厳しい一倉経営学

 一倉定先生は、いわゆる「経営コンサルタント」という仕事を発明したと言われている。様々な企業で活躍した後、独自の経営理論で社長たちを指導。倒産間際の中小企業を中心に 5千件近くを再建させた。この危機突破の方法が一般に「一倉経営学」と呼ばれる。一倉先生は空理空論を嫌い、その指導内容は実践的で具体的。そして、とにかく厳しい。

 経営者に必要なのは、会社を社会のため従業員のために何としても存続発展させる という使命感であり、さらに人生観と宗教観といった哲学が要ると、一倉先生は言われています。京セラの稲盛和夫さんは得度しましたが、そこまで行かなくても、自らの軸を持つために特定の宗派というものではなく、定期的にお祈りを欠かさない人など、宗教観を持っている経営者はとても多い。

一倉先生は、業績の良い会社の社長は神仏をとても大切にしている という話も講義でしています。

 「資金が4ヵ月続けば、基本的にはどんな会社も再建できる。けれど、どうしても立て直せない会社が3つある」とも言っています。それは、第一に「数字を見ない社長」。第二に「お客様のところに行かない社長」、第三に「社員の批判ばかりする社長」です。

 

郵便ポストが赤いのも社長の責任

 そんな一倉氏が強調していたのが、経営に対する社長一人の責任である。社長の意識改革が企業再生の最重要課題として、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である」という有名な言葉を残した。

どんなことが起きても すべて社長の責任。「結果に対する責任は社長が負う」という意味です。「コロナが原因で売り上げが落ちた」と言い訳をすれば、一倉先生は大声で怒ったのではないかと思います。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。「社長の責任において決定する」という意味は それだけではない。「社長が知らないうちに起ったこと」でもすべて社長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならないのだ。(「一倉定の社長学 第6巻 内部体勢の確立」)

 

民主主義の経営は失敗する

意思決定は次元が高くなるほど、下部のものの意見を取り入れることは避けなければならない。経営は民主主義ではない。民主主義をとったら、その会社は十中八九はつぶれる。多数決は衆愚につながるからだ。 すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営者の頭から生まれるのだ。(『社長の条件』P-228)

一倉先生は、こう述べて、重大な決定ほど社長一人で決断することの大切さを強調している。

社長の役割とは、ひとことで言えば「決定を下す人」である。特に、「勝ちパターン」が陳腐化しやすい現代では、その重要性が増している。革新的な決定は、危険であるだけでなく社内の抵抗や批判も多い。だから、社長は勇敢に、潜在する可能性に取り組んでいかなければならない。危険を恐れてはならないのです。

凡庸な社長は危険を理由にして決断を避けようとする。幹部や人の意見を聞くなどという、一見すると民主的なことをしがちなのです。
 将来への可能性は、それが革新的であればあるほど、危険も大きい。危険を伴わない決定など、会社の将来に大した影響のない次元の低い決定なのです。

たった一人で会社の未来を左右する決断を下す。その孤独に社長は向き合わねばならない というのが一倉先生の考えです。

 

「穴熊社長」が会社を潰す

 多くの社長は、会社が赤字になっても、景気のせいや、社員が怠けているせいだと考える。そのため、ピンボケした対策を打ってしまう。

 しかし、幸福の科学大川隆法総裁は、「『傾いている赤字会社、あるいは倒産寸前の会社の場合は、まずはお客様のところを回りなさい』というのが、一倉さんの経営理論です」と述べた。

外に出てお客様の話を聞けば、「なぜ自社の製品やサービスが利用されないのか」という耳に痛い話や、社員の態度への不満など、普段は聞くことのできない情報が入ってくる。そこにこそ、赤字の理由が隠されている。

 一倉先生は、現場に足を運ばず、社長室にこもってばかりいる社長を「穴熊社長」と呼んだ。これが会社を潰す理由だという。

 

経費節減よりも、よいものを売れ

 大川隆法総裁は、こうした「穴熊社長」がやりがちな失敗を様々に指摘された。

「売上を上げて、経費を落とせば、明らかに効果は出ますが、長い目で見たときには、『経費節減だけをずっとやり続けると、悪いものが出始めるので、客が離れていく』ということが起きてくるわけです」と語った。経営危機にある企業においても大事なのは、「よいものを適正な値段で、きちんと売ること」だという。

