転生輪廻と病気

 精神科や心療内科を受診する人は、一般に家族関係が平穏でなかったりすることが多い。子供の頃に親から虐待を受けていたりします。

 どうしてそういう親の元に生まれたかについては、唯物論的な考え方では説明がつきません。「なぜか私だけが、こういうひどい環境に投げ出された」という、実存的な考え方ぐらいしかできないと思います。

 そういう場合に「転生輪廻」の考えを伝えて、「それは、自分が前世で解き終えていない問題を解いて魂を鍛えるために、自分で選んで生まれてきた環境であり、互いに約束して生まれてきた家族関係なんですよ」というところを理解していただきたいのです。そうすると見方がガラッと変わり、それまでの親への恨みつらみが、「実は私の魂を鍛えるために、一つの菩薩行として、そういう役回りをしてくれていたんだ」という感謝に変わります。そのように患者さんの心や価値観が変わると、それまでの親子関係がウソのように一気に変わることがよくあります。何年も途絶えていた親子の連絡が始まったりするんです。

 ガチガチの唯物論者みたいな人でも、「世界では前世療法や臨死体験が当たり前に科学的に研究され、証明されています」と、エビデンス(証拠)や数字を挙げて説明していくと納得されることがあります。そんなものは信じないという人は、最新の情報を知らないだけだと思います。

 霊的な真実は、今の科学理論で説明できないだけであり、脳波の測定法や実験法が進化すると、どんどん証明されていくと思います。ですから、唯物論的な人は思い込みであり、「認めたくない」だけなんです。

 スピリチュアルな医療を確立するためには、そういう科学的なものに加えて、疫学研究のように、一般の人が理解して感動するような臨床経験も組み込んでいく必要があります。科学か臨床、医学か医療のどちらかに偏ることが多いので、学問的なものと医療がリンクしながらやる必要があると思います。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『不成仏の原理』で「肉体の治療は医者がしてくれますが、死後のことについては医者には分からないのが現状です。治療自体は、たいてい唯物的になされています」と、唯物的医学の限界を指摘している。また、霊を認めない精神医学の無力さについても以下のように説かれております。

「霊的なものを見たり聴いたり感じたりすると、現代的には、すぐ病気にされ、精神疾患として、『統合失調症だ』などと言われます。(中略)しかし、幻覚や幻聴ではなく、本当に霊が見えている場合や霊の声が聞こえている場合があるのです。ところが、『それを治す方法がなく、家族が迷惑するので、隔離している』というケースも多く、この場合には、本人をなかなか救い切れない面があるのではないかと思います」

 医学が霊に関して無知なばかりに、病名をつけられ、隔離されて不幸になっている人が多い。いくら頑丈な車であっても、時代のニーズに合った性能を持つ新車に乗り替えていくのが普通であるように、人間は、新しい魂修行をするために、その時代の人生計画や職業に合った新しい肉体を欲する。

 このように、新しい選択が働くのは一つの幸せであり、その代償として古いものは滅びていく。必ずしも永遠に滅びないものが良いわけではない。

 病気と死は、避けがたいものであるが、転生輪廻を含めた大きな人生の真実の観点からは、それ自体が一つの慈悲なのです。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「人間にとって、「病気を治したい」と願うのは、ごく自然な感情でしょう。幸福の科学でも、治せる病気については、宗教の立場から、なるべくその手助けをしていきたいと思っています。

 ただ、一方では、仏教で説かれているように、「病気と死は、避けがたいものである」ということも事実です。  人生の途中でかかる病気を一時的に治すことができたとしても、最終的に、死から逃げることはできません。  老衰で亡くなる人もいますが、たいていは、何らかの病気で亡くなるでしょう。それは、人生における運命として受け入れなければならないところがあるのです。  その部分だけを取り上げると、悪いこと、不幸なことのように見えます。しかし、「人は何度も生まれ変わっている」という転生輪廻の観点を含めた、大きな大きな人生の真実から見れば、それ自体が慈悲の一つなのだということも知る必要があります。

 もし、「永遠に病気にならない、頑丈な肉体」というものがあったとすると、どういうことになるでしょうか。  例えば、二十世紀の初めに、アメリカでT型フォードという車が開発されましたが、もし、その車が百年たった今もまだ道路を走っているとしたら、どうでしょうか。それを考えてみるとよいのです。  今は、トヨタのハイブリッド車などが走っている時代です。T型フォードが、殴ったり蹴ったりしても傷まないぐらい頑丈で、いつまでたっても壊れない車だったとしても、やはり、どこかの時点で、「新車に替えたい」と思うのが普通でしょう。  世間の人々は、時代のニーズに合った性能を持つ新車にどんどん乗り替えていっています。必ずしも「永遠に滅びないもの」が良いわけではないということです。

 それと同じように、人間は、新しい魂修行をするために、その時代の人生計画や職業に合った新しい肉体を欲するのです。  そういう新しい選択が働くということが一つの幸せであり、その幸せの代償として、古いものは滅びていくわけです。

