世界宗教のルーツにある「エローヒム」という神

 ユダヤ教には、「ヤハウェ」といわれる主神がいて、ユダヤ民族の初期のころの預言者からは、そのヤハウェを信仰する教えがたくさん出てきています。モーセなどもそうです。 ところが、ユダヤ教では、途中から神の名が変わっているのです。『旧約聖書』には、第一イザヤと第二イザヤというかたちで、イザヤという預言者が二人出てくるのですが、このイザヤという預言者が出たとき、彼は神の名を「エローヒム」と呼んでいます。その前は、「ヤハウェ」と呼ばれていたのが、ここから神の名が「エローヒム」に変わっているのです。この理由がユダヤ人たちには分からず、両者を同じ神だと思っていることが多かった。しかし、霊的な実態を言えば、イザヤがエローヒムと呼んだ神は、当時、中東からアフリカを覆っていた神なのです。実は、このエローヒムという神がイザヤのころに現れた理由は、それから七、八百年後にイエス・キリストによって起きるキリスト教の準備のためでした。 もともと、ユダヤ教は、イスラエルのユダヤ民族の小さな宗教であったわけですが、次の世界宗教としてキリスト教が出現する基盤をつくるために、途中からエローヒムという神が入っていったということです。しかし、このあたりの区別がユダヤ教のなかでは明確についていません。イエス自身も『旧約聖書』を勉強していたので、この区別がはっきりしていない部分があるのですが。イエスが信じていたのは エローヒムという神のほうです。エローヒムは、当時中東全域を覆っていた「愛の神」だったのです。

 古いユダヤ教を信じている人たちはキリスト教を迫害しましたが、その後、「キリスト教」対「イスラム教」の争いが起きています。このイスラム教を指導したのも、その当時中東全域を覆っていたエローヒムなのです。したがって、神は同じなのですが、このあたりを理解し合えていない部分がありますし、さらには、偶像を否定したり、「われ以外、神なし」と言ったりした者との軋轢などによって、教えがいろいろ混在し整理できていないため戦いが起きているのです。  (『救世の法』の講義 より)

創世記第一章は エローヒムの書

宗教対立を乗り越えるために必要な「寛容さ」

 幸福の科学大川隆法総裁は、今世界で起きているキリスト教とイスラム教などの宗教対立を解決していくためには、それぞれの宗教を導いた神が「同じ」であることを知る必要があると説かれました。

「確かに、それぞれの宗教は、民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。しかし、もとなるものは一つであって、さまざまに魂を磨きながら、この地上で修行している仲間であることに変わりはないのです」(『信仰の法』第6章より)

 

イエスが「天なる父」と呼んだ存在はエル・カンターレ

 幸福の科学大川隆法総裁は、さらに、キリスト教の信仰の対象に言及し、「イエスと天なる父は別の者です。そして、その時、天なる父として指導していたのは、エル・カンターレである」と語られました。

 『イエスが「主よ」と呼んだ人と、ムハンマドが「神よ」と呼んだ人は、同じ人なのだということ。そうした存在が、今、『エル・カンターレ』という名を冠して地上に生まれてきているのです。

 

一神教といっても、ほんとうの“一神”ではない

 一つの宗教が起きるときに、そのなかで中心的な指導霊となる神格を持った魂が一人であることは確かによくあることです。特定の人が中心的に指導していることがあります。そのため、「私の教えに基づいて行動しなさい」と言うことはあります。しかし、それは「その人以外に他の神がいない」ということを意味してはいません。「根本仏」と呼ばれる宇宙の至高神がいて、その根本仏を中心にたくさんの神や天使が存在しているというのが神々の世界の真実なのです。人類がこれだけの人口を持っているところを見ても分かるように、多くの神がいなければ大勢の人たちを幸福にすることはできません。数多くの方々がいて役割分担をしているのです。そして、それを取りまとめている人たちもいます。その時代において、その地域において、「誰が担当してその宗教を起こすか」ということが決まる場合がありますが、それは同時に「神は一つだから、自分のたちのところ以外に出た神が偽物であった」ということではないのです。

 

