新興企業の経営戦略 意図されない戦略をどう意図的につくるか

参考・引用

 ゼロから立ち上がり、試行錯誤を重ねながら変化が求められ続ける企業は、どのように経営戦略を構築すればよいのだろうか。

 

新興企業が成長可能な事業環境を考える

 新興企業と一言で表現しても、その状況は各社で異なる。

 創業当初から数百億円の予算を持つ事業もあるだろう。当初はまったく資金がなくとも、創業から2、3年で百億円以上の投資を受ける例も珍しくない。一方、長期の潜伏期間、すなわち、人もお金も不十分なままに事業のあり方を探し求める状態が続くこともある。

 その起業家が どのような事業環境に身を投じるかによって、戦略立案の方向性は変化する。

 特に新興企業が存在する事業環境では、予測困難性、可鍛性、または、生存可能性のいずれかが高い可能性が予見される。その事業環境の特性を理解することが戦略立案の第一歩である。

 予測困難性も低く、可鍛性も低い場合は、経営戦略の立案は古典的となる。たとえ新興企業が事業を行うとしても、事前の詳細な計画や、それに基づいた周到な準備が重要です。事業環境は、成熟かつ安定しているため、参入に際しては規模感のある資本、そして、十分な知見と経験が求められる。多くの場合、それは新興企業の得意とするところではない。

 一方、予測困難性が高く、可鍛性が低い場合は、新興企業にも事業機会が存在する。予測困難性が高いということは、非連続的な変化が持続している環境でもある。こうした環境において、事業モデルの工夫や技術や仕組みの革新によって自社のみが先回りできれば、既存企業が対抗しえない競争優位を得ることができる。ただし、小規模な新興企業がそれを得るのは困難ではあり、多くの場合、適応的な戦略を使いこなす既存プレイヤーに強みがある。新興企業が勝負をかけるならば、初期段階から十分な経営資源が必要となり、既存企業との合従連衡は欠かせない。

 これらに対して、予測困難性が低く、可鍛性が高い状況に産業構造が転換しつつあるときは、新興企業にとって事業成長の大きな機会である。こうした事業環境は、新技術や新サービスの展開、すなわち、洞察的な戦略が事業環境の構造を変化させうる状態にあるからです。

 たとえば、電力自由化と再生エネルギーへの政策的な誘導が行われているような状況では、エネルギー産業にも多様な新興企業が参入する余地がある。同様に、電化製品や自動車など多種多様な製品が それぞれ独自の集積回路を必要とする時代が訪れたことにより、一部企業の寡占化が進んでいた半導体産業においても、ARMのような新興企業が大きくシェアを伸ばすこととなった。変化の方向性を理解できる起業家が適切な事業モデルを推進すれば、大きな成長可能性をもたらすのです。

 予測困難性も高く、可鍛性も高い事業環境や既存のプレイヤーの生存困難性が高い事業環境は、多種多様な新興企業による新たな市場創出の主戦場である。こうした環境下では、成形的な戦略や復興的な戦略が発揮するだろう。これまでの事業環境の常識に囚われない発想、すなわち、必ずしも現在の外部環境や自社が有するリソースに左右されない、新しい事業の方向性が求められる。ただし、それは、自由度が高い反面、初期から確実性の高い計画を立案するのは不可能に等しいと言える。

 新興企業が成長しうる環境は、不確実性が高く、状況が変化しやすい。そのため、こうした事業環境では、どちらかといえば洞察的、成形的あるいは復興的な戦略を取ることが求められる。そうした背景によって、新興企業の戦略立案は一般的な打ち手とは少し異なってくるのである。

 

新興企業の主戦場は「シュンペーター型」の競争

 先進国を中心に経済が成熟し、かつ、複雑化した現代、資源の限られる新興企業が比較的短期間で競争優位を得られる産業領域は限られている。これは、ジェイ・バーニーが1986年の論文で示した「競争の型」という概念からも説明できる。

 新興企業が特に成長する事業領域は、バーニーの議論を援用すれば、安定的な産業構造が企業間の競争を誘導する「IO型」でも、既存プレイヤー間の競争関係が事業環境を規定うる「チェンバレン型」でもなく、イノベーションが競争構造を組み替えうる「シュンペーター型」の競争が発生する事業領域であろう。