 社長が外に出てお客様の声を聞き、自分たちの商品やサービスが、本当にお客様のためになっているかを知ることが不可欠だと分かる。

 参考

社長というのは、新規事業について部下のアイディアを論評する立場ではない。

社員にまかせても良いような 新事業は、はじめから「わが社の将来の収益」など 期待できないし、新事業というものは、第一に、社長自ら身を挺してやるものだ。世の中の社長の中には、新事業に自らはたずさわろうとせず、他人まかせにする人がかなりいる。難しい新事業は他人に任せ、自らは永年手慣れた事業の方をみている。やさしい方を自分がやり、難しい方を他人にまかせるとは、いったい、どういう了見なのだろうか。成功など夢の夢である(一倉定の社長学 第4巻 「新事業・新商品開発」)

「外部環境のせいにするな、すべては経営者の責任だ、が口癖で、値段を値切られるのは、 値切られるほうが悪い。お客様に少しでも恨み心がでたら、もう、そのお得意先に誠意をつくすことはできないのだ。」とまで断言する(「経営の思いがけないコツ」)。

 

社長の社会的責任とは

一倉先生は、「会社は絶対につぶしてはならない。いつ、いかなる場合にも利益をあげて存続させなければならない。これが経営者の最低限度の社会的責任である。そこに働く人々の生活を保障するという社会的責任がある」と説くと同時に、「とにかく食っていければいい」「もうこれ以上大きくしない。小ぢんまりやるのが私の主義だ」という考えの社長には警鐘を鳴らしている。

経営者の使命感を土台にした未来像のないところに経営はなく、繁栄はない。すぐれた企業は必ずすぐれた未来像をもっている。

繁栄とは、社会がその会社を必要としている何よりの証拠なのです。

ただし、未来像を描くうえでチェックしなくてはならないのは「今のわが社の業界の将来はどうか」ということである。もしも、斜陽化の兆候があるようなら、成長業界への転身を図らなければならない。早く兆候を発見し、早く転身しなければ手遅れになる。長期的な将来を見通し、会社を誤りなく導くことが経営者の役割なのである。

責任はすべて社長にある

 一倉先生は中小企業を中心に指導したが、大川隆法総裁は、倒産間際の状態は大企業もほぼ共通しているとし、「倒産の原因の一つとしては“穴熊社長”で、全然現場を見ていない人がいます」と指摘。

 売れなくなった理由はすべてお客様が知っているので、業績悪化の折には、社長は顧客回りをする必要がある。しかし、内部管理を社長の仕事だと勘違いしていると、部下からの報告だけを信用して社長室に籠り、本当の原因に気づかないことが多い。

「顧客第一主義」も、ともすれば自社の都合の押し付けになることが多いため、市場に厳しいサービス合戦があるのは良いことです。

 大川隆法総裁は、終始、企業を立て直すには、社長の意識改革が不可欠であり、社長に全責任がかかっていることを強調した。

 危機突破の経営には、勉強と実践によって鍛え抜かれた厳しさがある。

参考

ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのである。すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負う者が決定するのが当然である。(「一倉定の社長学 第1巻 経営戦略」)

 

社長のお客様訪問

著書『経営戦略』には、不況期の戦略として具体的にこう書かれています。

「不況期の苦しさの中から、我が社はどこが間違っているかを見つけ出すことから始めるべきである。それにはどうしたらよいだろうか。それは唯一、そして最良の方法がある。お客様回りである。お客様のところを回って回って回り通すことによって見つけ出すことができるのである」

お客様回りを3回強調するように、一倉理論の根幹は「お客様第一主義」です。著書『新・社長の姿勢』には、「社長の正しい姿勢こそ、正しい経営の基礎である」とあります。そこでも、正しい経営の基礎とはお客様の変化を知る「市場活動」を行うことであるとされ、お客様第一主義が尊ばれています。

先生は自身が勤めていた会社が4社倒産し、家族を路頭に迷わせたことを身をもって経験しました。その会社の社長は市場の変化をよく見ず、社内の管理に意識を向けていたのです。

「市場活動はお客を取り合う戦争」です。「戦争をやっているのに、内部管理をやっている暇などない!」という考えが一倉理論の前提にあり、コロナという敵と戦わなければ会社は生き残れません。にもかかわらず、人を大切にすれば何とかなるという”甘い経営”を勧める本があまりに多い。

