潜在意識の霊的真実

潜在意識では病気を求めている

 サイモントン療法の裏付けとなる精神神経免疫学と、クーエの方法につながる潜在意識の理論は、学問的には必ずしも関連づけられていない。この点に関して幸福の科学の考えは以下のとおりです。

「フロイトやユング、アドラーなどが、すべてを説き切ることができなかったことを、幸福の科学は明確に説き切っています。『人間は、肉体を超えた偉大な世界のなかの存在であり、そして、偉大な可能性を持った、精神的な部分のある存在なのだ』と考えることができたならば、そこから無限の可能性が開かれてきます。肉体の健康も、やはり同じです。『健康な体をつくろう』と思えば、自分自身の肉体のなかからも、協力する力が現れてくるのです」

 人間の心に表面意識と潜在意識があることは心理学でもわかっている。幸福の科学はさらに、この潜在意識が個々人の肉体を超えた広大な精神世界(霊界)とつながっており、本人の守護・指導霊や、医療系の天使・神々ともつながっていることを明らかにしている。そういった存在も含めての「潜在意識」なのです。

 人間の体は日々さまざまな細胞をつくり、あらゆる部分を更新し続けている。それを司っているのが私たちの潜在意識の働きです。ですから、「健康になろう」という思いが心の奥の潜在意識にまで浸透すると、その命令を受けて体の各部分が病気と闘い、強い体につくり替えようとし始めるのである。

 最大のポイントは、潜在意識は大きなタンカーのようにゆっくり方向を変えて動くので、その動きをコントロールしようと思ったら、常に同じ方向の思いを一定の期間、繰り返し出し続ける必要があること。三日坊主では効果は期待できない。

 あなた自身の秘められた力であり、見えない世界のヒーリング・パワーの根源である潜在意識の働きを強く信じ、明るく積極的な思いを発信し続ければ、体の不具合や不調、病気などは必ず善転していくだろう。

 肉体の病変は、幽体が病んで黒ずみ、異変が出て、それが肉体に現れてくるのです。病気を治療するには、外から肉体を治療するやり方もあるが、内側から治すことも可能です。 そのやり方は、「自分の中には神仏の子としての輝いている部分があるので、この光の部分が霊体の外の病んでいる所を修復できる。」と強く念うと治るのです。つまり幽体の修復が終わると肉体が治ります。 この世的な事で体が具合が悪くなることも、勿論ある。物質的な原因による病気や事故などがあるが、この世のルールとして多少なりとも肉体に変更を加えて治すこともある。 例えば、肥満ならカロリー摂取を減らせばいいし、タバコの吸い過ぎで肺がんになったら、タバコをやめれば治る可能性は高い。 しかし、肉体が車みたいなものであって、変わらないという考えは捨てないと、宗教パワーで病気を治しづらい。 人間の本体は霊体で、霊体の影響で肉体が変化してくるという考え方が真実である。本来は、地上を去った世界で、自由自在の姿をとっており、創造性に満ちた生き方をしている。 心のあり方を通して、体のあり方も変わってくる。天台大師の一念三千のようなものです。医者の言っていることも大まかには間違っているわけではないが、「絶対治らない」とか「一生治らない」というのは間違っていることが多い。 人間は、考え方によって人生を変えることが出来る。良いほうにも悪いほうにも創造できる。悪い方の「創造」が病気の元になっている。精神的ショックや自己処罰の概念、自分をあまりにもいじめる気持が、潜在意識に沈殿して病気になることがある。それに気づいたなら、念いの修正をかけていくことです。 また、特定の人を恨みすぎていると病気になるし、相手から恨まれたり嫌われることで病気になることもある。生霊(生きている人間の念の力)がやってきて憑依(霊が取り付くこと)している。生霊は現代にもいることはいる。 生霊の正体は、守護霊に、本人自身の強い念が合体して取りついてくるもの。相手に執着したり、攻撃する念い、嫌う念いや、相手を首にしたいとか「飛ばしてしまえ」とか「死んでしまえ」などといった念いがへばりついてくる。

