靖国神社

天皇と靖国神社の歴史

 靖国神社は、明治天皇が「国のために命を捧げられた御霊」を祀るために創建された神社であり、皇室と深い関わりを持った勅祭社です。

 明治天皇は、明治2年、明治維新において吉田松陰、坂本龍馬など命を捧げられた方々の名を後世に伝え、その御霊を祀るために、東京九段の地に「招魂社」を創建されました。明治12年、社号が「靖国神社」と改められ現在に至っています。

 靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争等に際して、国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られております。その数は246万6532柱に及びます。

 昭和天皇の御製(天皇陛下の和歌)「国のため いのちささげし 人々を まつれる宮は ももとせへたり」(靖国神社百年祭)からも、陛下の英霊に対する思いが深く伝わって参ります。

 靖国神社は天皇陛下が御親拝される特別な神社なのです。

 戦後、GHQが靖国神社を焼き払って、ドッグレース場を建設する計画を立てていました。しかし、ローマ教皇庁代表ブルーノ・ビッテル神父は、マッカーサー司令官に対し以下のように進言し、靖国神社を焼却から守りました。  

「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。

 もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残る。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相いれない犯罪行為である。

 我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることである。」

 

三木武夫氏による「亡国のパフォーマンス」

 ところで、靖国参拝が政治問題になったのは、内閣総理大臣となった三木武夫氏(首相在任期間1974年~1976年)による参拝以降です。

 昭和50年、三木氏は戦後初めて8月15日に靖国神社に参拝しました。三木氏は、反田中政治の旗頭であった青嵐会の支持を得ることを主たる目的としたパフォーマンスとして、「8月15日」に靖国参拝を強行しました。しかしながら、三木氏は、自分の信念とは反対の行為であったために、国民やマスコミに対して、「私的」に参拝したので全く問題がないという言い訳をしたのです。このようなパフォーマンスと言い訳が、後々まで靖国参拝が「政治問題化」する大きな火種になり、それ以降、靖国参拝について「公的か」「私的か」が問われることになりました。

 これまで恒例行事として春秋の例大祭に靖国への御親拝を続けて来られた昭和天皇も、昭和50(1975)年の行幸を最後に、御親拝を控えられるようになりました。これは、三木氏が「私人」として靖国参拝をしたことを機に、天皇の御親拝が「公的」か「私的」かが問題になったためです。

 また、中国や韓国から、「軍人を祀ることは、侵略戦争を肯定することだ」と矢のような批判が飛んで来るようになったことも、御親拝中止の一因となっています。

 代々の政権は、中国や韓国による靖国参拝批判についても、「内政干渉である」と一蹴することができない「弱腰外交」を続けて来ました。

 更に、「村山談話」「河野談話」によって、「先の大戦が侵略戦争である」といった歴史認識が強まったことも、英霊を祀る靖国神社への御親拝の妨げとなっています。

 今の日本では、英霊が本当の意味で大事にされているとは言えない。英霊の顕彰とは、彼らの犠牲を悲しむことだけではない。彼らの行為を国民の誇りとし、彼らの犠牲を後世に模範として伝えることである。 そうすることによって、英霊の犠牲は国民全体の神聖なる遺産となり、国民の道徳観も養成されるのである。  天皇陛下の御親拝は、首相の靖国参拝とは比べ物にならない重要な宗教的意味合いを持っているのです。

 天皇が常に国民の幸福を祈る「日本の祭り主」という御存在であられるが故に、首相による参拝とは重みが全く違うのです。

天皇陛下が靖国にご親拝されない日本の現状

世界が大絶賛した教育勅語

 A級戦犯が合祀されたのは1978年であるが、中韓はそれ以降しばらく歴代首相の参拝に抗議などしてこなかった。今のような批判を展開するようになったのは、1985年に朝日新聞が当時の中曽根康弘首相の参拝をくり返し批判するようになってからです。つまり、「靖国問題」は、日本の左翼マスコミが作り上げ、中韓がそれを外交カードとして利用してきたという構図だったのです。

