日本の「奇跡」

1 日本人の高い道徳性

 日本神道の世界宗教性がさまざまな「奇跡」を生み出してきた。

 東日本大震災での日本人全体の振る舞いは、日本神道の影響も大きい。日本神道は「教えがない」とされ、仏教が教義を穴埋めしたとされるが、大川隆法総裁は『宗教社会学概論』の中で、比較宗教学的に見て日本神道に教えがあることを指摘した。(1)禊祓いをして心身の穢れを落とすこと、(2)調和を大事にする「和の心」、(3)正義のために命を賭けて戦う「武士道精神」 の3点です。「教え」というのは、「この価値観に則って生きれば、神仏に近い世界に行くことができ、地獄に堕ちることはない」というもの。これら3点の「教え」は、はっきりと何が善悪なのかを示しており、現代の日本人にとってもベースとなる精神性を形づくっている。

 「禊祓い」について、「禊」は神に近づくのにふさわしい体となるため、川や海で身を浄めること。「祓い」は神に祈って過去の過ちや心の不浄を取り払うこと。心身とも清らかであることが神の意に沿うという価値観で、仏教の反省の教えに近い。天皇はかつて「スメラミコト」と呼ばれたが、その語源が「澄む」からきているのも禊祓いと関係する。

 日本人特有の「水に流す」という考え方にもつながり、戦後の日本人が原爆などアメリカの非人道的な行為をあげつらわなかったり、世界一清潔好きな国民性であることも、この価値観からきていると言える。

 「和の心」は、聖徳太子(574~622年)が十七条憲法の冒頭に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふることなきを宗とせよ」を持ってきたことで、国是となってきた。ただ、聖徳太子が出発点ではなく、『ホツマツタヱ』でも「心を和す」ことを大切な価値観としているため、数千年前から日本の伝統的精神であった。

 「和」を重んじることについては、聖徳太子が国書を送ったことが記録された中国の『隋書東夷伝』に、日本人は「人、すこぶるもの静かで、争いごとは希で、盗賊が少ない」と書かれている。当時から「礼儀正しい日本人」は世界の常識だったようです。

 東日本大震災での日本人全体の振る舞いは、日本神道の影響も大きい。ほとんどすべての日本人が犯罪を起こさず、礼節を重んじ、お互い譲り合う姿は、これらの日本神道の教えからきている。 

 

和と武士道の心

 「武士道精神」は和の心と矛盾するが、日本神道は「和」と同時に、悪人を討つ猛き武人の心も大切にしてきた。神代においては、天照大神と素戔嗚尊(あるいは神武天皇や日本武尊)が、「和」と「武士道精神」の象徴となってきた。

 明治期には、新渡戸稲造が『武士道』をまとめ、(不正を許さない)、(正しい行いをする)、(思いやりの心)、(相手を尊重する心)、(嘘をつかない)などを挙げた。

 フランスの作家アンドレ・マルロー(1901~1976年)は、武士道と西洋の騎士道精神の共通性について語っていた。以下は、フランスの文化相として来日し、天皇陛下に述べた言葉です。

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別攻撃隊員たちはファナチックだったでしょうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。「代償を求めない純粋な行為「」、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも偉大さへの志向を失ってはならないのだ」

 国や人間としての尊厳を守るために、自分の命をも投げ出す姿を、「武士道精神」の極致ととらえていたのです。

 

2 伝統宗教を残しながらの宗教融和

 日本が歴史的に日本神道をそのまま残しながら、仏教や道教、キリスト教などを受け入れ、共存させている「宗教融和」は、世界史上の「奇跡」と言ってよい。

 仏教が伝来したのは、6世紀半ばの欽明天皇(509~571年)の時代。百済から山のようにお経が伝えられた。ふつうは、外来の高等宗教を受け入れると、その国の民族宗教や土俗宗教は滅びる。ヨーロッパのゲルマン人の土俗宗教は日本神道によく似ていたが、キリスト教が入ってくると、抵抗しながらも最終的にすっかり改宗し、土俗宗教はほとんど残っていない。こうした例は世界中で見られるものです。

 ところが、日本の場合、外来宗教にまったく異なる対応をとった。聖徳太子は、神道の枠組みを守りながら仏教を国教として取り入れ、両者が共存する道筋をつくった。

 天武天皇(631~686年)は、伊勢神宮の式年遷宮を始めた天皇だが、一方で熱心に仏教を信仰し、奈良の薬師寺を建立したり、各家庭に仏像を置いて礼拝するよう全国に命じたりした。歴代天皇がこれを踏襲し、天皇が神道と仏教の両方を信仰することが伝統になった。

 桓武天皇(737~806年)は、神道、仏教、道教などが融和した宗教都市・平安京をつくり、千年続く都となった。こうした宗教融和のあり方は人類史上見当たらない。

 一般には、日本神道が多神教だから寛容だったということになっているが、神道が消えてなくならなかったことも踏まえれば、神道に世界宗教性があったからと考えるべきです。

 

3 天皇が率先した近代化  

 明治維新後の近代国家建設の「奇跡」も、日本神道を抜きに語れない。

 当時、欧米列強の東南アジア・東アジア侵略が迫り、「地球分割」が完成しようとしていた。西欧文明の武器は、自然科学と産業革命を経た技術力。その力をもって、南北アメリカ、アフリカ、アジアに押し入り、有色人種を奴隷もしくは良くても召使いとして扱った。中国の一部は、すでに白人国家に切り取られていた。日本はこれを跳ね返すため、20~30年という短期間で西洋の自然科学と技術を学び、近代産業をつくり、国防を強化した。