 IO型の競争が行われる事業環境は、比較的産業構造が安定的であることが多い。既に確立された事業モデルを持つ既存企業が存在しており、長期間にわたり、その事業環境下の企業の戦略も変わらない。多くの場合、寡占化が進行しており、後発参入者である新興企業が事業を拡大しようとしても、既存の枠組みを打ち破ることが難しい。

 チェンバレン型の競争環境は、新興企業にもう少し可能性が残されている。それぞれの企業は、各社の独自性をもとに事業を行うことが求められるが、既存企業との十分な差別化が可能であれば、新興企業にも十分に成長の可能性がある。とはいえ、比較的安定的な事業環境下で、既に大きな事業規模を持ち、大きな経営資源を有する既存企業との競争に打ち勝つのは容易ではない。そのため、新興企業の中で一部の限られた企業のみが成長を実現することとなり、いわば例外的な事例である。

 シュンペーター型の競争環境は、一般に流通している言葉で言い換えれば、「破壊的イノベーション」や「創造的破壊」といわれるような 技術や事業モデルの抜本的な革新が芽生える事業環境である。これは、まさに戦略パレットにおける 予測困難性や可鍛性、生存困難性が高い状況である。それは産業構造が大きく変化しつつあるか、あるいは、既存企業のイノベーションが停滞するときであり、こうした事業環境でこそ無数の新興企業が生まれ、無数の試行が繰り返される。企業や事業の多産多死の状況でもあるが、だからこそ、新興企業の事業拡大の主戦場となる。

 

戦略検討の定石だけでは新興企業には不十分

 シュンペーター型の競争環境では、外部環境を理解し、内部環境を理解し、自社の競争優位を定めるという基本的な道筋だけでは新興企業の現実に対応できない。創業当初から正しい答えを導き出すのは極めて困難なのである。したがって、新興企業の戦略検討には、絶えず移り変わる外部環境の特性に柔軟に対応でき、同時に、自社の成長に伴い、絶えず変化する内部環境の特性を逐一加味できるような、より創発的で柔軟な戦略検討の考え方が必要となる。

 

 新興企業がその強みを発揮でき、急速に成長する可能性が高い市場領域は、必ずしも外部環境の構造が安定しているとは限らず、また、どのような自社資源や知識、能力が競争優位につながるかを特定することが難しい。

 こうした認識から、新興企業の戦略をめぐる議論は独特の発展を遂げている。これは、ヘンリー・ミンツバーグらが1985年に発表した論文である「臨機応変な戦略形成」の問題意識と同様である。

 ミンツバーグは、経営戦略が直線的な経緯をたどるという理解、すなわち、外部環境の分析と内部環境の分析から競争優位の源泉を定め、それを粛々と実行するという理解に反証事例を提示した。彼は、経営戦略が日々の行動の実践から次第に生み出され、成功体験を積み重ねることで、草の根から組織の各層に浸透し、それが経営戦略として認知される過程を示した。これは後に「創発的戦略」と呼ばれるが、経営戦略が段階的に創出されるプロセスである。

 もちろん、新興企業には創業当初の戦略が必要ないというわけではない。

 新興企業の多数が興隆する事業環境は、予測困難性、可鍛性、生存困難性の少なくともいずれかが高い可能性があり、絶え間ない革新で競争優位を再定義し続けるシュンペーター型の競争にさらされていることが多い。こうした事業環境では、当初の戦略は指針にしかならないのである。

 だからこそ、新興企業は、自身の行動を通じて、日々 みずからの事業の方向性を修正し、刻一刻と移り変わる事業環境の特性に即応し、絶えず戦略の舵を柔軟に動かし続ける必要があるのです。

 

スタートアップにおける戦略検討の特性

 仮説指向計画法は、まず、経営陣が成功を信じる事業の仮説を詳細に検討させる。次に、その事業の売上や費用に関する仮説を競合や市場平均と比較しつつ、 事業に必要なそれぞれの要素を詳細に記述して構造化する。そのうえで、この過程で必要となった仮定条件、たとえば部品の価格や配送費用などの数値を検証し、可能な限り具体的かつ現実的な数値に落とし込む。これらの数字は、事業を推進する過程で絶えず見直され、それに伴い当初の計画も進化していく。

 この方法は、新興企業が戦う事業領域においては、計画を立てる時点では確実な情報が限られるという現実を反映している。不確実な要素を無理に明らかにしようとせず、事業創造の進展に合わせて手に入る情報を段階的に組み入れる発想である。

