「環境の変化」と「能力の変化」の関係

   対機説法シリーズ 人生の羅針盤 第115回 より

能力が伸びると環境も変化する

 基本的には、能力が伸びると、環境も変化します。環境の変化に伴って自分の能力が変わるだけではなく、自分の能力が変わってくると、必ず環境も変化するのです。

 たとえば、同じ部署で、十年、二十年、三十年と仕事をしている人が、短所を直し、長所を伸ばしたならば、その人の環境は絶対に変化します。「こんなに能力の高い人を、このままにはしておけない」ということになって、環境は必然的に変わってくるのです。

 現在の部署では能力が溢れてしまい、「こんな状態では仕事がおもしろくない。もっともっと働きたい」という人を、そのままで置いておけるわけがありません。そのため、絶対に環境が変化するのです。

 環境が変化しないのならば、基本的に、能力もあまり変わっていないはずです。長所も短所も、ほとんど変わっていないのです。

 自分が変わった場合には環境も変わります。環境が変わってきて自分が変わる場合もありますが、自分が変わったために環境が変わる場合もあるのです。そして、自分と環境とは互いに影響し合っている面も当然あるでしょう。

 

総合力を伸ばすか一つの仕事に熟練するか

 会社のなかで、部署を替え、違う仕事をいくつか体験させられる人は、会社から、「総合的な能力の面で、まだ成長の余地がある」と見られています。それは、その人にとって、ありがたいことです。

 しかし、いろいろと部署を替えても、その人がそれほどプラスを生めないようであれば、会社は、その人を一つの部署に固定し、そこでの仕事に熟練させます。一つの仕事に熟練して生み出す成果が、その人の給料を超えているかぎり、その人はクビにはなりません。しかし、給料が成果を超えてきたら、いよいよ”肩叩き”が始まるのです。

 いろいろな部署に動かしてもらえるのであれば、マネージャー、管理職になっていくための総合的な能力について、会社がまだ期待してくれているということです。そういう能力はないと見たら、会社は、その人を一カ所に固定して、成果が給料に見合っているかどうかという判断をします。

 そして、成果が給料に見合っていない場合は、同じ部署にいても、降格になるなどして給料が下がります。そうならないときはリストラに遭います。どのような組織でも、おそらく、そのようになるでしょう。

 それは、「奪う愛か、与える愛か」という考え方を仕事に当てはめてみても、そうなるのです。

 ある人が、たとえば会社から年収二百万円の給料をもらっているとします。二百万円の給料をもらうためには、その人が会社で生み出す付加価値は二百万円では済みません。

 会社は、事務所の家賃、電気代や水道代などを払わなくてはなりませんし、さまざまな備品を買う必要もあります。その人以外にも大勢の人が仕事をしています。いろいろな費用を合わせると、二百万円の給料をもらおうとしたら、一千万円以上の付加価値を生み出していなくてはならないわけです。

 ところが、そういうことに気がついていない人は、いまの成果で自己満足をしているのです。

 

環境に変化がないと思うときは内面を深めていく

 環境が変化しないなかで能力を変えられるかというと、なかなか変えられません。同じところにいて、自分も周りの人たちもまったく変化がなかったならば、人は、ふっと、ほかの職業を求めて移動していくものなのです。

 環境に変化がないと思うときに、自分を変えようとしたら、その対象は内省的な感覚の部分でしょう。

 環境に変化がなくても、「内面を深めていく」ということは可能だと思います。

 内面を深め、広げていけば、それもまた次なるエネルギーに転化していくでしょう。そのためには、もちろん勉強も必要ですし、考えを練って深くしていくことも必要です。

 以前には考えられなかったようなことが、考えられるようになってくることも変化です。

 ただ、能力が変化すれば必ず環境も変化するのです。

参考

「能力」が変わると「環境が変わる」

 「環境が変わらないから人生が変わらない」と思っている人も多いと思います。

 たとえば、暮れになると「今年もあっという間に一年が過ぎた」と挨拶のように言い、環境の変化がないことを嘆きます。子供のころはあんなに一年が長かったのに、歳を取ったら一年はあっという間だという方も多いことでしょう(ジャネーの法則)。それは、時間に追われるように「時間軸」の中で生きることに慣れ、「感性軸」「感動軸」で生きられなくなるからです。

 十年一日のごとく代り映えのしない仕事をしているという方もいます。そういう方は、たいてい環境が変わらないからだと言います。しかし、「環境が変わらない」最大の理由は「その人の能力が変化していない」からではないでしょうか。自分の仕事は全然代り映えしないと思っている方は、ぜひ一度自分に問いかけてみてください。現実には「能力」が変わったのに「環境が変わらない」ということはないと思います。たとえば、ゴルフでも、最初は初心者同士でやっていても、段々上手になって、腕が上がってくるとシングルプレイヤーの方と一緒にラウンドするようになるのと同じです。

 このように、能力が変わるといつの間にか付き合う人が変わりますし、仕事の内容も変わります。全く新しい人間関係ができたりもして、環境が変わってくるのです。能力には、いろんな能力がありますが、どんな能力であっても能力が変わると環境は間違いなく変わります。自分の時間を有効に使い、新しい能力を手に入れると環境は変わるのです。

 年齢に関係なく、みなさんの「能力」が変わり、一定のレベルを超えた時、必ず環境も変わってくるのです。自分には才能がない人と思っていた人であっても、一定のレベルを超えた瞬間から自分を取り巻く環境が変わってきます。見識が高くなると、その見識に見合った人が引き寄せられてくるからです。全く知らない方であっても、偶然出会い、あっという間に意気投合して、深い関係が築けることもあります。そうして人脈が変わり、環境も変わってきます。嘘のような話ですが、本当にそういうことは起こるので試してみてください。若い方々は、まずはプロとしての自分の専門領域を深掘し、磨いていくといいのではないかと思います。

