「ウォーナー伝説」

 「作られた神話」の中で白日の下に晒さなければならない「虚構」がある。

 「古都京都のさまざまな歴史文化遺産は、アメリカ軍の配慮により、戦争(空襲)の惨禍を免れ、戦後に無傷のままで残すことができた」と言われる”作り話”である。この”物語”は、結構、人口に膾炙し、歴史教育の副読本などにも掲載され、感謝の記念碑が全国各地(法隆寺、鎌倉市等)に建立されたが、実はこれが「戦争直後に作られた全くの虚構」であったことが、その後の研究者の努力によって明らかにされた。 

 この物語は「ウォーナー伝説」と言われていて、「アメリカ人考古学者・ウォーナー博士が、アメリカ政府・軍に働きかけて文化財の多い京都や奈良を爆撃から救った」とされるものです。

 実際に起きたことは、終戦直後の1945年9月に日本の関係者がGHQ(占領軍)に呼び出されて、情報操作の一環として「ウォーナー伝説」なるものを占領軍から示達され、それを美術評論家の矢代幸雄に伝えたところ、11月に同氏の署名記事として朝日新聞に掲載されて”美談”が全国に流布された。

 後に機密解除されたアメリカ政府(米軍)の当時の内部資料によると、事実関係は全く異なっていたのです。

 サイパン島が陥落して B29による本格的な本土空襲が始まったのが 1944年(昭和19年)11月。当初は軍事施設等への精密爆撃中心の戦法だったが、あの悪名高きルメイ少将の着任1945年(昭和20年)3月上旬と同時に方針が転換されて、大都市民間人(婦女子)への無差別爆撃中心の戦法に切り替えられた。その直後の3月10日に10万人以上を虐殺した東京大空襲が起きる。

 それからほどなく原爆投下の目標都市が選定されて、その第一候補は京都になった。その時点では、広島は「地形が不適切」ということであくまで第二候補であり、長崎に至っては「爆撃に適さない」という軍の反対により選外だった。

 小倉(第四候補)、新潟(第五候補)のほかに、初期の段階では横浜(第三候補)の優先順位が高く、横浜への原爆投下は間一髪であったのです。

 なぜ京都は通常爆撃を免れて無傷で終戦を迎えることができたのでしょうか。それは、「新型爆弾の効果を正確に測定するために、事前の通常爆撃を禁止して、保存状態を良くしておくこと」という命令が出されていたからに他ならない。

 米軍が京都を選んだ理由は、「日本人にとって重大な宗教的意義を持った重要都市であり、これの壊滅によって日本人に最大の心理ショックを与え、抗戦意欲を挫折させることができる」というものでした。これに対して、陸軍長官のスチムソンが、「そこまで無茶をすると、日本人を激昂させてソ連の方に追いやることになり、戦後アメリカの統治に著しい不利益を与えることになる」として反対し、ようやく原爆投下直前の7月下旬になって京都が第一目標から外されることになったのです。8月の広島への原爆投下直前まで第一候補の京都への通常爆撃が禁止されていたので、その結果、効果測定用に保存されていたため無傷で済んだというのが歴史の真相なのです。つまり、文化財の保護とは何の関係もなかったのです。

 国際法の常識に従えば、1941年7月にアメリカが日本に対して下した全面的経済制裁(在米資産の凍結、石油輸出の完全禁止等)は、「戦争状態への突入」と全く同じである。戦争は同年12月8日、日本の手によって始まったのではなく、7月26日にアメリカの事実上の「宣戦布告」によって始まったと言ってよい。

 幸福の科学大川隆法総裁の著書『フビライ・ハーンの霊言』を読めば、「”ルーズベルトの魂”が『愛の教えキリスト教』の敵であり、イエスの敵であり、従って、キング牧師の敵であり、リンカーンの敵であり、人種差別と戦った心ある白人の敵でもあった」ことが、やがて世界中の人々の前で白日のもとに明らかにされることが分かる。

 ルーズベルト問題は単なる先の大戦の「歴史認識問題」ではない。

 「キリスト教とは何だったのか」という全人類にとって避けて通ることのできない究極のテーマなのです。

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