 それまでの経営計画の発想が、当初計画からの大きな乖離を悪と見なしていたのに対して、仮説指向計画法はそうした乖離は自然であり、不可避であると考える。ここで重要なのは、本格的な投資を開始する前に、その事業仮説を現実の数字に置き換え、できる限り予測を盤石のものにすることです。検討プロセスの紆余曲折は想定内であり、より不確実性を許容した考え方です。

 スタートアップにおける戦略検討は、事業モデルが確立され、市場で一定のポジションをすでに保持しており、既存の社内資源による制約も大きな成熟企業とは異なり、より不確実性と密接に絡み合っている。「つくりながら走る」「入れ替えながら回す」「絶えず更新し続ける」、こうした言葉に表されるように、現在の環境、自社の現状を前提とするのではなく、あくまでも仮定とし、それらが組み変わっていく現実に密接に寄り添った発想が必要となる。

 なお、仮説指向計画法を再考した2017年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』の記事では、著者の一人であるリタ・ギュンターにインタビューを行い、この手法を用いる際の注意点をまとめている。

 仮説指向計画法は、たとえば20億ドルを投じる半導体工場のようなプロジェクトには馴染まない。より不確実性が高く、大量の前提条件を走りながら検証し、事業の型を創発的につくり出す新興企業に向いている。無論、新興企業も事業規模が成長を続けるにつれて、伝統的な計画立案法に徐々に転換する必要がある。これは大規模な組織に向く考え方ではない。

 また、仮説指向計画法は、1回のプロセスで計画を完成させるものではない。絶えず前提条件を更新し、そして、計画を刷新し続けることが不可欠となる。すなわち、絶えず現状の計画を更新し続け、実行と計画のサイクルを短期間で回し続けることが肝要である。

 当初の前提条件が誤っていることを恐れてはいけない。仮定や前提条件が正しいことを信じて、それを証明しようとするのではなく、仮定や前提条件が適切であるかを検証する客観的な姿勢求められる。当初の仮説は出発点にすぎず、その正しさを証明しようとすることはむしろ害悪となり得る。

 仮説指向計画法が提示されてから既に20年以上が経過している。もちろん、この考え方の根本、その精神は現在でも普遍的価値がある。

 しかし、仮説指向計画法も万能ではない。未来を志向した前提条件を取り入れる必要があること、特に自社事業の競争優位がどの程度持続できるのかを深く検討し、仮説を検証する期間を より短期間とする必要があることが既に指摘されている。また、元来の発想が伝統的な予算と数値管理を前提とした経営計画立案の手法に根ざしているために、実務での応用にあたっては経年劣化が否定できない。

 こうした現実を反映し、2000年代後半からは、この発想を参照点として、よりスタートアップの実務家にとって使いやすく、理解しやすいフレームワークや経営コンセプトが数々と登場し、それらが一世を風靡した。

 

リーン・スタートアップという新たな戦略フレームワークの登場

 新興企業の創業当初の経営戦略立案は、経営戦略という言葉より、むしろイノベーションやビジネスモデル、プロトタイピングといった言葉に紐付けられる。それは、新興企業における経営戦略の立案が、その企業の中核的な事業の設計とほぼ同義であるからだろう。

 事業開発手法をめぐっては、多種多様な考え方が登場しては消えていった。しかし、仮説指向計画法の発想を原点に、それをより使いやすいフレームワークに落とし込んだのが、2000年代後半に発案され、エリック・リースが2011年に出版した『リーン・スタートアップ』により広く普及した、「リーン・スタートアップ」の考え方である。

 スティーブ・ブランクの2013年の論考によれば、リーン・スタートアップの要点は3つに集約できる。

 この概念は、仮説指向計画法が、複雑に絡み合う仮定や前提条件をそれぞれの事業ごとにゼロから検討していたのに対して、ビジネスモデル・キャンパスと呼ばれる戦略フレームワークなどを活用し、新興企業が事業開発を行う際に仮定を置き、前提条件を設定しなければならない要因について限られた要素に整理している。

 そして、新興企業の創業初期においては、事業モデルを探索するカギとなる、これらの要因を探索的に検証し、当初の経営戦略の有効性を検証することに注力すべきであると説く。この際、全要素を網羅的に精緻に検証するのではなく、たとえ荒削りであっても、仮説の概略を構成する主要構成要素に絞った効率的な探索を迅速に行うべきであるとした。