「事業経営とは、『変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえる』ことである。」という考え方から導かれている方法論です。
 この事業経営の結論から出てくる大事なことは、「顧客の要求とは何であるかをつかむこと」です。これが第一です。
 そして、顧客の要求は変わっていくものなので、それを注意深く観察し、見きわめていくことになります。
 これをするために、社長は自らお客様のところに訪問するのです。
 社長が会社の中にいてもお客様の要求を正しくつかむことは不可能だという考え方です。
 また、一倉先生は、訪問の目的は売込みではなく、「顧客確保」であると述べられています。
訪問を売込みだと考えると、お客様との人間関係を無視してしまうため、あくまでお客様のご要望やクレームをお聞きして、人間関係をきちんと築くことが大切になります。
 一倉先生の販売に対する考え方の特徴は、「自分で売る」というものです。「いつ、いかなる場合にも、自らの商品は、自らの手で売らなければならない」(『一倉定の経営心得』)と書いておられます。
 当たり前の言葉のように思われるかもしれませんが、例えば自社の製品を問屋に丸投げしているという会社は多いのではないでしょうか? あるいは、販売代理店に販売を任せているという会社もあるでしょう。スーパーや小売店に行かずに、問屋にだけ訪問しているという会社もあるかと思います。

一倉先生は「蛇口戦略」を勧めています。
「蛇口」とは、水道の蛇口からの例えですが、小売店や購買窓口を指します。要するに小売店に定期訪問をするのです。
なぜこういうことをするかというと、市場、すなわち、お客様の要求がつかみやすいという

点。それと、中間業者、卸問屋はあくまで自分たちの会社のことを考えるので、貴社のことを考えて商売をしているわけではないという点です。中間業者、卸問屋は「よく売れる製品、商品」を扱いたいのであって、貴社の製品をしゃかりきに売ってくれるわけではありません。
 小売店を回るなんて、そんな人員も手間もかけられないという意見もあるでしょう。それに対しては、蛇口の数を増やすのではなく、口を大きくし、水をだしっぱなしにするという例えを一倉先生は書いておられます。
 蛇口の数は少なく、1件の売上を増やすという発想です。
 また、会社の生死を握っている販売活動をしない社長は、社長失格であるとも言われています。
 間接部門の人員を営業に移動させて,営業の人員を増やすのも一つだと思います。

 

天動説から離れよ

良い社長はどういう人物でしょうか。

「社長の正しい姿勢こそ、正しい経営の基礎である」という原則から言えば、社長の正しい姿勢は二つ挙げられます。「お客様の要求を満たすこと」、そして「社長の考えを経営方針書として従業員に示すこと」です。一倉語録には、「己をむなしゅうして、お客様のために尽くす」「会社の真の支配者はお客様」といった商売の基本に立ち返ることが強調されています。最高責任者がお客様第一主義に徹し、従業員にもそれを理解させることが、トップの正しい姿勢なのです。

悪い社長はどうでしょうか。

先生は、自分を中心に世界が回る「天動説」と呼んでいますが、”自己チュー”が悪い社長の条件です。社長が外に出なくなり、意識を内部管理に向ければ、自分たちさえよければいいという自己チューを社内に量産します。

天動説から抜け出すには

社長の姿勢として心を入れ替えるには環境整備が重要です。著書では、「環境整備こそ、すべての活動の原点である」と書かれ、仏陀の有名な弟子である周利槃特が紹介されています。周利槃特は掃除を通して、心の中にある塵や垢を取り除くことが大事であると悟った人物。それが示すように、毎日の環境整備によって「素直な心」を取り戻すことが天動説から離れる方法です。

事業が傾く段階になっても、「あなたの心を変えることができるか」という点が社長の器として問われるわけです。

最近、デジタル社会やテレワークなどが流行しています。とはいえ、社長が社員をどれだけ惚れさせるかが大事であり、それは人の温もりを通してでないとなかなか伝わりません。

一倉先生は「社員の第二の人生まで心を配る社長は名社長である」という言葉を残しています。社員の御霊を社内で祀ったり、定年後の社員が仕事を続けられるように別の事業を立ち上げたりする会社があります。例えば、中華料理チェーン「日高屋」は、高齢で体が動きづらくなった従業員のために、手だけを動かして働ける焼鳥屋を始めました。社員が社長と共に戦友として死にたいと思わせられるか。先生が求める理想的な社内関係はそこまでいくのです。