 病気の原因は、肉体的だけではなく、人間関係や思いで起きているものもあるので、そういうものが内部にあったら取り除くことです。

 仏教で「色心不二」と言うように、肉体(色)と心は互いに影響しあっている。競争社会であり情報過多で忙しい現代では、頭や気持ちや心の疲れが体の疲れに結びついていることが多い。

 参考

 西洋医学は、正確に言えば、唯物論のほうに傾いていると言わざるを得ないところはあると思います。哲学的には、デカルトやカントの流れがさらに″純粋化”してきて、肉体的なことと精神的なことを切り離してきた流れが科学として残って、そういうふうになってきているところはあると思います。

 ただ、「事実がどうであるか」ということは、やはり大事なことです。現実には、「魂と肉体を融合したもの」が人間です。これは、各種の霊言集を出して、ずっと実証をやっております。

 人間は、やはり、魂と肉体が合体して存在するものです。たとえて言えば、いくら卵が、自分に中身があることを信じていなくて、「私は殻だけであって、中身はないのです。外側の殻だけが卵です」と言っていたとしても、やはり、中に入っているものがあってこそ卵なのです。こういうことを言っているだけのことです。殻を否定しているわけでもありませんし、中身だけで卵が存在できるわけでもありません。

 ”器”がなくて魂だけでは、この世で修行ができないし、肉体だけで、中身の霊がなかったら、やはり修行になりません。そういう存在であるということが事実なので、唯物論は片方だけ見ているということです。

 もちろん、唯物論的に攻めていって、成果を上げている医療もあることはあるので、それを否定するつもりは決してありません。この世的に研究して、薬なり、治療法なり、有効で成果を上げているものについては、それなりの神のご加護はあるものだと思っています。

 ただ、それによって、霊的なるものを完全に否定する方向に物事が行ってはいけないのだということは、知っていなければいけません。医学系の人は唯物論的になりがちではあるのですが、医学よりも科学として純粋な物理学系統、最先端の物理学になってくると、もう信仰の世界と変わらなくなってきており、神様を信じている人がすごく多くなってくるのです。物理学や天文学をやっていると、だんだん、信じるようになってくる人が多いのです。神秘の世界を垣間見ていると、どうしてもそうなってくるのです。

 この辺の未知の領域は、未知の領域としてまだ残っているのだということを、認めることが大事です。

 自分の肉体を簡単に“葬られない”ようにするためには、強い光の思想、繁栄の思想、あるいは邪悪なるものに負けない気持ち、「真実は死なない」という強い気持ちが必要です。こういうものを持っていないと、自分を守れないこともあると思います。

 それを表立って言うか言わないかは別にしても、病気を治すほうの側としては、両方を上手に使い分ける必要はあるでしょう。両方を知って、使えるものは使って、やるべきだと思います。

 さらに、もう一つは、医学で使われる心理学が、まだあまりに幼稚なレベルです。これについては、人間学をもっともっと深く知っておかないといけないと思います。

 まだ、フロイトやユングなどの流れのなかで、医学的にも治療は行われているんだと思いますが、われわれから見れば、間違ったものも相当あることは事実です。また、病気と判定されているなかにも、いわゆる「霊障」に当たるものがかなりあることも現実です。これは、エクソシスト(悪魔祓い師)のところへ行くか、病院へ行くかの違いですが。やはり、真実をきっちり知っておいて、光のパワーによって治していくことも、同時にやらなければいけないと思います。

 それから、病気の大部分は、本当に心の持ちようで変えていくことができます。

 「心で何を思うか」によって、人間は自分の未来を設計し始めるのです。肉体をつくるのは、もとは、やはり心です。「自分の未来をどう設計していこうとするか」ということが大きいわけです。治療をしながら、そのことを少しずつ伝えていくことが大事です。

 

 現代の西洋医学はなぜ、がんや生活習慣病などに対応し切れないのか。医療改革を実現する上で、避けて通れない課題だが、実は、「問診の診療報酬が一律に決められている」ことに、考え方の限界が垣間見える。

 生活習慣を改善するには、対話の力が大きく影響する。検査数値の奥にある、その人の性格や悩み、人生観などを理解しようとする医者であれば、治療効果は高まるはずだ。しかし、今の医療制度は、「対話」についての付加価値の差を認めていないため、医者の意識は投薬などに向いてしまう。

