育ちがよすぎるリーダー

 たとえば、名家と言われるような よい家に生まれた育ちのよい人がリーダーとして来たとき、彼らには、押しなべて冷たいところがあるから、注意したほうがよい。

 育ちがよすぎる人は、人からほめられることに慣れすぎているので、ほかの人が努力して“獲物”を獲ってきても、その努力の部分が分からず、あまり恩義を感じない。

 こちらが一生懸命に恩を売ったつもりでも、それを分かってくれないことが多いという弱点があるので、気をつけたほうがよい

 幸福の科学大川隆法総裁は、『希望の法』でこう教えておられます。

「もう一つ、育ちがよすぎる人も要注意です。
 それは、たとえば、名家と言われるような、よい家に生まれた人です。
 人からうらやまれるような、何代も続いた財産家の家系や、何代も続いた秀才の家系など、日本の名家には、いろいろな家があるでしょう。「家柄がとてもよい」という家もあれば、「お父さんも偉かった。おじいさんも偉かった。ひいおじいさんも偉かった。その前の、江戸時代の人も偉かった」という家もあるでしょう。
 こういう家に生まれた、育ちのよい人が、リーダーとして来たときには、注意したほうがよいのです。彼らには、押しなべて、冷たいところがあるからです。
 彼らは、他の人に対して、あまり恩義を感じません。他の人が一生懸命に努力し、頑張って協力しても、そのときだけは、その事実を見てくれますが、すぐに忘れてしまいます。育ちがよすぎる人は、人からほめられることに慣れすぎているので、ほかの人が努力して“獲物”を獲ってきても、その努力の部分が分からないのです。
 たとえて言えば、「鵜飼いの鵜が、一生懸命、川に潜って鮎を獲ってきても、鵜匠のほうは、獲った鮎を見て、『きょうは十匹か。まあまあだな』と思う。そして、それ以上のことは考えない」というような感じに近いのです。
 彼らは、こちらが一生懸命に恩を売ったつもりでも、それを分かってくれないことが多いのです。
 才能がありすぎる人や育ちがよすぎる人をリーダーに持ったときには、そういう弱点に気をつけてください。
 みずからに才能がありすぎる人、「小さいうちから才能があって、サーッと上がってきた」という人や、「家柄がよくて、親の力などによってパーッと上がってきた」という人には、そのようなところがあります。
 政治家でも、「何代も続く政治家の家に生まれた」という人がいます。ほかの家、たとえば農家に生まれた場合、個人で選挙に出られるかといえば、普通は、なかなか出られませんが、政治家の家に生まれると、「親の七光りによって、二十代で政治家になれ、四十代で大臣になれる」ということがあります。ところが、そういう人は、それを自分の実力だと思い、ほんとうは自分より実力の高い人を低く見てしまったりするのです。
 そのような人に一生懸命に尽くしても、あとで裏切られることがあります。
 その辺については、自分がそういう政治家である人も、そういう人に仕えている人も、よく知らなければいけません。だいたい、そのようなものなのです。
 また、名家には、昔で言えば歴代の王朝につながる家もあれば、代々、学者が出ている家もあるでしょうが、そういう家の人をあまり信用しすぎてもいけない面があります。」
(240~243ページ)

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