「一神教」のユダヤ教にも複数の神の指導があった

 ユダヤ教は一神教と言われていますが、実は天上界のさまざまな神々の指導を受けていたのです。

 ユダヤ教といっても、実際には幅があります。ユダヤ教の歴史の中には、非常に排他的で、他の民族や他の宗教の人を受け付けないような狭い考えの教えもありますが、必ずしも全てがそうではありません。

 ユダヤには預言者がたくさん出ています。その中には、いわゆる「エル・カンターレ系」と言って、幸福の科学にもよく関係している霊人がユダヤの預言者として出ているケースもあります。世界のいろいろなところで生まれていて心が広い。

 一方で、ユダヤの民族神のようなイスラエル地域でしか生まれていないタイプの神様もおります。少し心が狭い傾向にあります。

 ユダヤ教のもとは、出エジプトを果たした モーセ です。イスラエルは、モーセがエジプトの奴隷たちを解放して、カナンの地に引っ張って来てできた国家です。

 「創世記」という『旧約聖書』の重要な部分はモーセが書いたと言われていますが、この「創世記」も前半と後半に分かれています。前半の方がよく、「エル文献」「エロヒム文献」などと言われています。そして、後半部分が「ヤーウェ文献」というような言い方をされます。

 どうやら、昔の人も文章を読み分けていて、「創世記」の中で天地創造の部分を書かせた神様と後半の部分を書かせた神様は違うということに気付いていた。

 前半の部分のエル文献、あるいはエロヒム文献と言われている天地創造の部分は、エル・カンターレの霊指導によって書かれたものです。後半部分はユダヤの民族神的な部分が強い神様が下ろした霊示が入っているのです。

 旧約聖書には「ヤハウェ」や「エローヒム」など複数の神の名が出てくるが、すべて同じ神とされている。だが、幸福の科学の霊査によって、ヤハウェはユダヤの民族神的「祟り神」であり、エローヒム は中東全域を指導する「愛の神」である。これがユダヤ教の中では区別できていない。

 もう一つは、旧約聖書に登場する預言者の意見です。幸福の科学大川隆法総裁は、バビロン捕囚を警告した第一イザヤと、捕囚期の人々に希望を説いた第二イザヤを招霊した。

 第一イザヤの霊は、「(今のままでは)イスラエルがイスラムとの戦いで滅亡する」と警告した。第二イザヤの霊はイスラム教の立宗や日本の建国などに関わったことを示唆しながら、「イスラエルのほうが”引っ越し”すべき」と語った。また、両者ともに、エルサレムの地に対する執着はなかった。

 

旧約の預言者を導いた至高神エロヒム

 古代の中東で生まれたユダヤ教でも祭政一致が理想とされ、政治と宗教は一体であった。

 ユダヤ人にとって、救世主(メシア)は「油を注がれたる者」という意味で、国王兼宗教家だった。ダビデやソロモンといった王様たちが、神の言葉を聴きながら民を導いた。

 ユダヤ教は一神教とされるが、実は預言者を導いた神は複数いて、日本神道のような「神々の民主主義」が垣間見える。旧約聖書をつぶさに読めば、神々の内に上下関係があることまで分かる。

「神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる」(詩編82:1~8) 

この「神」は、ユダヤの民族神とされる ヤハウェ ではなく、至高神、創造者とされる エロヒム です。一般的には エロヒム を「神」という意味の一般名詞と解釈されているが、エロヒムは愛の神であり、祟り神とされる ヤハウェ とは別の存在であると解釈するのが有力です。

 預言者たちが受け取った神の言葉は、ヤハウェからのものも多いが、ユダヤ民族を超えた普遍性のあるものは エロヒム からであり、それに基づいて古代イスラエルの繁栄が築かれたのでした。

 

「神々の民主主義」が地上に降りてきた

 それだけではない。幸福の科学大川隆法総裁がメッセージを降ろしている神々は、ギリシャ神話の神々や、日本の八百万の神々、中東の神々などで、まさに「神々の民主主義」が地上に出現した観がある。

 大川隆法総裁は、旧約聖書に登場する至高神エロヒム(エル・カンターレ)が地上に下生した存在であることを明らかにしている。エロヒムは旧約の預言者に言葉を送った至高神だが、同時に、新約聖書においてはイエス・キリストを導いた「父なる神」でもある。