 事業の細かい点に関しては、拡張性のある戦略の方向性を見出してからでも遅くない。あくまでも重要なのは、全体の枠組みを検証することであり、詳細なつくり込みはある程度の規模を得てからでも構わない。創業初期に重要なのは、中核的な事業概念の検証であり、その根源的な収益性を左右する要因の検証であり、それに関連する要素のつくり込みである。

 また、リーン・スタートアップの特徴は、経営戦略の立案にあたって顧客を巻き込み、市場での検証を通じて、それを磨き込むアプローチを取ることである。

 まずは、小さな市場を対象として、潜在顧客に積極的に会いに行き、同時に、事業を拡大した場合に協業する取引先の候補と創業初期から積極的な意見交換を重ねる。こうした活動からの情報入力を絶えず自社の事業に反映し、市場の中で自社の事業仮説を試しながら磨き込んでいく。

 これは新興企業の多くが存在する事業環境でこそ取れるアプローチである。その実践が極めて難しい事業領域も多数存在する。たとえば、発電プラント、鉄道、橋梁など、一つひとつの製品がそれぞれの顧客の要請にもとづいて設計され、政府機関など極めて限られた数の顧客しか存在しない場合などが代表例です。こうした事業領域では、不完全な完成度の提案を限られた数の重要な顧客に何度もぶつけることは適切とはなりにくい。

 一方、新興企業の主戦場となる事業環境においては、ビジネスモデルを探索するための検証を市場で繰り返す「探索」と、それが見えた段階で販売促進活動の支出を増大させ、組織を急速に整備する「実行」の二段構えのアプローチは有効に機能する可能性が高い。

 新興企業は、顧客を発見し、顧客と対話しながら有効な経営戦略を見出す。それを通して当初の事業仮説を検証し、誤りであるときには経営戦略の抜本的な転換(ピボット)を行う。逆に、その事業仮説の有用性が説明できるのであれば、採用を拡大し、販売促進に投資し、組織体制を整えながら方向性を固めていくのである。

 リーン・スタートアップの考え方は、こうした事業仮説の磨き込みを迅速に実行し続けることも奨励する。できるだけ多くの修正点を反映した次世代の製品やサービスの完成を目指すのではなく、当初の事業仮説を少しずつ磨き込み、それを絶えず迅速に改善させていくことに注力している。

 この点は、リーン・スタートアップのもう1つの原点である「トヨタ生産方式」にも通じるところがある。顧客からのフィードバックを絶えず反映し続け、それによって段階的に製造現場をカイゼンしていくトヨタ生産方式は、中央集権型の組織構造をとり、限られた数の経営陣やエンジニアが生産ラインを分析して、再編成する手法とは真逆に存在する。

「ステルスモード」と呼ばれるように、自社の経営戦略が社外に漏れないよう厳密に情報管理を行い、一定の完成度に到達してから顧客にそれを問うという発想にも一定の価値がある。それに対して、リーン・スタートアップの考え方の根底には、機密保持よりも現場の情報に価値を見出し、引きこもって考え込むのではなく、市場に出て叩かれたほうがよいという発想が存在する。

 

探索のフェーズにおける新興企業の取り組み

 探索のフェーズが目指す重要なマイルストーンは、「プロダクト・マーケット・フィット」(PMF: Product Market Fit)の確立である。

 PMFは、顧客を満足させうる製品やサービスと、一定規模以上への成長を可能とする製品やサービスに最適な市場の組み合わせによって成り立つ。ここで重要なのは、よい製品やよい市場だけではPMFを確立できず、あくまで製品と市場の組み合わせであるという点である。

製品を軸にして市場を探すプロダクト・アウト(Product Out)でもなく、市場を軸にして製品を考えるマーケット・アウト(Market Out)でもなく、プロダクトとマーケットの両者の間の整合性、すなわち、フィットを目指すことが肝要である。

 どれほど優れた製品やサービスを考案しても、市場が存在しなければ価値を持たない。同様に、どんなに可能性がある市場を見出しても、その市場に最適な製品やサービスを提供できなければ意味がない。ある製品やサービスの価値を見出すのは市場であり、ある市場の潜在性を発掘し、その成長を加速させるのは製品やサービスである。したがって、プロダクトとマーケットの相互作用により、両者が両者を補完し合う構造を発見する必要がある。