 西洋化、近代化は、当時の清朝や朝鮮も目指していた。しかし、近代産業を採り入れることができたのは、非西欧諸国で日本だけであった。明治の近代化は、今でもアジア・アフリカの近代化モデルだが、明治維新から150年経った現時点でも成し遂げられない国は多い。その一つの理由は、日本の近代化の場合、日本神道の最高神官である天皇(明治天皇、1852~1912年)が率先垂範して近代化に突き進んだことにある。キリスト教文明を吸収しながら、同時にその国の伝統宗教を発展させるのは簡単なことではない。明治期の「奇跡」の背景には、キリスト教に十分対抗できる日本神道の世界性、普遍性があったということでしょう。

 

4 2600年続く皇室伝統

 2600年にわたって125代も連綿と皇室が続いていること自体、「世界の奇跡」です。

 日本の神々の強い力が働き続け、皇室伝統と日本の国自体を何千年と守ってきたのが分かる。日本神道の世界性ととらえてよいでしょう。

 

5 「八紘一宇」を実現した植民地解放

 日本が起こした最大の「奇跡」は、先の戦争によるアジア・アフリカの解放です。日本が一人立ち上がり、孤軍奮闘し正々堂々と戦った。そして、欧米による植民地支配をことごとく打ち滅ぼした。同時に日本の国自体も壊滅にいたってしまったのですが。しかし、戦後、アジア・アフリカの数多くの国が独立し、白人が人種差別にもとづいて世界を支配してよいという時代を終わらせることができました。人種平等の時代が日本人の汗と血と涙の上に築かれたのです。

 戦前の世界の独立国は全部で40ヵ国程度。それが戦後次々と独立して、今では160ヵ国以上。日本が立ち上がらなければ、21世紀の今も世界でアパルトヘイトは続いていた可能性が高いので、120か国は日本が戦った結果として誕生した国だと言ってよいでしょう。

 戦時中、日本は「八紘一宇」の精神を掲げていた。戦後はこれが侵略思想と言われたが、実際は「一つの家のように仲良くしていこう」という平和繁栄思想であった。

 もともと、初代の神武天皇が即位式で今まで争っていた氏族を前に平和共存を宣言した言葉に由来する。日本は建国の精神の下、「白人も黒人も黄色人種も、みな平等であるべきだ」と願って先の戦争を戦ったのです。

 この理想が当時の日本の大方針だったので、日本軍が「野蛮」であるわけがない。日本軍は世界最高レベルのモラルを持ち、人道的な軍隊であった。「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」は、戦後アメリカや中国、韓国がつくった政治宣伝の産物にすぎない。「野蛮な宗教を持つ野蛮な日本民族が、悪魔的に侵略してきた」というのも、アメリカの戦時中のプロパガンダにすぎない。

 

これからも「奇跡の民」であり続けられるか

 日本は歴史上、数多くの「奇跡」を起こしてきた。伝統宗教を残しながらの宗教融和、天皇が率先した近代化、「八紘一宇」を実現した植民地解放、2600年続く皇室伝統、日本人の高い道徳性。しかしながら、日本人には、これからもっと大きな「奇跡」を起こす可能性がある。

 大川隆法総裁は、聖書や「ホツマツタヱ」に語られている創造神、至高神であることを自覚し、救世主としての宣言をしている。法話『いい人生とは何か』で以下のように述べられた。

「私は、唯一神信仰ではなく、『至高神という存在がある』と言っているのです。『神は数多くいるが、そのなかで、リーダーをしている神がいる。その神の名前をエル・カンターレという。エル・カンターレ信仰の下に一つにまとまらなくてはいけない。これが、これからの時代の指導原理になる。これからは、この指導原理で世界が動くのである』。このように私は説いているのです」

 エル・カンターレ という神の名は、天御祖神、エローヒム、そして「久遠実成の仏陀」の別の名前である。

 今の日本は、聖徳太子が「久遠実成の仏陀」について解説した仏教を取り入れたように、再び現代的仏教としての幸福の科学の教えを受け入れる重要な局面にある。

 日本は明治期、欧米文明を輸入したが、これからは日本が新しい文明モデルを世界に広げる役割を期待されている。日本人はこれまで「奇跡の民」だった。これからもそうであり続けられるかどうか。その選択肢が日本人一人ひとりの前に示されているのです。

 古来、日本は「神の国」であり、神道と仏教が融合して、独特の信仰による文化、文明を築き上げ、繁栄してきた。

 その根底に流れているのは、「この世は仮の世界であり、魂修行の場である。この世での努力はすべて無駄にならず、来世、来来世へとつながる。神仏を信じ、公のために生きよう」という、仏教的な自助努力や利他の精神である。その「人として最も大切な信仰心」が、戦後左翼思想の蔓延とともに、社会の裏側に押しやられ、失われてきた。しかし、歴史的に見ても、世界の実情を見ても、日本の信仰心の低さは異常です。

 天照大神は「世界最低の信仰心を持っている国民でしょう」と嘆かれ、「失われた信仰心を取り戻せ」と日本人にメッセージを送られている。

 日本人が目指すべきは、神仏を信仰し、神仏に向かって努力していく中に、個人としての幸福があり、国家としての繁栄があるという「信仰による繁栄」の道なのです。

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