『ホツマツタヱ』

 漢字渡来以前の日本には、高度な文明と宇宙創造の「祖(をや)」への信仰があった。 歴史書『ホツマツタエ』などの「ヲシテ文献」についてまとめてみます。

 現在、『古事記』『日本書紀』が「記紀」と呼ばれ、かつての日本のあり方を伝える歴史書とされている。しかし、古代日本の姿を伝える歴史書はこれだけではない。『ホツマツタヱ』そして『ミカサフミ』、『フトマニ』という文献が存在する。

 『ホツマツタヱ』は1966年に発見された。「ヲシテ文字」という古代文字で書かれており、11万字以上、五七調の長歌体。全40アヤ(章)で構成されている。2012年12月には富士山の麓の民家で新たに『ミカサフミ』の「ワカウタのアヤ」が発見された。これらを総称して「ヲシテ文献」と呼び、専門家らによる研究が続けられている。

 江戸時代には娯楽としてさまざまな書物が発刊された。『ホツマツタヱ』などのヲシテ文献もその仲間であり、創作ではないかという意見もある。しかし、記紀の内容との比較対比や、全国各地に遺る古い伝承との一致、国語がヲシテ文字から醸創されたとみられることなどから、偽書ではなく「記紀の原書」であるという説が近年一般化しつつある。

 「ヲシテ文献」に書かれているのは、縄文時代やさらに古い時代から、古墳時代の初期までの神話や建国の歴史、暮らしぶりなどさまざまである。

 天地開闢の神話や、日本の祖形である「トコヨクニ」の建国から十二代続いた「カミノヨ(上の世)」、「ヒトノヨ(人の世)」となり、十二代目スヘラギ(皇)である「ヲシロワケ(景行天皇)」までの歴史などが記されている。

 日本建国の際の基本理念や死生観、宇宙観、教育論、哲学など、スヘラギとヒト(人)、社会を取り巻くさまざまな概念を知ることができる。漢字渡来以前の日本が持つ高度な精神性や生活が分かる貴重な文献といえる。比較研究により、「ヲシテ文献」は記紀の原書という考え方が次第に有力視されてきている。

 記紀の編纂時に、さまざまな思惑から削られてしまったものがある。それはアメミヲヤ(天御祖神)という「根源祖」の存在である。

 

『ホツマツタヱ』などに記されたアメミヲヤの存在とは

 『ホツマツタヱ』には、「アモト」という言葉があります。「宇宙の中心」という意味で、語源は「アメのモト」。このアメは大宇宙を指します。そして、そもそもの宇宙の起こりは「アメミヲヤ」にありました。

 アメミヲヤが発したイキ(ウツホ)は、ぐるぐると廻り始めます。宇宙の果てまでが16万トメヂ(長さの単位)に対して、身の丈800万トメヂのアメミヲヤの隅々までイキは廻ります。回転の中心は透き通った柱となり、周囲に九重の層が形成されました。これが宇宙の中心「アモト」です。

 さらに回転は続き、五要素のウツホ(気体)・カゼ(冷たく降りる)・ホ(暖かく登る)という3つの「ヲ」の要素は浮き、ミツ(液体)・ハニ(個体)という「メ」の要素は下に集いました。そしてクニタマ(地球)の中心近くには「メ」の要素が、その周りには「ヲ」の要素が浮かびます。さらに「ヲ」の要素がヒ(太陽)に、「メ」の要素が集ってツキ(月)になりました。

 クニタマにはアメミヲヤが駆け巡り、山や野をつくります。そして、五要素がバランスよく混じってヒト(人)が発生したのです。

 

「記紀」の原書 「ヲシテ文献」

 「ヲシテ文献」には、ミナカヌシ(天御中主神)やアマテルカミ(天照大神)、ヤマトタケ(日本武尊)やトヨケ(豊受大神)なども登場しますが、アメミヲヤはそれらとは一線を画す、まさに「創造祖」といえる存在です。

