心の錆を落とす

 ともすれば、人間は自分中心の考え方をしてしまいます。そして、他人から与えられることばかりを求め、与えられないことに不平不満を抱いてしまいがち。このように、放っておけば錆ついてしまう心を磨き透明にしていくことが、守護霊からインスピレーションを得る前提条件です。

 心の錆を落とすにあたっては、主に「自らの思いの修正」「愛の実践行為」という二種類の方法があると説かれています。

 一つは、「八正道」に基づいて反省するという方法。「正見」(正しく見たか)、「正思」(正しく思ったか)、「正語」(正しく語ったか)、「正業」(正しく行為をなしたか)、「正命」(正しく生活したか)、「正精進」(正しく道に精進したか)、「正念」(正しく念じたか)、「正定」(正しく精神統一をしたか)という、8つの項目に沿って自らの一日を振り返ります。(『太陽の法』『釈迦の本心』参照)。

もう一つの方法が、自らを生かしめている仏の愛に感謝し、周囲の人々にその恩返しをしていく「利他(りた)の行為」です。愛を与える利他行の実践によって、「自己中に生きていなかったか、他の人のことを十分に考えていたか」と自らの生きざまを高次な視点で振り返ることができます。

 「八正道による心の点検」「愛の実践行為による高次な視点からの反省」。この二種類の方法によって、日々に心の錆を落とすことが大事です。

 幸福の科学の支部や精舎では、心の錆を落とすためにさまざまな研修や祈願を受けることができます。守護霊のサポートを得て実り多き人生を送るためにも、ぜひこうした研修や祈願もご活用ください。

 反省で、日々、心の錆落としをして、表面意識といわれる心にある曇りを、一つひとつ晴らすことで、仏の光を受けとめることができるようになったときは、すなわち、守護霊や指導霊の指導を受けられるような状態になったときである。

 そのとき私たちは、潜在意識の部分と同通し、この三次元を超えた世界がほんとうにあることを知る。

 そして、実在界の視点でもって生きていくことができるようになり、悩みは、なくなっていく。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『心の挑戦』で以下のように説かれました。

「日々修行をし、そして心の錆落としをして、仏の光というものを受けとめることができるようになったとき、すなわち守護霊や指導霊の指導を受けられるような状態になったとき、私たちは、この三次元を超えた世界、無限の世界がほんとうにある、ということを知ります。
 そして、自分が独りで孤独な魂修行をしていたと思っていたところが、実は、自分の魂の兄弟という存在が、生まれ落ちてよりずっと自分を見守ってきたという事実に気づきます。
 「ああ、そのような霊存在が、自分をずっと眺めていたのだな。そして、その霊存在は、ほんとうは自分自身からまったく離れた存在ではなく、自分自身のなかの真我なる心、ほんとうの心、潜在意識のなかの穢れていない心であり、それが実は自分の守護霊となって見ているのだ」ということに気づくことになるのです。
 ところが、それは潜在意識といわれるだけあって、表面意識とは違ったものなのです。
 表面意識というのは、みなさんが目が覚めている状態です。朝、目が覚めて、夜、眠るまでのあいだに、目覚めている意識のことです。この意識は、みなさんの頭脳や神経作用、肉体諸器官から、まったく自由ということはありえません。したがって、非常に三次元的な物質波動に染まりやすい、また、他人の影響を受けやすい、非常にこの世的な波動に染まりやすい部分であると言ってもよいと思います。
 たとえば、澄みきった池があったとしても、秋になれば木の葉が落ちて、水面に木の葉とかゴミとか、いろいろなものが浮かんで、汚れたように見えます。その水は実は澄んでいても、表面自体は、澄んだようには見えなくなってくることがあります。そういう状態がちょうど、肉体修行をしている表面意識に近いと言ってもよいと思います。
 山奥の、せせらぎに近い民宿に泊まったりしますと、旅館の人が、せせらぎに溜まった紅葉の葉っぱを、熊手でかき寄せているのです。“紅葉かき”にも似たそのような作業をしなければ、ほんとうは、澄みきっている清流の姿を見ることができないのです。
 これが、私が日頃みなさんに勧めている反省の意味でもあります。守護霊は、あなた自身を毎日見つめてはいるのですが、守護霊からは、その本来の声をみなさんに届けることが、どうしてもできないことがあります。それが、表面意識が汚れているとき、濁っているときなのです。
 ですから、表面意識といわれる心にある曇りを、反省によって、一つひとつ晴らすことで、潜在意識の部分と同通していくことになります。そうすると、肉体を持って生活をしておりながら、その身そのままで、実在界とつながった存在としてのみなさんとなるのです。みなさんの考え方が守護霊の考えと一致します。実在界の視点でもって生きていくことができるのです。その視点でもって生きていくときに、みなさんの悩みというものは、なくなっていきます。」
(192~196ページ)

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