不況に打ち克つために

 やはり、勤勉であることが大事であるが、それには、仕事だけではなく、私生活における自己形成という意味も含まれている。

 この勤勉さのもとにあるものは、「志」であるが、それは、世の中に対して、微力であっても何らかの愛の一滴を加えたいという気持ちである。

 この志は、仕事をしているうちに、だんだん出てくるものである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『不況に打ち克つ仕事法』でこう教えておられます。

「全般的に、業種を問わず、役職や立場を問わず、一般論として、「不況に打ち克つ社員学」というテーマで、今、言えることは何でしょうか。それを最も単純化して言うならば、やはり、「勤勉であれ」ということです。
 まず、「自分は勤勉かどうか」を問うてください。
 社員全体が勤勉な会社は、不況期でも熱気があり、元気であることが多いものです。一方、会社が傾いてくるときには、たいてい、怠け者が増えてきます。「手を抜いて仕事をそこそこにし、ほかのことをやり始める」「関心が会社の外にあり、遊びのほうに頭が行っている」などということが多く、会社の危機に気がつかない人が多いわけです。
 したがって、今、自分の置かれている立場がそれほど高いものでなくても、常に、全社的な問題や経営の問題に関心を持ち、いろいろなものをいち早く察知しようと努力すると同時に、自分の与えられた持ち場のなかで、勤勉な努力を積むことが大事です。
 その勤勉さのなかには、「仕事における勤勉さ」だけではなく、「オフ・ビジネス(仕事を離れた私生活)における自己形成という意味での勤勉さ」も含まれています。
 これが、不況期全般にわたってリストラされず、しかも、場合によっては、不況にかかわらず昇進していくための最低限の条件なのです。
 もちろん、この勤勉さに、熱意や情熱が伴っていることが望ましいでしょう。そうした「熱意を伴う勤勉さ」があれば、何とか切り抜けていけるだろうと思います。
 あるいは、これから会社がバタバタ潰れると思いますが、万一、自分の勤めていた会社が潰れたとしても、一定の期間を置いて、またどこかに転職しなければいけませんし、自分で会社をつくらなければいけなくなるかもしれません。しかし、「勤勉に働いた」ということに対する実績というか、自信のようなものが、次の活躍の舞台で生かされることがあるのです。ゆえに、熱意を伴う勤勉さを大事にしていただきたいのです。
 では、勤勉さのもとにあるものは、いったい何でしょうか。それを考えると、私は、やはり、「志」という言葉が思い浮かびます。古い言葉ですが、どうしても、「志」という言葉が出てくるのです。
 それは、「世の中に対して、微力であっても、何らかの愛の一滴を加えたい」という気持ちであり、大きな言葉で言えば、「人類の進歩にわずかなりとも貢献したい」という気持ちです。「世の中を少しでもよくしたい」という思いです。そういう志が、勤勉さのもとにあるのです。
 自分の持ち場はたとえ小さくとも、「そういう志があるかどうか」ということで、その人の未来は大きく変わっていきます。
 もちろん、「志が降って湧いてくるか」と言えば、そうではないでしょう。志とは、仕事をしているうちに、だんだん、出てくるものなのです。
 最初は、小さな志でもよいのですが、仕事をしているうちに、だんだん目覚めてくることがあります。「ある日、突如、天啓に打たれて目覚める」ということもありますが、やはり、「仕事をしているうちに、だんだん本気になってきて、熱意を帯びてくる」というのが、本当のところです。必ずそうなると思います。」
(79~82ページ)

 

「景気がよければ、人事査定が甘くなり、誰もがそれなりに定年を全うできるのですが、不況になると、「リストラ」と称して人員整理がかなり行われます。実は、経営層から見ると、不況期は、人材を、「本当に要る人材かどうか」という“ふるい”に掛けて選別し、鍛え直すチャンスです。これは、企業の調子が良いとできないのです。したがって、不況期における、いちばん正しい考え方は「人材教育」です。
 リーダーであるならば、自分の部下たちをしっかり教育することです。「今は、お客様が大して買ってくれない時期である」と思うならば、教育の時期であると考えて、しっかりと“仕込み”にかかることです。
 次の飛躍のチャンスを目指して人材教育をしておくことが、不況期においてはいちばん大事です。不況は必ず何年かで抜けるので、人材をよく鍛え込んでおけば、再び景気が軌道に乗ってきたときに、その人材が活躍し始めるのです。
(『朝の来ない夜はない』より)

 

「特に私が感じることは、「景気がよいときには、瞬発力のある『短距離ランナー』が有利であるが、不況期には、持久力のある『長距離ランナー』のほうが勝ちやすい」ということです。

言い換えると、「好況期は、直接的な努力が結果を結びやすい時期である」ということです。
 ところが、不況期は、そうではありません。不況期には、「直接的な努力ではなく、間接的な努力を積み重ねてきたかどうか」ということが問われます。
 不況だから改善するのではなく、好況でも改善を続けている会社。好況・不況にかかわらず、常に最高のものを目指し、努力している会社。そういう間接的な努力を長く続けている会社が、不況期には真価を発揮してきます。結局、不況期には、“枯れるもの”と“枯れずに残るもの”とが分けられてくるのです。」
(『朝の来ない夜はない』より)

 

「好況だったら、経営能力のよし悪しはあまり分かりません。
差がつくのは、本当に不況のときなのです。ここで経営能力があるかないかに差がつくので、

不況のときに強い企業は、もう好況になったらさらに最強になっていくのです。
要は、心構え一つなのです。環境が悪くなって、あるいは情勢が悪くなって、「不況だから、

もうこれは駄目だ」というように、だいたい企業の経営者はみんな、軒並みそういうふうに考えるのだけれども、不況が来たら「チャンスだ」と思わなければいけないのです。ここで徹底的に体質を強化しておこうと考えて、不況のなかでも伸ばせる企業をつくることに専念しますと、少々のことがあっても潰れないようなすごい会社ができるのです。
 要するに、「常勝思考的な経営」ですね、「常勝思考の経営」で、好調のときは謙虚にそのなかから成功の原因を探り、不調のときにはそのなかに何か鍵がないかということを一生懸命に探れば、大丈夫です。
(『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 発展・繁栄を実現する指針』より)

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