教養

 人生に勝利し、多くの人びとを導いてゆくためには、教養が必要である。

 知識だけでは教養でなく、知識は、愛という触媒を得て智慧となったとき、はじめて教養になる。

 これからの自分の時間のうちの一定の時間を、教養を身につけるために用いることが大事である

 幸福の科学大川隆法総裁は、『『仏陀再誕』で以下のように説かれました。

「あなたがたが、人生に勝利し、多くの人びとを導いてゆくためには、是が非とも数多くの知識を身につけ、数多くの経験を積み、そしてそれらを教養にまで高めねばならないと思う。
我は、一片の知識をかき集めることをもって、それで教養とは呼ばない。
知識は教養をつくってゆくための力になることは事実だ。
しかしながら、知識は愛を経て教養になるのだ。
知識は、愛という触媒を得てはじめて教養になるのだ、ということを私は言っておきたい。
その知識が、何のための知識であるかということが大事であるのだ。
その知識が、あなたがたが自己をてらい、他の人びとに、自らを偉い人間であると思わせるためだけの知識であるならば、それは、決して教養となることはないであろう。
しかし、その知識は、あなたが他の人びとを利し、他の人びとを生かそうという思いのなかにある時に、あなたの人格のなかにくい込み、あなたの人格を太らせ、あなたの人格を力あらしめるであろう。
すなわち、教養への道は、知識に愛が触媒として加わって、そして自らの智慧となった時、それが教養そのものの道となるのである。

人びとよ、このことを疑ってはならない。
よいか、これより後、あなたがたの目の前に広がる広大な土地のなかの一部分を、自分の教養のためにとっておきなさい。
これは、あなたがたの目の前に横たわる人生の時間の一部を、教養のためにとっておきなさいと、私は言っているのだ。
あなたがたのうちの、あなたがたの一日の時間のうちの一定の時間を、一カ月の時間のうちの一定の時間を、一年の時間のうちの一定の時間を、教養を身につけるために割きなさい。
それは、決して無駄にはならぬ。
他の多くの人びとを生かすための、土木工事となるであろう。
そう言っているのだ。」
(91~94ページ)

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