 新車が、やがて中古車になり、廃車になっていくように、肉体も、古くなると、滅びて死んでいきます。  いつまでもそのままでは困るのです。人間は、何百年も生きるわけにはいきません。  なるべく健康で長生きできるように努力することは、大切な心がけです。ただ、「『いつかは病気になって死ぬ』ということも、大きな計画のなかでは一種の慈悲である」という事実を受け入れることも大切なのです」

 

病気に過去世の影響

 病気の原因をさらに深く探ると、過去世の影響がある場合もあります。例えば、過去世で他人を傷つけてしまった方が、今世(今回の人生)ではその償いのために、不自由な体で生きるという「人生計画」を、自ら設定して生まれてくる場合もあります。また、過去世で煙に巻かれて亡くなった場合、今世、その苦しみが甦り、喘息や気管支炎など呼吸器系の病気が現れてしまうケースもあるのです。

 皮膚病や特徴的なあざがある場合、過去世で刀や矢が刺さったり、火事で亡くなった時の、皮膚感覚が残っていることがある。

 白血病など血液系の病気の人は、過去世で他人の生命に危害を加えたことで自分を許せず、清算したいという自己破壊の思いを持っている場合がある。

 カルマの清算

奇跡的に治る人もいれば治らない人もいる

 明るく善良に生きていても、病気になったり、それが治らない場合もあります。それは、過去世のカルマを清算するため、自ら計画して病気になることがあるからです。あの世に還れば必ず意味がわかるので、「人生はこの世限りではない」と思うことが大切です。

 「自分は神の子、仏の子だ」という信仰心を持つと、自分に対する自信が生まれ、明るい未来を信じることができるようになって、生きる力が湧いてきます。すると、免疫力が上がり、病気が快方に向かったり、病気になりにくくなるのです。

 ガンの原因は、他人を恨み攻撃する心や、逆に強い責任感ゆえに自分をいじめる気持ちであることが多い。

 皮膚病や特徴的なあざがある場合、過去世で刀や矢が刺さったり、火事で亡くなった時の、皮膚感覚が残っていることがある。

 白血病など血液系の病気の人は、過去世で他人の生命に危害を加えたことで自分を許せず、清算したいという自己破壊の思いを持っている場合がある。

 怒りや欲などで心に曇りをつくると、同じような心のまま亡くなった人の霊(悪霊)が引き寄せられ、憑依されてしまいます。すると自分の霊体もその影響を受けて、病気になることがあります。心の曇りをつくらないようにすることが大切です。  そのような霊的な原因をはっきりつかんだ時点で病気が治る人も数多くいます。

 

心には創造性があり心が病気をつくることもある

 人間は神仏と同じ性質を持っている存在です。その性質のひとつが「心の創造性」です。そのため、心に不調和な思いを持つと体調が悪くなったり、病巣を生んでしまうことがあります。逆に、心を正すことで病気を治すこともできるのです。  参考『奇跡のガン克服法』

 

苦しみによる前世のカルマの清算

 カルマによる苦しみは、霊的成長のために必要なプロセスとして発生します。人間的な見方からすると、そうした苦しみは避けたいものですが、霊的な大きな視点から見ると、それはむしろ霊的成長にプラスとなるありがたいものなのです。その意味で憑依の苦しみは、本当は悲劇でも不幸でもありません。

 憑依による苦しみを通じて前世のカルマが少しずつ消滅し、やがてすべてのカルマが清算されると「霊的覚醒」の時を迎えることになります。そして憑依の苦しみから完全に解放されるようになります。

 

人間は「人生計画」を立てて生まれ変わってくる?

「私たちは、魂を磨き、成長させるために、この世とあの世を転生輪廻しながら魂修行を続けています。生まれる前には、指導霊と相談して、今世の「人生計画」を立てます。自分の魂修行に必要な環境を選び、逆境や課題を設定して、生まれてくるのです。

その人の人生を見て、持続的で執拗な感じの病気や、人生全体に深い影響を与えるような病気の場合は、この世限りのものではないことが多いでしょう。(中略) 「なぜ、そういうものが出てきたのか」ということを深く考え、自分の人生の問題を解く必要があります。(中略) プラスを生み、他の人の幸福になる生き方をしてください。今回は、そのように、「徳を積む人生」を生きるべきです」(大川隆法 著 『ザ・ヒーリングパワー』)

「人間というものは、後天的学習や経験でかなり「傾向性」が固まってくるものである。その「心の傾向性」が固定してくると、場合によっては精神的な悩みを超えて肉体的異変が出てくる。これが「病変」と化し、時に難病・奇病となって発症する。現代医学でも、標準値から外れている検査数字を探し出して、病気の原因を推定し、治療にあたるのが常だ。しかし、それは考えてみれば、心が中道・真理から離れていることが、ある種の生活習慣や食習慣の偏りとなったり、仕事上、本人の能力不相応の重荷を生背負い続けているということでもある」(『ザ・ヒーリングパワー』まえがき)