戦国武将・武田信玄に学ぶ「徳あるリーダー」の生き様

「あらゆる人材を使う」ことが、トップの愛

 「徳あるリーダー」を目指すうえで参考にしたいのが、過去の偉人の生き様です。

 戦国武将で模範となるのは、甲斐(現:山梨県)を中心に統治し、「最強の武将」とも呼ばれた武田信玄でしょう。

 源氏の嫡流でもある信玄は、「風林火山」と書かれた旗を掲げて天下統一を目指し、大局観を持って判断できた武将です。その一方で、コメが取れづらい甲斐を富ませ、金山を開発して金貨を発行しました。また、部下の能力を的確に把握して、適材適所の人事配置を行い、情報収集も巧みでした。

 今で言う「優れた経営手腕」の持ち主です。信玄が優れたリーダーになった理由の一つに「深い教養」があったことが挙げられます。

 

深い教養を戦や領土経営、人心掌握に生かした

 信玄が大きな影響を受けたのは禅の高僧たちでした。幼い頃から、臨済宗の岐秀元伯(ぎしゅう・げんぱく)などの一流の学僧から禅や中国古典の教養を教えられて育ちました。

 信玄は、『論語』『易経』を始めとする儒教の書を読み込んで、倫理観を磨きました。当然ながら、兵法や軍略の勉強も行ない、『孫子』などを読んで自らの血肉とします。

 武田流軍学では、「後途の勝を肝要とする」、つまり、目先の現象や感情に惑わされず、大局観に基づいて判断することが大切にされています。これは、『孫子』で言うところの「百戦百勝は善の善なる者にあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」という思想に基づいたものです。

 信玄は、戦いでも徹底的に相手を殲滅せず、「六分の勝ちでいい」という勝負哲学を持っていました。勝ちすぎると味方に驕りが生まれるためです。そんな姿に織田信長や徳川家康は信玄に さんざんにしてやられましたが、深く尊敬しています。

 また、信玄は、漢詩や和歌、書画にも精通した教養人でもあり、中央の朝廷や公家、仏教諸宗派からも とても信頼されていました。

 甲府五山を開き、政情不安定な京都から多くの禅僧を呼び寄せ、甲府の地を京都・鎌倉に次ぐ「禅の文化センター」にもしています。信玄は、「武家の棟梁として、仏法や王法を守る」という使命感を一生を通して持ち続けました。

 「剛毅で老練、政略家」という印象が強い信玄ですが、宗教や文学への理解が深いことからも分かるように、「人の心が分かる」リーダーだったです。

 評論家の山本七平は、「信玄の教養は、その本質において、単なる楽しみだけのものでなく、その理想実現のための栄養素だった」と述べています。信玄は自身の教養を、戦や領土経営、人材活用などに生かしたのです。

 

一筋縄ではいかない部下を使い、「集団としての強さ」を引き出す

 また、信玄の「人材活用」「人心掌握」にも優れたものがありました。

 領地や領民に対する「経営責任」を負っていた部将たちは、「主君の御ため」より「わが身のため」を先に考える油断ならない存在でした。それは武田家も例外ではありません。

 「さまざまな人材をまとめ、使っていく」という点で、信玄はこんな言葉を残しています。

 「渋柿の木を切って木練(甘柿)を接ぎ木するのは小身者のすることである。中以上の侍、とりわけ国持ち大名ともなれば、渋柿は渋柿のままで役に立てねばならぬ」

 これを現代の経営に置き換えれば、「甘柿のような扱いやすい部下だけを可愛がって、渋柿のような部下を疎外するようでは、中小企業で終わるぞ」という意味です。信玄はこれを有言実行し、トラブルメーカーの部下が問題を起こしても、「私に免じて許してほしい」と説得したりしていました。

 また、織田信長や上杉謙信のようなカリスマ型リーダーは会議が嫌いで、トップダウンの運営方式でした。しかし、信玄は、部下を交えた作戦会議を開き、みんなで十分に討議。その情報や作戦を第一線の幹部に伝え、徹底させました。

 これは、「集団としての強さ」や「トップの分身」をつくる取り組みだったと言えます。

 

信玄には、「メシア的な統治者」のような側面がある

 信玄の「人事評価」は とても厳しいものでしたが、短所を持つ部下に対しても、「左様の者なり共、其の品々、つかう事は、国持ち大名の、ひとつの慈悲なり」と述べています。つまり、「人を生かすことがトップの愛だ」と考えていたのです。

 その方法として、長所と短所を持つ人材を組み合わせ、相乗効果を狙いました。例えば、口数の少ない部下はてきぱきと語れる部下と、性急な勇将は冷静沈着の智将と、温厚な武士は剛直で気の強い武士と組ませました。

 対照的な性格同士は相性が良いことを信玄はよく知っていたのでしょう。信玄の「人間通」の側面がよく表れています。

 幸福の科学大川隆法総裁は、信玄には「中道からの発展」を目指している面があり、古代ユダヤの「メシア的な統治者にも当たる」と評しています。現代においても、約500年前のリーダーである信玄には、学ぶべき点がたくさんあります。

参考

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