 古代や中世において天上界から啓示を送った神が、現代は地上に生まれ、真理を説くと同時に神々の声を伝えている。「神々の民主主義」が地に降りてくるのは当然のことかもしれない。

 

アラーの下、複数の神が導いたイスラム教

 西暦600年代初めに生まれたイスラム教も、歴史的にも現代においても政治と宗教が強く結びついている。唯一神アラーがムハンマドに伝えたコーランやシャリーア(イスラム法)に基づいて執り行い、中世イスラム国家の繁栄をもたらした。

 ただ、一神教とされるイスラム教も、日本神道やユダヤ教のような「神々の民主主義」がうかがわれる。アラーが頻繁に自身のことを「われわれ」と語っている。

「まことに我々は自ら、コーランを下し、自らそれを守る者である」(15:9)

「我々は天と地、そして彼らの間にあるものを、ただ真理によって創造した」(15:85~86)

 アラーは、エロヒムの変化形の「エル」が語源で、エロヒムと同じ神とされている。コーランにある「我々」という言い方からすれば、アラーの下に複数の神がムハンマドを導いていたことを示している。歴史的に傑出した宗教の構造というものは、そう変わらないのかもしれない。

 しかし、この「われわれは」というのは、指導霊団がいることを意味しているわけです。アッラーといっても、代表で出ているのがその霊人であり、それ以外にも指導霊がいて、交替でいろいろな指導をしていることを意味しているのです。それが真相です。したがって、一神教といっても、ほんとうの一神ではないのです。たとえ主たる担当者が一つの霊存在であるとしても、指導霊は、その霊だけではありません。(参考文献:『霊的世界のほんとうの話』)

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では、エローヒムは天地創造や生命の起源としての普遍の神であるのに対し、ヤハウェは人と神との関係や契約を司る、「同じ神の二つの側面」として捉えられています。

 しかし、これは正しい認識なのでしょうか。

 「出エジプト記6:3」では、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、ヤハウェという名では、わたしを彼らに知らせなかった」とし、神はヤハウェとの関係を否定しています。これを、古代ヘブライ後の文法的な理由で「矛盾はない」と言う者もいますが、素直に読めば、エローヒムとヤハウェが違う神であると考えるのが妥当です。

 幸福の科学の霊査で、ヤハウェがユダヤ教の民族神であり、エローヒムとは違う存在であることが分かっています。実際、ヤハウェという神が初めて現れるのは、紀元前13世紀のエジプトの文献であり、紀元前11~12世紀の文献では、イスラエルと契約を結んだ神として登場しています。時代が下るにつれ、ヤハウェ信仰は次第に非寛容性を帯びてきて、他の神々を排し、いつの間にかユダヤ教の至高神となっていました。

 このように、エローヒムが広い意味において宇宙・世界の創造に関り、人間に生きる糧を与えた愛の神であるのに対し、ヤハウェは排他性や非寛容性が目立ちます。

 現在の中東の紛争・混乱の根源は、実はこのヤハウェまで辿ることができます。「ヤハウェがイスラエルと契約した人類の至高神である」という考えが、ユダヤ教の選民思想を生み出しており、他の民族(現代ではイスラム教徒)の扱いを顧みない傾向があります。もっとも、この裁きの神の教えはキリスト教やイスラム教にも一部入っており、それが混乱と紛争を増長させています。

 イスラム教とユダヤ教、キリスト教の3つの宗教で信じる神、すなわち、アッラー、エローヒム、天なる父は同じ存在である。3つの宗教とも旧約聖書を正典としているが、問題は、旧約聖書に登場する「ヤハウェ」と「エローヒム」という神様が混同されている点です。

 ヤハウェは、異民族の殲滅を命じる「裁きの神」で、ユダヤの民族神。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とも、この異民族を排斥するヤハウェの思想の影響を受けている。一方、エローヒムは、隣人愛を命じる「愛の神」で、地球の至高神です。このヤハウェの影響を取り除いて、愛の神・エローヒムを信じる宗教に変えていくことが、宗教間対立の解消の鍵となる。そのためにも、日本は、ユダヤ・キリスト教圏と、イスラム教圏の橋渡しをして、愛の神・地球の至高神の思想を伝える使命があるのです。