 左翼マスコミや中国・韓国は、「先の大戦は日本の侵略戦争であった」という「自虐史観」を前提に、「軍人を祀ることは、侵略戦争を肯定することだ」「A級戦犯を祀る靖国神社への参拝は軍国主義の復活だ」という批判を強め、靖国参拝阻止の動きを見せています。

 靖国神社は慰霊のために造られたものであり、参拝は宗教行為である以上、靖国をめぐる議論は、もっと根本的に宗教の観点から考える必要がある。

 幸福の科学の霊査によると、先の大戦で亡くなった日本兵の霊で、いまだに地上をさまよっている不成仏霊は多い。無念を残して地上に留まり、苦しみの中にある諸霊をいかにして供養するかを考えなければならない。そのための慰霊は救済行為であり、本来他国の意向などまったく関係のない話である。戦没者たちの霊を救うには、やはり名誉の回復が必要になる。

 多くの人々が「先の大戦は侵略戦争であり、先祖たちは犯罪者だった」と信じている現状では、英霊たちも浮かばれまい。

 現代を生きる私たちは、日本が戦ったのは自衛のためであり、当時、欧米列強に植民地支配されていたアジア諸国を解放するという大義があった事実を、世界に広めなくてはならない。

 

天照大神の神示

 天照大神が特に強調されたのは、自虐史観の問題であった。天照大神は、先の大戦について、次のような歴史認識を示されました。

 「先の大戦では、アメリカに敗れはしたけれども、日本がしようとしたことのなかには、『欧米が、この五百年間つくってきた白人優位の思想、有色人種迫害の思想を打ち砕く』という目的が入っていて、この目的自体には、聖なる戦い、ジハード、聖戦と同じ意味合いが、きちんと入っていたのです」

 大航海時代から、欧米列強はアジア・アフリカ地域での植民地争奪戦にいそしみ、現地の資源や住民を搾取した。「白人は有色人種よりも人種的に優れている」という「白人優位思想」のもとで、欧米諸国は現地の人々を人間としてさえ扱わず、その結果、奴隷貿易や虐殺などの蛮行が繰り返された。

 そうした中で、明治維新で近代化を成し遂げた日本は、アジアの覇者として台頭し、欧米に蹂躙されたアジアを解放すべく立ち上がった。日露戦争での勝利は世界に衝撃を与え、アジア・アフリカでは、「自分たちでも白人に勝てるかもしれない」という独立への希望を与えた。また、日本は、1919年に新たに発足する国際連盟の規約を決めるパリ会議で、規約に「人種差別の撤廃」を明記するように提案。国際会議の場で人種差別の撤廃を明確に掲げたのは、日本が初めてだった。

 その日本は、「アジア解放」を掲げ、大東亜戦争の緒戦で欧米列強を蹴散らし、東南アジアの国々を次々と解放した。その結果、大東亜戦争が終わった後に、アジア各国は次々と独立を果たすことになる。日本の戦いは、アジア解放の聖戦という意味合いがあった。

 そうした観点から考えると、先の大戦を戦った日本軍軍人は、無謀な戦争で日本を焦土にした「戦犯」ではなく、「尊崇すべき聖戦の勇士」ということになる。先の大戦の意義を見直すよう諭された天照大神は、次に靖国神社の問題についてもご見解を述べられた。

 「国民が選んだ首相であるならば、わが国の英霊をきちんと祀るべきであると思いますし、首相だけでは足りず、天皇陛下も、きちんと靖国神社に行き、先の戦争で亡くなられた英霊に対して、心からの感謝の思いを伝えるべきであると思います