 

自分の能力が変化すれば必ず環境も変化する

   人生の羅針盤 第134回

 「経営環境が悪化している」といった厳しい状況に直面している企業も数多くあるでしょう。さまざまな危機的状況が、次々と出てきている企業もあるでしょう。

 そのときに、リーダーが周りの人を支配しようとしても、そう簡単にはいきません。ただ、エピクテートスのように、「自分一人の心を完全にコントロールする」ということは可能です。

 現代は、いかに生活が苦しく、借金があろうとも、家庭争議があろうとも、会社が傾いていようとも、奴隷の生き方よりはましであるはずです。奴隷ほどひどい状態にはないでしょう。

 かつて、奴隷であっても、自分の心を百パーセント支配しようと努力した人がいたわけです。ましてや、現代人は奴隷の身分ではないし、転職もできれば、家庭を立て直すこともできます。道はたくさんある時代なのです。

 そのように考えるならば、深く悩みすぎることには問題があるといえるでしょう。

 したがって、消極的に見えるかもしれませんが、意外に、「自分の心の王国を守りきった人が偉大なリーダーとなり、多くの人を導けることもある」ということを述べておきたいと思います。

 

環境の変化に頼るのではなくまず現在の環境で努力を

 さらに、『感化力』の二番目の論点としては、「自分の能力が変化すれば必ず環境も変化する」ということです。

 本書の32ページには、次のような質問があります。

「『環境が変化すると、新しい視点を得て、成長していくことができる』と聞いていますが、変化しない環境のなかにあっても、欠点を直し、長所を伸ばしていく方法があれば、教えてください」

 これに対し、私は非常につれない答え方をしています。「そういう方法は、あまりないでしょう。基本的には、能力が伸びると環境も変化します。環境の変化に伴って自分の能力が変わるだけではなく、自分の能力が変わってくると必ず環境も変化するのです」と述べています。

 これは意外なことかもしれませんが、とても重要なことを指摘しています。

 人間、弱い人ほど環境に頼ります。環境がよくなれば、よくなることはたくさんあるのです。それは当たり前のことです。

 たとえば、世の中の景気全体がよくなったら、自分の経営する会社もご利益にあずかれるのが普通です。

 「首相が替わればよくなる」「日銀総裁が替わればよくなる」「アメリカが態度を変えればよくなる」「中国が変わればよくなる」というように、環境が変わればよくなることは幾らでもあります。実際にそのとおりです。

 しかし、現実にはそう簡単に環境を変えられるものではありません。なぜならば、環境そのものは、非常に大勢の人の力や仕組みによってでき上がっているものだからです。

 したがって、自分のいまの生き方や人生、会社の仕事にとって都合のよいように、一人の力で全部を変えることはできないのです。

 いま、仕事がうまくいっていないとしても、「会社を変えたらうまくいった」という場合は、当然あるでしょう。環境を変えればよくなることなど幾らでもあります。

 ただ、環境の変化に頼るのは王道ではありません。「今の場所から逃げだして別の場所へ行けば、パラダイスになり、すべてがうまくいく」というようなことを考えても、現実にはそう簡単にはいかないということです。

 

自分の能力が変化すれば必ず環境も変化する

 『感化力』の32ページに書かれた内容で、重要な点は、「自分の能力が変化すれば必ず環境も変化する」ということです。これは非常に重要なことなのです。

 「あまり環境が変わらない」ということは、「自分の能力が変化していない」ということなのです。能力が変化していないから、環境も変わらないのです。能力が変化してきたら環境も変わります。

 それは、語学の勉強一つを取っても当てはまります。

 たとえばの話ですが、あなたが、突如、発心して英語の勉強を始めたとしましょう。それから三年から五年ほど勉強を続けるうちに、どんどん英語ができるようになり、英語の達人になったとします。そのときに、会社はあなたを放っておくと思いますか。

 現在、あなたが、国内のメーカーのどこかの支店で、問屋さん相手に日本語で商売をしている人であったとしても、英語の達人になっていたならば、会社は絶対にあなたを放ってはおきません。英語が使えるセクションに必ず異動させようとするはずです。

 あるいは、社内にそのような場がなければ、別のかたちで何らかのチャンスが出てくるでしょう。たとえば、新聞や雑誌、テレビなどを見ていた折に、「ああ、こういうふうに、英語を使える職業があるのか。これは自分に向いた職業だ」という情報を見つけ、転進するきっかけをつかんだりします。

 このように、自分の能力が一定のレベルを超えたときには、必ず変化が起きてくるのです。「能力が伸びているのに、環境は変わらない」などということはありません。必ずそういうふうになるのです。

 いま述べた考え方の正反対に当たるのが、すでに滅びつつある共産主義です。

 共産主義は、徹底的にこれを否定し、「環境がすべての運命を決める」というような考え方をします。「資本家が悪い」「制度が悪い」「資本主義が悪い」などと言って、すべてを環境のせいにし、自分自身の責任は問いません。

 しかし、この考え方は基本的に間違っています。日本の知的エリートたちも、それがなかなか分からず、何十年も騙されつづけてきました。共産主義は、愚痴と言い訳、嫉妬心の哲学なのです。

 自分の能力が変われば、絶対に環境も変わります。それはほぼ間違いのないことであり、そのように信じたほうがよいのです。

参考

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