参考

よい会社とか悪い会社とかはない。あるのは よい社長と悪い社長である。「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社のあり方であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。(「一倉定の社長学 第9巻 新・社長の姿勢」)

 

天動説から地動説へ

 お客様がわが社の商品を買ってくださらなければ事業は絶対に成り立ちません。経営者は、従業員の給料を自分が払っている気分になりがちですが、実際に従業員の給料を払っているのはお客様です。経営者をはじめとする役員の報酬を払っているのも、当然お客様です。

 お客様は、経営者にとって神様であり、上肢です。ときとして移り気で気まぐれですが、絶対的な.存在であり、歯向かうことは許されないのは無論、機嫌を損ねただけで わが社をいとも簡単に潰すことができます。ですから、何があっても、お客様の要望に合わせて、経営者自身とわが社自体を絶えずつくり変えていく必要があります。

 にもかかわらず、ヒット商品をいくつか出して、経営者としてある程度成功してくると、世の中はわが社を中心に回っているように感じ始めます。「何をやっても成功する」「何もしなくてもお客様は来てくれる」「あっという間に売り切れて品切れになる」、こういう状況が続くと、いつの間にかお客様への感謝を忘れて、「売ってやっている」と考えるようになります。仕入れ業者には「買ってやっている」という態度を取り始めます。

 一倉先生は、このように「世の中はわが社を中心に回っている」という考えを「天動説」と呼んで厳しく戒めました。

 「天動説」の人は、世界の中心は自分だと思っているため、得意先回りなとしません。部下を動かし、客を動かし、世の中を動かしているつもりになっています。

幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「よく言われるのが、「地動説・天動説」のたとえです。地動説は、「地球が太陽の周りを回っている」という説であり、天動説は、「太陽が地球の周りを回っている」という説です。そして、経営的に失敗し、自滅していく経営者のほとんどが後者の天動説型の人なのです。

社長には「自慢する」という天狗パターンの人が多いと言えます。確かに、一定の地位を築いたことや かつて実績を出したことは認めます。ただ、時代が変化したり、人々の欲するものが変わってきたりしたときに、その流れが読めずに、いつまでも「わが社はこれでよいのだ」と言い切り、自分の考えを変えない人がわりに多くいるのです。これが天動説型の人です。

こうした「わが社が世界の中心であり、世界はわが社の周りをぐるぐると回っている」と思っているような、いわば頑固なワンマン型社長の経営する会社が潰れていく時代に入っていると考えてよいでしょう。

常に、世間の流れやトレンド、お客様の好みの変化等を捉えていくことが大事です。「わが社の製品は日本一です」と自慢しているたけでは駄目なのです。」(『不況に打ち克つ仕事法』P-242~243)

 

会社の支配者はお客様である
わが社の技術を第一に考える。社員の管理が最も大切だと思い込んでいる。能率とコストと

品質だけで経営がうまくいくと信じている。自分の好みをお客様に押し付けようとしている。会社の収益はお客様によって得られるのであり、そのお客様は、自分の要求に合わない商品は買わない。

 

わが社の赤字は お客様を忘れたのが原因である
会社の業績が振るわない根本原因は、必ず社長がお客様の要求を無視しているからであり、

お客様を無視する会社は、お客様から無視される。

経営戦略とは、『戦わずして勝つ』あるいは『戦わずして優位に立つ』ための事業構造の変革であり、それによって自然に高収益を生むことができるような体制を実現することである。
 経営戦略は、常に先手をとることによって大きな効果を発揮する。

市場の全ての要求を満たそうとすると、全ての要求を満たせなくなる。お客様が望むのは、全ての品が揃っていることではなく、自分の買いた品が豊富に揃っていることである。

理想的な経営構造は、『工場を持たないメーカー』である。
設備を持ち、材料を買って加工をするという形は、それが自社商品であれ、下請け加工であ

れ、その本質は工賃稼ぎである。
それよりも、設備は一切持たず、自らは強い営業力と優れた事業開発力を兼ね備えた『頭

脳集団による経営』こそ賢明である。

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