組織に定形はない

“一倉節”の特徴は、一般論では是として語られていることの多くを、小気味良いほどバッサリと否定したことです。

たとえば、「組織論」についてはこうである。世の中には、「組織とはこうあるべき」という定形の理論がある。だが、一倉先生は「組織に定形はない」と断言。その根拠として、以下のような従業員400人ほどの会社の例を挙げる。

その会社は、親会社からの値下げ要請により、赤字転落の間際に追い込まれていた。危機打開策の一つとして掲げたのが、生産部門の合理化だった。合理化にあたり、現在の生産部長では力不足であると判断した社長は、彼を異動させ、自ら生産部門の陣頭指揮をとる。その結果、みるみる合理化が進んだという。しかし、上手くいっているにもかかわらず、「そうした特定の目的のために一時的な組織を作ることは、組織論上は適切ではない」「社長の個人的な力で事態の改善を目指すのではなく、組織のかたちを整えることで改善を目指すべきだ」という批判を受け、社長は組織を元に戻し、別の生産部長を選任。しかし、生産部門の生産性は低下し、再び業績の足を引っ張った。

この例からわかることは、次の通りです。

理想的な形態の組織をつくることはやさしい。しかし、そこに人をあてはめることは容易なことではない。人が不適任であったなら、組織はいくら りっぱでもなんにもならない。(P.97)

重要なのは、組織論を型どおりに実行することではなく、自社の実情に合った組織の形を考えること。それが一倉先生の考え方なのです。

さらに、「組織はバランスのとれたものでなければいけない」という通念にも、一倉先生は異を唱える。一般的に、企業には収益性や安全性、資本効率性といった評価指標がある。そして、こうした指標において、バランスの取れた評価を得ることは一見正しいことのように映る。ただ、先生によると、成長する企業は組織面だけでなく、さまざまな面で「バランスを破って」前進しているのだという。つまり、アンバランスこそが成長途上の姿というわけである。

その点については先生はこう指摘する。「見かけ上の八方美人的組織では、激しい競争に勝ちぬくことはできないであろう。よい組織とは、バランスのとれた組織ではない。目標を達成するために、重点に力を集中した、あるいは集中できる組織である」(P.100)と。全国をくまなく歩き、多くの再建企業を見てきた実体験を持つからこその考察である。

そして、これは社長や経営者のみならず、チームを率いる立場の者であれば誰しもが参考にしうる考察であろう。

 

「権限の委譲」がない企業は前進しない

企業経営においては、部下に業務上、何かを決定できる「権限」を与える代わりに、その結果に対する「責任」も負わせるというケースが多く存在する。これは「責任と権限が等しくなくてはならない」という考え方に依拠する。

しかし、一倉先生は、そもそも責任と権限を「等しい」とはかる物差しは存在しないと訴える。さらに、日常の社会生活においては、ほとんどの場合で「責任」のみが重く、「権限」はほとんど存在しないとも。例えば、親が子供を教育するケースがそうである。親は子を育てる責任を持つが、それに見合う権限を特段持たない。会社のケースも同様で、社員はある特定の業務において、権限がなくても責任を果たす必要がある。「責任」と「権限」は決して等しくはないのです。

また、組織において、上司から部下へ、責任と権限をどのように委譲するかも問われる。先生いわく、まず重要なのは、責任と権限が等しくない以上、部下が定められた責任を果たすこと。そのうえで、権限が必要になれば、部下側から上司を説得して「獲得」すればよいという。

上司にとっては、部下へ権限を委譲することで、前進するための考察の時間を得られる。社長も、同様に、部下に仕事を任せることで、企業の成長に向けた考察の時間を生み出せる。そのように、「順々に上から下への権限の委譲があって会社は前進できる」というのが 一倉先生の主張である。

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