 この構造を発見するためには、まずPMFの確立の前段階として、より根源的な「プロブレム・ソリューション・フィット」(PSF: Problem Solution Fit)を見出すのが定石とされている。

 ソリューション(解決策)は、プロブレム(課題)に ひも付いているのが基本であり、それは無数に存在しうる。そのため、プロブレム・ソリューション・フィットを発見するには、まずプロブレム(課題)から入るのが有効である。さらに、プロブレムとソリューションは、それぞれ顕在と潜在、既存の組換と新規の創出の2つに大別できる。この組み合わせから、PSFを見出すための4つの基本的な方向性が説明できる。

 まず「既存手法の改善、特化による差別化」である。たとえば、無印良品、ビームス、スノーピークといったセレクトショップや専門ブランドは、特定の趣向やデザイン・コンセプトに焦点を当てることにより、比較的特化した領域から支持層と事業を広げていった。スマホゲームのように開発に用いられる技術や手法が枯れているなかで、その組み換えや改善を通して他社との差別化を図る道もある。これは、特に市場構造が比較的安定的な事業環境で用いられる。

 次に「他の市場への既存手法の応用」である。アグリテックやフィンテック、そして、HRテックといった言葉があるが、これらは当初インターネットサービスによって開発された手法や技術を応用し、そうした技術が浸透していない事業領域の潜在課題を発掘し、解決しようとしている。これも比較的、産業構造が安定的な事業環境に新規参入する際に有効な方向性である。

「新技術・手法による顧客・市場の深耕」は、既に顕在化しているニーズに新たな技術や手法で挑戦する。たとえば、ゴアテックスは、防水浸透性素材という防水性と浸透性を両立させる新素材を活かして、アウトドアの愛好家から圧倒的な支持を集めた。急速に成長するフリマアプリも、既存のオークションサービスなどが要した出品と落札に要する手間暇を大幅に軽減することで、支持されている。

 もちろん、「新技術・手法による新市場の創出」も不可能ではない。インターネットや仮想通貨など、まったく新しい概念で新市場をつくり上げることも、限られた一部のプレイヤーには可能であろう。しかし、これを自社単独で成し遂げることは難しく、多種多様な利害関係者との協力のうでのみ成し遂げられる方向性である。

 

PSFとPMFのギャップの正体

 PSFとPMFの間に存在するギャップとは何か。起業家ごとに持論があると思われるが、その共通点を一言でまとめれば「数字が合うか」である。

「数字が合うか」とは、PSFの検証からつくり出された製品やサービスが一定以上の成長が見込めるかを示す。いかに優れた製品やサービスであっても、極めて限られた数の顧客しか存在しないのであれば、事業として成立し得ない。同様に、少なくとも事業がある一定規模に達したとき、製品やサービスを提供することで得られる収入が、それらをつくるために必要なコストを上回ると予測できるかも重要である。これは、現代的には「ユニット・エコノミクスとも言われる。経済学や管理会計分野において古くからある言葉を使えば、限界費用や限界収益に近い。

 この2つの前提のうえで、特段の努力をしなくとも、販売量や契約数が継続的、かつ、自然に増加していく状態に至れば(もしくはその兆候が見えれば)、探索のステージは速やかに(少なくとも一旦は)終わるべきである。

 この発想と検証のプロセスの効率化を目指す手法は数多く存在する。ただし、これに至る道は極めて難しく、予測がつかない。

 たとえば、IDEOが提唱する「デザイン・シンキング」のアプローチは、この過程を「着想」「概念化」「実現化」の3つのプロセスに分解し、それぞれで製品やサービスのプロトタイプの作成とユーザーテストを繰り返すことで、事業化のヒット率をできる限り高めようとしている。また、アッシュ・マウリャが2012年に出版した『Running Lean』のように、リーン・スタートアップの手法を より実践的に解決し、PMFに至るための手法を解説する書籍も多数ある。

 しかし、新興企業の経営者がどのようにPSFを満たし、最終的にPSFを説明できる経営戦略を見出したかをヒアリングすると、デザイン・シンキングのように体系化されたアプローチを採用した起業家は、少なくとも日本にはほとんどおらず、現状では、探索の過程は起業家の職人芸に依存している。日本の新興企業の起業家は、エンジェル投資家や先輩経営者などからの助言、自身の過去の事業経験から得た知見を元に、属人的に この作業に取り組んでいるのが現実である。

