』『日本書紀』よりも古い文献『ホツマツタヱ』に記された天御祖神が、今から約3万年前、「日本文明」を開くために約20万人の大船団を組んで宇宙から飛来し、富士山周辺に降り立ったことが明かされている。この時、天照大神の魂の兄弟の大日孁貴にあたる存在が地上で迎えたことも分かった。

 今回の霊言で、約4000年前に始まったことが判明した中国文明の始祖・堯に先駆けて、天照大神が存在し、その後、堯として転生し、中国文明の源流を創ったわけである。天照大神の転生の姿である堯も天御祖神の流れの中にあり、その下で、中国文明が開かれてきたのです。

 左翼史観や唯物論と結びついた考古学では決してたどり着くことはできない事実だが、日本人、中国人ともに天地が引っ繰り返るほどの衝撃だろう。

堯から禅譲された舜は「天照大神の息子」

 天照大神の息子に、天之正勝命(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)がいる。霊言では、忍耐強さや ひどい仕打ちをする親にも孝を尽くしたことを見込まれ、堯から帝位を譲り受けた舜がその生まれ変わりであることも明かされた。

 舜は、「自助の精神」の権化とも言うべきある霊人の指導を受け、当時さまざまな農耕の道具の開発や、船をつくる技術、田畑をつくる灌漑技術などを広めたという。

 また、天之正勝命の魂は、近代の日本に東郷平八郎として転生したことも明かされた。

 霊言の最後に登場したのは、舜から帝位を禅譲された禹。日本には、松下電器の創業者・松下幸之助として転生したことを明かし、「舜帝の時に人口が多くなって、町が広がっていきましたので、だいぶ帝国として広がりつつあった時代」と当時を振り返り、揚子江から黄河流域にまで広がる文明を創ったと語った。

 三聖人の霊言の前には、堯の娘で舜に嫁いだ、水を司る中国の女神・洞庭湖娘娘(女英)の霊言も行われ、堯について「中国という国の始まりにおいては、最初の光のような人ではあったのではないか」と語り、実は稲作などのコメ文化は日本から中国に入ってきたこと、堯の娘として舜に嫁いだのは通説では二人いたとされているが、洞庭湖娘娘一人だったことなどを明かした。

 

「日本文明3万年説」が中国の野望を打ち砕く

 日本文明の源流となった天御祖神の流れを汲む天照大神、その息子の天之正勝命、そして、戦後日本の繁栄をリードした松下幸之助が、それぞれ堯・舜・禹として徳治政治を行い、中国文明を新たに創っていった。

 今、日本人は「中国文明の起源は日本文明だった」という歴史の真実を受け止め、「中国5000年の歴史」を誇る習近平政権に対し、「日本文明3万年説」を唱え、膨らみ続ける中国の征服欲を潰し、ウイグルや香港での人権・宗教弾圧、周辺国への侵略の野望を打ち砕く必要がある。

 中国文明の起源は日本にあり、天御祖神から始まった巨大文明の末流・支流の一つだったのである。堯帝が文明国家を創る前の中国は、ほとんど”マンモス狩り”をするような文明水準だったという。

 習近平主席は、「中国人は黄色い肌の民族の元祖」であり、「中国五千年の歴史は偉大だ」などと言わないほうがよい。天御祖神降臨に始まる”日本文明三万年の歴史”の指導を受けてきた事実を謙虚に受け止め、素直に世界の声に耳を傾けるべきだろう。

日本人のルーツを探る研究

日本神道にもあった転生輪廻の教え

日本の「奇跡」

「仏法真理」へ戻る