 国を守るために戦った英雄たちを追悼するのは、各国の責務であって、他国に口を挟まれる筋合いはない。特に、アジア解放のための尊い戦いに挑んだ英霊たちに感謝を捧げるのは、子孫として当然のことです。皇室の本来のあり方からして、天皇陛下こそ靖国神社に参拝する必要があると言える。天皇陛下は、日本神道の主宰神であられる天照大神の血筋を引く日本神道の神官の長であり、宗教的な追悼の役割を担うべきです。また、英霊たちが「天皇陛下のために」と、心からの信仰心で大東亜戦争に挑んだ事実を考えれば、天皇陛下が参拝されれば英霊たちにとって、どれだけの魂の救いになるか分からない。

 われわれ日本国民は、遥か高天原から降ろされたこうした天照大神の神示を真剣に受け止めるべきである。謹んで改心し、人気取りではなく、「神の心を地上に実現し、国民の幸福を目指す政治」へと改めなければ、さらなる国難がこの国を襲うかもしれない、と天照大神は警告しておられました。

 そして、当時そして、日本のトップだった東條英機首相の霊言が収録された。東條首相の霊は、当時の米国人が日本人を黒人と同じように人種的に差別していた問題を指摘し、原爆投下についても、「落としたから戦争が早く終わったのではなくて、実は、実験したかったので、それまで戦争を終わらせなかったというのが真実」と語気を強めた。

 また、従軍慰安婦や南京大虐殺について話が及ぶと、東條首相の霊は涙ながらにこう訴えた。「絶対にあんなことはなかった。日本軍人のモラルの高さは、世界最高水準だったんだ。私は地獄の悪魔扱いされても構わないけど、『日本軍人が、規律を乱して略奪・暴行を繰り返すような軍隊だった』ということは、絶対に、絶対に認めない! 私を永久に呪っても構わないけど、日本のために戦って死んだ三百万の英霊を祀ることぐらい、(日本人の)義務ですよ!」

 

靖国参拝の宗教的意義  

 靖国参拝の宗教的意義について、幸福の科学大川隆法総裁は『平和への決断』にて次のように述べています。

「靖国神社は戦前からありましたが、先の戦争のときには、「戦死したら、靖国で会おう」とか、「無駄な死に方をしたら靖国に祀ってもらえないのではないか」とか、死後に靖国神社に祀られるかどうかを、みな、非常に気にかけていました。そのように、軍人には、あの世を信じている人が多かったのです。「靖国に祀られる」という約束事で戦った人たちが大勢いるため、その約束を果たす意味でも、供養してあげなければいけないところはあると思います。実際、亡くなった人のなかには、天国に還っている人や、すでに生まれ変わっている人も、かなりいます。しかし、いまだに成仏できていない人が数多くいることも事実です。この人たちを供養するためには、もう一段、きちんとした霊界知識や宗教心を持って、国のレベルで弔う必要があります。英霊の慰霊のためにも、多くの国民が靖国神社に参拝すべきであり、安倍首相がその先頭に立ち、信仰心を持って靖国神社に参拝し、英霊との約束を果たすべきです。」

 

首相の靖国参拝

 首相等の靖国参拝は、憲法の政教分離規定に違反するものではない。というのも、首相が靖国参拝しようとも、国民の入信、改宗や参拝などの「信教の自由」は侵害されていないからです。懸念すべきは、厳格な政教分離を追求しすぎて、制度が本来守るべき「信教の自由」の価値が失われることです。

 8月15日の首相の靖国参拝は、300万の尊い英霊に感謝と敬意を捧げると共に、日本の誇り、先人への敬意を取り戻すことであり、日本復活への端緒を開くこととなるのです。

 1952年のサンフランシスコ講和条約発行以降、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」により、戦犯にされた人々の名誉は回復している。また、恩赦には東京裁判に参加した各国も合意しており、もはや存在しない「A級戦犯」を理由に批判される謂れはないのです。

首相の靖国参拝

 終戦記念日に首相や閣僚が行ったとか行かないとか、日をずらして行くとか、形だけやっているようでは話にならないかもしれません。

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