 

実行のフェーズにおける新興企業の取り組み

 PSFを「説明」できる状況に達したら、次は実行のフェーズに移る。「資源投入ステージ」とも言える段階である。

 ここで重要なのは、「説明」で十分であり「証明」しようとしてはならないという点である。特に、新興企業が置かれる事業環境は刻一刻と変化して流動的である。無数の新興勢力が立ち上がっては消えていく状況下では、どれだけ可能性のある経営戦略であろうと、その正しさを証明することは不可能に近い。

 経験値の浅い起業家によくある間違いは、資金調達のために事業計画書やビジネスプランの書類を大量に書き溜め、データでできる限り自分の事業の正しさ、すなわちPMFを証明しようとする行為が挙げられる。これは、新興企業の大半が置かれる事業環境では意義の薄い行為であり、そうした資料を高く評価するシード投資家は一人もいない。

 もちろん、実行のフェーズに移行して以降は、「説明」が「証明」に少しずつ近づいていく。この段階は資源投入の段階であり、経営資源を投じて顧客をかき集め、製品やサービスを段階的に改善していくフェーズである。創発的な段階から組織的な段階への遷移であり、より科学的な定量的なアプローチが有効となる段階への移行である。

 数値を元に事業モデルの状況を構造的に把握し、それぞれを同時並行的に改善するアプローチは、スタートアップの間では「グロースハック」という言葉で最もよく知られている。これは、製品やサービス自体だけでなく、その集客手段や運営手段までを含む全社のコスト構造と収益構造を対象に、特に実証データに基づく仮説検証を繰り返す手法である。

 グロースハックの象徴ともいえる分析手法はA/Bテストである。これは、製品やサービス、あるいは広告やキャンペーンの実装の選択肢のうち、どれが最も効果が高いかを本格的な実装の前に検証する手法である。現在では、オプティマイズリーやKAIZEN Platformのようなサービスを用いて、こうした定量的な検証が機動的に実行できる。

 無論、グロースハックと総称される取り組みでは、A/Bテスト以外にも多数の方法論が用いられる。たとえば、Conversion Rate Expertsがまとめたグロースハックのための27の手法と、それに関連するウェブサービスの一覧は参考になる。同社は、顧客に1対1で直接自社のスタッフと対話するよう動機づけ、SNSへの投稿などの公開情報を収集し、また、類似の事業を行う非インターネット企業の取り組みまで調査すれば、より幅広い範囲のサービス改善ができると説明する。

 日本でも、特にテレビCMなどのマスメディア広告を中心に、どのようなクリエイティブに効果があるのか、どの時間帯が最も効果が高いかなど、数値を軸に広告や販促の効果を定量的に計測検証するノウハウが浸透してきた。ユーザーインタビューやサーベイなどの伝統的な調査手法を日々の業務ルーチンに取り入れ、その学びを迅速に製品やサービスに取り入れることも常識となりつつある。フェイスブック、そして、エアビーアンドビーやウーバーのように、こうした取り組みを「グロースチーム」などと呼ばれる専業部隊で実行する企業も無数にある。

 これらの意味するところは、新興企業の具体的な経営戦略は、その実行の過程の中で決定されていくという単純な事実である。

 もちろん、A/Bテストなど定量的な改善を基本とするグロースハックは、それぞれの機能、UI/UX(ユーザーインタフェース・ユーザーエクスペリエンス)、システム構成の改善である。しかし、こうした日々の取り組みの積み重ねが、次第にサービス全体の再編成や人員・組織体制の変革、さらには提供価値の再定義につながることもあり得る。新興企業はこうした検証と改善を行いやすい事業領域に存在しているため、実行の中から戦略を動的に転換するアプローチと親和性が高い。

 一方、20年から30年の事業期間が必要となり、一旦投資を決定すると設計の見直しが極めて難しいインフラ事業、基礎設計から製品販売までに5年以上の期間を要して高い安全性が求められる乗用車、さらに、開発期間も長くリスクも高い航空機事業などでは、こうしたアプローチは取りにくい。

 また、既存事業の規模が大きくなればなるほど、製品やサービスの根源的な設計を見直すコストは加速度的に高くなる。だからこそ、新興企業が長期的な競争優位を築くためには、初期段階において、実行を通じて絶えず自社の戦略を変化させ続けることが極めて重要なのです。

 