 結局、西洋医学の限界は、人間を物質と捉えて、機械のパーツを修理するような発想から抜け出せないことにある。

 その限界を乗り越えるには、「人間の本質は心であり魂である」という霊的人生観を受け入れるかどうかにかかっている。人間は肉体に魂が宿って生活する色心不二の存在であり、葛藤や悩み、怒りやストレスといったマイナスの思いを長く持ち続けると、それが霊体に暗い影をつくり、やがて肉体に病気となって現れてくる。つまり、表面的な生活習慣の乱れは、そのマイナス感情の現れなのです。

 信仰を持つと健康が回復する例は数多く存在する。なぜなら、正しい宗教は神仏の心に適った生き方を教えているからだ。手術や薬という外からのアプローチだけでなく、心を正すという内面からのアプローチを増やせば病気はもっと治せるでしょう。

 医学の限界を乗り越え、本当の医療改革を実現するには、医療者が霊的真実に目を開くことが求められている。

 

心の力は医療の「常識」を変える

 生活習慣の中でも、見落としがちなのが「心の習慣」です。

 

心には病気をつくる力も治す力もある

 くり返し出てくるマイナスの心が、霊体に病巣を創り出し、それが肉体に表面化する。

 現代人の病気は、生活習慣の乱れが免疫力を低下させたことによるものが多い。特に、悩みがちでストレスを溜めやすい性格など、心の持ち方が与える影響は大きい。そう考えれば、心を扱う宗教によって病気が治るケースがあるのは、当然のことと言える。

 大川隆法総裁は、病気になるメカニズムとして、もう一段踏み込んで「思いの力による創造作用」について指摘している。体をつくっている細胞は、日々つくり変えられており、半年もすればほとんどすべてが入れ換わる。その際、どのような体をつくるのかという設計図を決めているのは、実は、その人の心なのだ。

 病気の設計図は、人間関係の葛藤や不平不満、怒り、憎しみ、自己処罰、不安、自己保身などのマイナスの思いを、くり返し強く発信することでつくられ、それが実際に病気となって現れる。

 つまり、病気を治すためにはこれとは反対の、積極的で肯定的な思いを持つ習慣が大事になる。

 

 「自分に、まだ、未来がある。将来がある。希望がある。まだ、やるべきことが残っているんだ」ということで、「自分自身で治していこう」という気持ちを本人が強く持って心に刻印し、医者がそれを手伝うという立場でやれば、病気の治りはすごく早いだろうと思います。

 たいてい、メンタルな面から崩れていっております。それで、簡単に人は死ぬものです。しかし、「まだまだやれるんだ」ということを、やはり、教えなければいけません。

  医学がどんなに進歩しようとも、人間の本質は肉体に宿っている魂であるという真実に変わりはない。人間の肉体を支配しているのは心であるからこそ、いつの時代も、正しい心の持ち方を教える宗教によって病気が治る事例が後を絶たない。

 しかし、現代の医者は医療現場でそうした事例に直面しても、偶然か何かで片付けてしまうことが多い。それを追求して世に問う医者もいるが、残念ながら、人間が霊的存在であることを明確に認めている人はまだ少ない。「科学で実証されないものの存在は認めない」という姿勢が、医学の世界では頑強なまでに貫かれている。

 しかし、科学の本来の目的は未知なるものの探究にあるはずです。これまでの学問の前提が崩れるからといって、未知なるものを避け続けてよいのでしょうか。

 大川隆法総裁は、『救世の法』で信仰と科学の関係について以下のように説かれました。

 「私たちは科学を決して否定していません(中略)。『科学のなかにも、神の真理、仏の真理は流れている。人類を幸福にする原理の一部は入っている』と言っています」

 「科学の未来は、実は、この信仰の上に成り立つものです。この信仰があって初めて、霊的存在やあの世の世界の探究が始まります」

 医学をさらに進歩させ、病気で苦しむ人々を救っていくためには、医者はもっと目に見えない世界の真実に心を開いていく必要がある。

参考