 

中東とアメリカでの激しい宗教対立  

 現在ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が主に中東やアメリカを機縁として激しい宗教対立、宗教戦争をしていますが、本来ユダヤ教のモーゼもキリスト教のイエスキリストもイスラム教のマホメットも儒教の孔子も神道の天御中主神や天照大御神も、すべてこの地球の至高神であるエル・カンターレから指導を受けて発生した宗教です。教えや形式が違うのはエル・カンターレがその土地の風土や民族に合わせて各預言者、救世主に教えを説かせ個性豊かな文明を創ろうとしたからです。本来すべての宗教は エルカンターレの御名の下に一つであり、その真理を地球人全員が知れば宗教戦争は終結します。それを地球人類に教えるために、エルカンターレは東洋文明と西洋文明の合流点に御降臨し、法を説き、活動を開始されたのです。

 

幸福の科学は全世界の人々を指導する神を信じる宗教

 ユダヤ教と幸福の科学とが全く関係がないというわけではありません。

 ユダヤ教からは、キリスト教やイスラム教など、他の世界宗教に分かれていった部分があります。あるいは、ギリシャやエジプトの宗教の基本的な考え方など、共通のものもユダヤ教に流れ込んできています。

 全世界の人々を指導している神様がいて、その神様は、ユダヤ人も対象に入れていると考えております。

 たとえ、この地上でユダヤ教のユダヤ人とアラブ人のイスラム教徒が けんか しているような状況があろうとも、それはこの世での人間の解釈や理解の違いによって起きている衝突であり、もとなる考え方は衝突するものではないと考えています。その衝突は、会社と会社の間で同業者が競争しているようなものに近いと考えて良いのではないかと思っています。

 もし、ユダヤの神のうち排他的な面が非常に強く出ている神様がおっしゃるように、「唯一の神」というのが全知全能の神であるならば、世界中がユダヤ教徒になっているはずです。そうなっていないという現実を見れば、全知全能でないことは明らかなのだろうと思います。

 ただ、ユダヤ教のもとになった教えの中にも、『太陽の法』の基本思想と同根の部分が教えのいちばん古い部分に入っています。

 

幸福の科学がユダヤ教やイスラム教を見る目

 今は、イスラム圏とユダヤとの仲は悪いし、一方、ユダヤ教とキリスト教とは本来仲が悪いはずなのに、ユダヤ教のイスラエルとキリスト教のアメリカとが組んでいるような状況であり、非常に複雑な関係になっています。

 こうした世界の対立をなんとか解きほぐしていきたい。こうした目標に賛同してくださる方であれば、「あなたも私たちの活動にジョイン(参加)できるのではないか」ということを伝えていただければよいかと思います。

 後は、幸福の科学はユダヤの預言者も結構平気で受け入れているということも言えるでしょう。この点から考えても、幸福の科学は、いわゆる日本神道とは違うところがあるのです。

 幸福の科学はときどき、「ウルトラ右翼」で「国粋主義」などと言われることもありますが、経典には、ユダヤの預言者等についても書いてあります。ユダヤ教についても受け入れている部分がかなりありますので、共通項はあるのだろうと思います。

 宗教同士でお互いに対立しているものもありますが、幸福の科学はもう少し大きな目で、達観して物事を見ています。

 例えば、13世紀のインドで、仏教がイスラム教に滅ぼされたという歴史的事実があります。これを「9・11」のテロのように考えるならば、イスラム教に対して「怒り心頭」でも構わないはずですけれども、そのようには考えずに我慢しているところがあります。

 

「愛の神」の教えを選びとり「祟り神」の教えを捨てよ

 イスラエルのネタニヤフ首相は2010年の演説で以下のように述べられた。

「エルサレムは3千年前にユダヤ人が築いた。ユダヤの人々によるエルサレム建設は今日も続くものだ」

ユダヤ人がアラブ人を排斥し続ける背景には、旧約聖書に基づく民族の歴史がある。

 ただ、すべてのユダヤ人が現在の国のあり方を是としているわけではない。

 当初イスラエル建国に賛成していたものの、後に反対の立場をとったユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントは、イスラエル建国の3年前に、次のように警告している。