 日本では縄文時代から、根源祖の存在を認識していたことになります。キリスト教の”God”に近い、一神教に近い世界観を持っていたのです。

 ヲシテ文献を「江戸時代に書かれた創作」とする意見もありますが、それは安易に漢字を当てて翻訳したものが、「全訳」として出回っているからです。

 『ホツマツタヱ』などに記されているのは漢字以前の概念です。漢字の直訳にすると、その漢字が持つ意味になってしまい、本当の意味が伝わりません。

 『古事記』『日本書紀』は漢字で記されています。編纂には、弥生時代以降に中国や朝鮮から来た渡来人の考え方や思惑がそうとう入っているでしょう。アメミヲヤの箇所も、記紀ではごっそりと抜けています。

 記紀には登場人物も意地悪に書かれています。例えば日本武尊は、『古事記』では泣き虫で甘ったれの乱暴者、『日本書紀』では侮り癖がある単なる平定者。一方、「ヲシテ文献」のヤマトタケは、日本の未来の平和と安定のために国書の再編集を志した、勇気と愛に溢れた立派な人物です。

 そして、日本人は、ヲシロワケ(景行天皇)のような立派な統治者のもと、漁業や狩猟、木の実など自然の恵みを受けて暮らしていました。土器や道具を造り、売買を行うなど文明的な生活をしていたことも、「ヲシテ文献」には克明に記されています。

 

本来の日本精神・縄文哲学

 アメミヲヤは自分の性質をヒトに移しました。ヒトは大宇宙の源につながるアメミヲヤの分けミタマ(こころ)なのです。そのため、アメミヲヤは「信仰することで守られる」存在ではなく、常に私たちを守っています。

 アマテルカミやトヨケなど時の指導者は、「トのヲシヱ」と「ロのヲシテ」の概念をもとに、国を守り発展させようとしていました。「ロのヲシテ」とは、ヒト一人ひとりが自立するということ。「トのヲシヱ」は、多くの力を集めて、皆で広げるということ。一人ひとりが得意な面を活かし、不得意なところは補い合い、それぞれに自立して協力し合おうという哲学です。根源には、アメミヲヤから恵みをいただいている私たちも、お互いに助け合って生きていこうという思いがあります。

「ヲシテ文献」には、縄文以前の日本の精神が記されています。縄文哲学を取り戻せば、日本はさらに発展し、調和した、世界にも影響を与える国になるでしょう。

 

古代の日本文明は富士山にあり

 ヲシテ文献には「ハラミヤマ」という名で、富士山が多く登場する。ハラミヤマでは、イサナギ・イサナミが祈念を続けてアマテルカミ(天照大神)をもうけ、アマテルカミが後に宮を開くなど、重要な場所となっている。

 ヤマトタケ(日本武尊)も平定の道中、ハラミヤマを仰ぎ見てアメミヲヤによる大宇宙の成り初めの物語を実感し、同行していたミヤスヒメに以下のように語っている。

「アメミヲヤは、大宇宙の創造を司ったのです。物質も何もかもがアメミヲヤのイキの吹き始めから生じました」

 縄文時代以前に、富士山やその周辺が栄えていたことは、関東から東北にかけて、貝塚や土偶などの遺跡が多く発掘されていることからも明らかです。

 ヲシテ文献と比較すると真偽は定かではないが、『宮下文書』なる文献には、「幻の超古代文明《富士王朝》が存在した」旨が記されており、富士北麓の地には「富士山こそが神々が住まう理想世界《高天原》だった」などの伝説が伝わっているという。

 

卓越した宗教観を持つ日本

 ヲシテ文献から、縄文時代やそれ以前、日本人は原始人のような生活をしていたという考え方は誤りであると断言できる。

 特に「根源の祖」アメミヲヤ(天御祖神)という、民族神を超えた存在への信仰は、世界に誇るべきものです。ヲシテ文献の解析が進むごとに、根源の祖の存在や、かつての高度な文明や哲学が明らかになっていくはずです。

参考

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