憎しみと病気

 あなたには、誰か憎んでいる人はいないか。もしいるならば、まずその人と和解することが大事である。

 憎しみや怒りは体にとって毒薬。それで自分の体を破壊し続けることになって、さまざまな病気を引き起こす。

 また、あまりにも不当な欲望や願望が原因で、病気になる場合もある。

 そういう病気は自分自身で治せる。反省をすれば、病状は、良い方向にと転化し始めるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれました。

「病気をしている人の心を探究したならば、ほとんどの人は憎しみや怒りを持っています。(中略)あなたには、誰か、憎んでいる人はいませんか。もし、憎んでいる人がいるのであれば、まず、その人と和解することが大事です。その憎しみが原因で病気を引き起こしているのですから、その憎しみを止める必要があります。あなたの憎しみには理由があるでしょうし、相手にも問題があるだろうと思います。そして、あなたは一方的に相手を責めているかもしれませんが、おそらく、相手の立場から見たことはないでしょうし、神様、仏様の目から見たこともないでしょう。一方的に相手を悪人にして、「あいつにやられた。いじめられた。あいつが憎い」などと思っているのでしょう。しかし、その憎しみが、あなた自身を病気にしているのなら、それは高くつきすぎです。ばかばかしい話ではありませんか。誰が、そんなに努力して毒薬を飲み続けるでしょうか。体が悪くなることが分かっているのに、毒薬を飲み続ける愚か者はいません。しかし、憎しみや怒りは“毒薬”なのです。 憎しみを持っている」ということは、「自分の体を破壊し続けている」ということです。それが、ガンなど、さまざまな病気になって表れてきます。その場合は、要するに、憎しみの想念が、自己を破壊する方向に働いているのです。相手を破壊しようとする想念が、実際には自分のところに戻ってくることがよくあります。あなたが憎しみの念で他人を攻撃しようとしても、その人が、あなたよりも強い人だったときには、その憎しみの想念が、あなたのほうに戻ってきて、あなた自身を破壊し始めるのです。「嫁が憎い」と思い、嫁をいじめている姑が倒れることもあれば、「お義母さんが憎い」と思っている嫁が倒れることもありますが、嫁と姑、この二人の心境と念力の差によって結果は違ってきます。相討ちになる場合も当然あります。力が拮抗している場合には両方が入院するのです。憎しみを持つのは損です。仏神に祈る前に、まず、「自分の心のなかに、憎しみや怒りなどが満ちていないかどうか」ということを反省してください。また、あまりにも不当な欲望や願望を持っていることが原因で病気になる場合もあります。人を出し抜いて金儲けに走ったり、ほかの会社を罠にかけて潰し、その商売を横取りしたりして、大勢の人を苦しめながら、自分だけの利益を追求して病気になった人の場合は、反省によって病気を治すことができます。そういう病気は自分自身で治せるので、どうか反省をしてください。そうすれば、病状は、悪化せず、良い方向に転化し始めます」

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