「ユダヤ人の故郷の国は、隣人の民族が承認せず、尊敬しないなら、故郷の国ではなく、幻想にすぎず、屠殺場になるだけ」(『ハンナ・アレント 世界への愛』(新曜社))

 まるで現在の状況を予言していたかのようです。ここまでこじれてしまったイスラエル・パレスチナ紛争に出口はあるのでしょうか。

 

地球神エル・カンターレはユダヤ教、キリスト教、イスラム教を指導した

 ユダヤ・キリスト教と、イスラム教が対立しているが、これらは元々、「兄弟宗教」である。

 ユダヤ教が根づいた場所でキリスト教が生まれ、ユダヤ・キリスト教を継ぐ教えとしてイスラム教が生まれた。

 実は、これらの世界宗教の開祖や預言者を、霊界から中心的に指導した存在も共通している。その存在とは、「地球神エル・カンターレ」です。

 旧約聖書に登場するユダヤ教の神「エローヒム」が、民族を超えた普遍的な愛を説く神である。この愛の神がエル・カンターレであり、イエス・キリストが「天の父」と呼んだ存在であり、イスラム教の「アッラー」である。

 この霊的真実を知り、それぞれの教えに散りばめられた愛の神の教えを選び取っていくことが、中東問題を解決する糸口です。

 エル・カンターレという存在は、現代日本に生まれている。それが大川隆法総裁です。その教えは、愛や反省などの宗教的な導きに限らず、政治、経済、経営など、現代社会におけるあらゆる分野に広がっている。

 大川隆法総裁は、中東情勢に関連して『国際政治を見る眼』の中で以下のように指摘されました。

「大きな『政治の変動』と同時に、『宗教の変動』も起きてくるのではないかと感じているのです。そういう意味では国力も、ものを言いますので、『日本にはもう一段強くなってもらいたい』と、私は考えています」

 中東に過去のしがらみのない日本は、中東紛争を中立的に捉え直し、仲裁できる立場にある。アメリカの退潮が目に見え始めた今、もっと国際社会に目を向け、日本のなすべきことを考えていかなければならない。

 

「隣人の尊敬」を得る努力を

 現在、イスラエルは軍事的優位を保っているが、もし周囲を囲む人口20億人近いイスラム国家が核武装し、核戦争に突入すれば、人口数百万人のイスラエルに勝ち目はない。

 今後イスラエルはガザ空爆など、憎しみを生む行為ではなく、ハンナ・アーレントが言うように、「隣人の尊敬」を得る努力が必要です。それは、ユダヤ人の歴史や故郷を捨てることではなく、ユダヤ教の中に説かれている愛の神エローヒムの教えを選び取り、祟り神ヤハウェの教えから離れること。それこそが、中東地域に平和が訪れ、イスラエルが存続していく唯一の道でしょう。

 

宗教の違いで変わる霊界

 「ユダヤ教でなければ宗教でない」というように、あまりに頑迷な方の場合は、急がずに、ゆっくりとお付き合いされたほうが良いかもしれません。

 宗教の場合は、最後は「霊界が変わる」のです。何を信じているかによって、死んだ後に行く霊界が変わります。それは、天国と地獄の違いという意味だけでなくて、天上界に還るとしても、それぞれの宗教の霊界があるのです。

 同じ宗教を信仰する者たちが、だいたい同じ霊界に集まってくるので、何を信じるかは、死後の行き先と関係してきます。死後の霊界を選ぶ権利は皆ありますので、どうしても頑固な方の場合は、説得は難しいところはあるかとは思います。

 努力の余地があるとすれば、「現代的な教えというものが、今、説かれていて、力を持ってきている」ということを伝えることでしょう。ユダヤ教自体はキリスト教のもとになったイエスを滅ぼしました。しかし、そのイエスを肯定し、また、イエスを滅ぼしたユダヤ教をも、人類の歴史のなかの大切な思想の一部として、受け入れているのが幸福の科学です。こうしたことをお伝えすることはできるでしょう。

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