犯罪を減らすには

 ほんとうに犯罪が起きているのは、心のなかにおいてである。思いが原因であり、行為は結果にすぎない。この地上から犯罪をなくすには、まず、人の心のなかから他人を害する思いをなくさねばならない。

 それは、他人の権利を侵害しないというような消極的な考えではなく、積極的に他の人々を幸福にしていこうという思いを持つことから始まるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『限りなく優しくあれ』で以下のように説かれました。

「現在の世の中を見渡してみると、あちこちで犯罪が増えています。もちろん、「法に触れる」という意味での犯罪が目につきやすいわけですが、私には、違った意味での犯罪が気になってしかたがないのです。
 世に言う「犯罪」という言葉は、思いより行為を対象にしており、他の人の権利を侵す行為が犯罪と呼ばれています。しかし、これは、ほんとうの心の秘密を知らない人の考えであると言っても過言ではないでしょう。
 ほんとうに犯罪が起きているのは、心のなかにおいてなのです。行為として、この世に現れた犯罪は、心のなかに現れた犯罪の十分の一にしかすぎないのです。
 この地上から、他人を害する行為をなくすには、まず、人の心のなかから、他人を害する思いをなくさねばなりません。他人を害する思いを人の心のなかからなくすことができて初めて、他人を害し、他人の権利を侵す行為が地上から消えてなくなるのです。
 思いが原因であり、行為は結果です。結果をなくすためには、原因を探究し、原因の根を取り除くことが肝心です。
 それでは、「思いにおいて犯罪を犯さない」とは、どういうことでしょうか。それは、「他人の権利を侵害しない」という消極的な考えが中心であってよいわけではなく、積極的に、「他の人々を幸福にしていこう」という思いを持つことから始まるのです。
 よく言われるように、人間の心は同時に二つのことを思うことができません。心のなかに悪いことを思い描かないためには、悪いことを取り除くことに専念するよりも、むしろ、よいことを思おうとするほうが大事なのです。
 よいことを常に心に描くようにすれば、必ず、悪い思いは一掃されることになります。よい思いを心のなかに描きつづける行為こそが、「心に悪を抱かず、悪を行わない」ということを戒律として自分に課すことにもなるのです。
 いや、結果は、それ以上に素晴らしいものとなるでしょう。なぜなら、自分の心のなかが、他の人々への善意と愛に満ちているならば、その善意や愛を受けた人々も、必ずや喜びを胸に抱くはずだからです。
 彼らは、その喜びを心のなかに隠していることができるでしょうか。それを単に隠しているだけでは、「自分が人間である」という事実すら確認できないことになるでしょう。人間であるならば、他の人から優しい思いや行為、思いやりを受けた喜びは、必ず感謝となって表れてくるはずです。
 その感謝が、愛を与えてくれた人への感謝になるか、それ以外の人への愛の行為となるかは、時と場合によるでしょう。しかし、いずれにせよ、「悩みの渦中にあった人が、他の人から愛を受けることによって、マイナスの発想をやめ、プラスの発想へと心を切り替える」という瞬間が生まれます。これは実に大切なことだと思います。」
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