反省的瞑想

 心のなかにひっかかりがたくさんあると、そこに悪霊が入り込んでくるので、潜在意識との交流に入る前に、自分自身の心のあり方を正していくとよい。
 反省をしながら、心を次第しだいに穏やかにしていって、精神統一の状態に入っていく方法を「反省的瞑想」という。

 この瞑想法は、魔に狙われるようなことがなく安全で、しかも実り多い精神統一をすることができる方法である

 幸福の科学大川隆法総裁は、『『心の挑戦』で以下のように説かれました。

「心のなかに、デコボコといろいろなものがあって、そこにひっかかりがたくさんありますと、そのひっかかりの部分に、ちょうどロープでも結んで上がってくるように、悪霊が入り込んできますから、潜在意識との完全な交流に入る前に、まず自分自身の心のあり方を正していく必要があります。その際に、自分の思いと行ないの一つひとつを点検していくことが大事になります。
 では、まずは何を点検すればよいのか。通常の場合、いちばん大切なのは、まずその日一日をふり返ることです。
 「きょう一日はどうであったか。朝起きてからあと、自分の心のなかにどんな思いが去来しただろうか。それは正しい思いであっただろうか。人に対して悪い思いを持たなかっただろうか。悪いことを考えなかっただろうか。また、悪い行ないをしなかっただろうか」 そのように、思いと行ないについて、まずその日一日をふり返っていくのです。
 そして点検してみて、悪いものがあったならば、「今後は、そういうことはするまい」と反省するのです。人に対して悪い思いを発したならば、「それは、どうも申し訳ないことをしたものだな」と、きちんと反省をする。悪い行為についても、「もうこういうことはするまい。修正すべきことは修正しよう」と決意をすることです。
 そして、きょう一日について心のクリーニングが終わったならば、さらに、その射程距離を広げていきます。
 たとえば、ここ一週間のことについて思い出してみます。それが終わったならば、さらにもう少し広げて、この一ヵ月について考えてみます。そしてさらに次には、この一年ぐらいをふり返ってみます。ここまでしますと、だいぶ身体と心が澄んでまいります。
 そして、さらに、自分自身をふり返る充分な時間がもう少しあるならば、できれば生まれた時からのことを、年代を区切って順番に考えてみることが大事です。そこまで反省をしますと、たいていの場合、思わず知らず両眼から涙が頬を伝っているものです。教えられたわけでもなく、そうしなさいと言われたわけでもないのに、反省の心、懺悔の心、慙愧の念いから、自然に涙が流れてくるのです。
 それは実は、自分が間違っているということを知るためのモノサシ、判断の基準を、本来、心の奥底では知っているということなのです。自分が間違った生き方をしているということ、そのモノサシに反しているということを知っているから、それに気づいたときに涙が流れてくるのです。
 このように、リラックスして、身体と心を調え、そして反省に入り、自分自身の過去をふり返り、涙が流れるようになりますと、心はかなり澄み切ってきます。
 そのように、反省をしながら、心を次第しだいに穏やかに、静かにし、そして、精神をリラックスさせるなかで、ひとつの精神統一の状態に入っていくことを「反省的瞑想」といいます。この反省的瞑想は、釈迦が禅定に入るとき、いつも使っていた方法なのです。」
(96~105ページ)

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