新興企業が成熟するとき

 新興企業は いつまでも新興企業のままではいられない。

 10人程度の組織であれば、全員が経営陣の隣りに座っているような環境をつくれる。また、100人程度であれば、優れた経営者であれば、ほぼ全員の名前と顔が一致しているだろう。しかし、それが500人、1000人規模となれば、それはもう不可能である。経営陣、役職者以外の何らかの力によって組織を一つにまとめ続けなければならない。これこそが経営戦略を浸透させるものである。

 新興企業は、特に創業当初は経営資源が極めて限られた状態にあり、日々その経営の方向性も変わっていく。したがって、定量的な評価基準や細かなインセンティブ設計よりも、日進月歩で組織や戦略が変化するなかで根源的に信じるべきもの、組織の構成員全員が共有すべきバリューやミッションが要となる。

 これらは創業初期にはそれほど重要でないかもしれない。しかし、組織文化、制度、風土とも呼ばれる組織の定性的な要素は一昼夜では醸成できないがゆえに、創業初期からつくり上げ、熟成させていかなければならない。

 また、コミュニケーションという概念も同様に重要となる。組織が小さなときには仕組み化は求められないが、急成長する組織でこれを怠ると、気づかぬうちに人心が離れていく。そして、離れ始めてからそれを始めても、ほとんどの場合はもはや手遅れである。これも創業初期から実行しなければならない重要な取り組みとなる。

 こうした組織の足腰を鍛える取り組みが立ち遅れれば、採用が難航したり、中心メンバーの心が離れたりするだけでなく、組織の意思決定の方向性が歪んでしまう。組織が大きくなればなるほど、経営幹部一人ひとりの意思決定に依存せざるを得ない。その個別の意思決定を統制するものは、バリューやミッションといったその組織が共有する価値観や考え方であり、日々経営陣から発信されるコミュニケーションの蓄積なのである。

 新興企業も いつしか成熟企業となる。そこに至る過程で、当初 事業戦略と全社戦略の間に大きな重なりがあったものが、次第に全社の戦略がそれぞれの事業の戦略から独立していく。

 組織を永続させようとするのであれば全社戦略が欠かせない。その中核となるのは、ミッションやバリューの確立と それをもとにした組織内コミュニケーションによる、組織ドメインの定義・周知・更新である。その土台の上で、それぞれの事業機能を成長に合わせて再編成しつつ、事業領域の設定と管理を継続していくこと、そして、自社の活動を監査・評価・統治することが単一の事業を超えて組織が継続するために必要となる。

 たとえば、楽天は、上場企業となって以降、創業事業である楽天市場の拡大のみならず、銀行やトラベルなど周辺領域の事業を積極的に買収することで成長を遂げた。これは、PL(損益計算書)による成長からBS(貸借対照表)による成長に舵を切ることで、単一事業の成長を超えた企業価値の最大化を狙った動きであろう。

 SPEEDA事業で創業したユーザベースが NewsPicks事業に乗り出し、印刷事業で成長したラクスルが配送事業であるハコベル事業に乗り出し、フリマアプリで成長したメルカリが子会社のソウゾウでメルカリ アッテやメルカリ カウルに取り組むのも、単一事業の限界を超えて、企業としての持続的な成長を模索する全社戦略の取り組みといえよう。

 また、株式の上場を目指し、上場企業としての組織体制を整える過程で、その企業の方法論、組織文化、運営手法が次第にスタートアップ特有の特徴を持つものから、いわゆる大企業特有の特徴を持つものに変遷することも避けることはできない。

 株式上場以後も、新興企業は株式市場との対話を重ねる。組織は事業規模を拡大させ、多様な構成員によって運営されるようになる。この成長の過程で、新興企業も成熟企業へと転換していく。そして、既存事業の生産性を引き上げれば引き上げるほど、逆に新規事業に対する創造性は発揮しづらくなる。

 しかし、ある時点では、ふたたび創発的な戦略検討が必要になる。どのような事業であっても、変化を続ける事業環境に対して永続的な価値を提供することはできない。イノベーションが停滞し競争力を失いつつある成熟企業は、さまざまな手段を用いて探索のステージに回帰しようとする。

 現在 苦境に立つ大企業の多くも過去には新興企業であった。その時代を思い出し、現代の新興企業の戦略構築手法を学び、小さなところからでも まず実践することが、遠回りに見えるかもしれないが、実は近道なのではないだろうか。

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